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森とともに生きる 十四代目林業家 ドタバタイノベーション奮闘記 第1回

この記事はさとびごころVOL.26 2016 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。

 

村外所有者「山主」が、山林所在の住民「山守」に、森林の保護管理を委託した山守制度がゆらぐ時代に、次世代山主があたらしい「森とともに生きる」を模索する奮闘記です。

吉野林業華やかりし頃のこと

 まさか、チェンソーを持つことになるとは、ましてや、ユンボに乗って作業道をつけることになるとは、夢にも思わず幼少期を過ごした。

 私が生まれ育った昭和50年代、私が後に関わる吉野林業は時代を謳歌していた。地域の納税番付には必ず林業家が顔を出し、大阪のミナミの飲み屋で札束をばらまいたとか、東京の銀座からタクシーに乗って帰ってきたとか、「一雨ふれば1億円分の材積が増える」とか、アラブの石油王と比較して語られるような林業家がいたとか、その当時の吉野林業に関わる人々の武勇伝は枚挙にいとまがない。

 我が身におき換えて思い出をたどっても、思い当たる節がある。毎年1月の8日には、吉野から大勢の山守さんが新年の挨拶のため、家の座敷に押し寄せた。当時は、醤油醸造業も営んでいたので、お正月は本当に賑やかだった。何よりも嬉しかったのは、お年玉である。元旦に両親や親戚から頂くお年玉も当然嬉しいことながら、大勢の山守さんが押し寄せる1月8日は、別格だった気がする。山守さんが帰った後にお年玉の袋を開け、整理するのは私たち兄弟の仕事だった。1年に1度、お金持ちになった気がする夢の一日。今思えば我々兄弟は、大繁盛していた吉野林業からこぼれ落ちてくる最後の一滴の恩恵を受け取っていたのだなと実感する。

 近所ではボンボンと呼ばれ、学校では金持ちとか、家が大きいと言われていた。笑われるかもしれないが、自分の家は日本一の山持ちなんだろうなあとか、山甚醤油はキッコーマンより大きいのだろうなどと、とんでもなくおめでたいことを思っていた。幼心にそう思わせるほどに、周囲の好況感は明るく、華やかだった。安心感が漂っていた。

夢破れ、実家に拾われるまさかの真っ黒な日々

 そんな日々から約10年あまり。その間、中学からは兵庫県にある関西学院に入学し、大学までを過ごした。遠距離通学だったこともあり、実家や家業の日常の様子を肌で感じることはほとんどなかった。大学を卒業し広告代理店就職という夢に破れた私は、次の就職活動までの立て直し期間の間、実家の仕事を見ながら自分の将来を考えようと思い、アルバイトとして家業に入った。既に記憶も曖昧になっているが、英語でも勉強して、何か良い就職にありつければ良いなという腰かけ程度の軽い気持ちであった。平成11年4月のことである。

 今思えば当時の自分の自身の人生の先行きに対する認識の甘さにも驚くのだが、その後に人生を突き動かすような、数々の出来事に遭遇することなど予期しなかった。実家の日常を実感することの少なかった10年の間に、周辺の様子は雲行きが怪しくなっていた。バブル経済が破綻し、家業はその余波を食らっていた。時を同じくして吉野林業の失速も始まった。平成7年の阪神大震災で木造の住宅の倒壊や火事が多発し、平成9年には吉野林業地に甚大な被害をもたらす大きな台風に見舞われた。谷林業の看板山であった天川村洞川地区の通称大山の200年生のスギ林は壊滅的な被害を受けた。風害の丸太が多く出材され、吉野の原木丸太相場は暴落した。隣で分家が営んでいた造り酒屋が破綻したり、山の管理を一手に担ってきてくれた管理制度が解体されたり、関わってから身の回りにおこる事は出来事というより、もはや事件だった。毎年1月8日に来てくれる山守さんの数も激減し、あの夢のような毎日は、もはや目の前にはなく、祭りの後になっていった。

