この記事はさとびごころVOL.34 2018 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
村外山林所有者「山主」が、山林所在の住民「山守」に、森林の保護管理を委託した山守制度。その伝統がゆらぐ時代に、次世代山主が新しい「森とともに生きる」を模索します。
ドタバタ奮闘記 夜明け前のこと
今回は、私が本格的に林業にチャレンジする時に、多大なるバックアップサポートをいただいた兼子洋介さんの事を書きたい。前回の流れから、またもや少し脱線するが、次のフェーズに駆け上がっていくかもしれない今の時期に、かつて自分の人生を大きく変化させていくきっかけを創ってくれた兼子さんと出会った頃の事に思いを巡らせたい。
平成15年9月から平成18年8月までの三年間、毎年8月に開催される税理士試験受験の為に会計の専門学校に通った私は、平成18年12月の合格発表で税理士資格の認定要件を満たす成果を上げた。三年間は家業に従事しながらも、昼夜を問わず休日返上でめちゃくちゃ勉強した。かなりの時間を税理士試験についやした。
「もし万が一谷家のプロジェクトが頓挫したら自分の能力では生きていけないな」と感じていたので、税理士資格認定要件を得たことで、少し自信も取り戻すと共にホッとした。
受験が終わり、試験の為に使っていた膨大な時間がポカンと空いたことで、その時間をどのように使おうかという試行錯誤が始まった。税理士として生きていくという選択肢もあったが、家業の林業にチャレンジしたいという意思が強く、平成19年の夏頃から一年間程、奈良県御所市の農家林家の森村宗光さんや、有名な本格的森林ボランティア団体での活動経験のある采女美範さんに教えてもらいながら、王寺町周辺の山林で雑木林の整備をしながら過ごした。細い広葉樹をチェンソーで伐採して、父親に「広葉樹はバランスが悪いねんで。危ないやないか!もし、ケガでもしたらどないするんや! やめときなさい」と林業家らしからぬ理由で注意され、「そんな事いってたら何も前に進まないやないか」と疑問を持ちながらも、チェンソーや草刈機の取り扱いを習得した。そして、林業に挑む最低限の準備は出来たと思える所までもってきた。今の自分の力で出来る事は大体やった。でも、若い世代