 最近20代の頃の日々を振り返って表現する時に、真っ黒の黒だったと表現する。そうとしか表現できない毎日が始まっていった。父親や叔父が経営していた家業の実態にも初めて目を向けることになる。このまま人任せにしていては解決しないのだと強く思った。特に主体性をもって生きてきたことも、生きるつもりもない自分が、どうしようもなく逃げられない現実。それを解決するためには、技術も要るし、手伝ってくれる仲間も要る。当時の私は、何もできずただただ怖かった。

 不採算だった醤油醸造業をたたんだり、大きな借入金の不均衡の是正をしたり、山林や立木をはじめとする財産にかかる相続税の試算額が法外なほどに高額であったことへの対応に追われた。その過程で税理士や宅地建物取引士、測量士補、森林評価士、2級建築士等様々な資格の取得もした。あっという間の10年だった。

1500haの管理がのしかかる

 整理がある程度ついた時点で、管理する資産の中で物量的に一番大きく、超斜陽産業である林業にチャレンジすることになる。なぜなら、弊社谷林業は1500haという奈良県の約200分の1にあたる林地を所有しているからだ。それも小規模、中規模、大規模に分散し、合計すると11市町村数百箇所に点在する。山は売れないし、管理してくれていた150人の山守(吉野林業の独特のシステム)は後継者もない。かといって誰も助けてはくれないし、同世代の山守の後継者も帰ってこれないというお先真っ暗な状況だった。このまま行くと自分一人で管理しないといけないのではないかという不安にさいなまれた。

 まず始めたのは、境界の書付作業や境界測量。父親や父親の友人、叔父、直営の現場技術者のおじさんと管理山林を歩いた。自宅のある王寺町周辺(吉野林業地ではない)で、セミプロ級の森林ボランティアの方に山林作業を学んだりした。一生懸命にやるのだが、焼け石に水のような感じで、根本的な問題は一向に解決していく気配さえなかった。

 先行きの不透明さに不安を抱えながら、何か活路が開けるかもしれないという一心で、先進的な林業経営で評判の、三重県にある速水林業が開催する林業塾に参加した。参加初日の自己紹介ではとても恥ずかしかったのを思い出す。速水林業より歴史も伝統もある吉野林業地の林業家なのに、管理面積だって速水林業より大きいのに、自分は林業のことをほぼ何もわからない。普通に考えてみるとあり得ないことだ。その現実を受け止めつつ、さらに10万円という高額な参加費を支払っていたこともあり、真剣に取り組んだ。

 林業塾の最終日のことだった。岡山県西粟倉村の地域おこしで今や地方創生の業界の中では第一人者になられた、株式会社トビムシの牧大介さんがコーディネーターになって、全員参加のディスカッションが行われた。誰か課題を抱えている人が立候補し、その人の課題をみんなで解決する一日。ここで立候補しなければ、きっと上手くいくものも上手くいかない。藁にもすがる思いで手を挙げた。

 「若手林業家は、この先どう生きていけば良いのか?」というテーマで、当時同じような林業家に嫁ぐことが決まっていた女性と共にディスカッションのテーマに立候補した。最初は、現状の林業の問題点を話していたのだが、だんだん谷林業の話になっていった。谷林業の現状が如何に閉塞しているかという話に始まり、結果的に谷林業はこれからどうしていけば良いのだろうということを中心に展開していった。

 その時に参加していた岐阜森林文化アカデミーの学生だった前田駿介君に、牧さんが「谷林業の様な所で一からやるのも、結構面白いよ」と無責任にもおっしゃると、前田君がぶっきらぼうに「僕、やってみます」。心の中では、「えっ。僕はやるともなんともいっていないんですけど」と動揺した。もう引くに引けない雰囲気になっていたこともあり、前田君が翌年の春、弊社に来ることが決定した。前途多難な、その後の谷林業ドタバタ悲喜劇の始まりである。今思えば本当に大きな第一歩であったと思う。

【谷林業】吉野の5 大林業家のひとつ。中近世以来、現在の王寺町の大地主として山林管理を手がける。2011 年、老舗でありながらベンチャー企業として「谷林業株式会社」と改称。若手人材の育成や、新規事業の立ち上げなどを展開している。奈良県北葛城郡王寺町本町2-16-36 TEL 0745 – 72 – 2036

さとびごころVOL.26 2016 summer掲載

文・谷 茂則(谷林業株式会社 取締役)

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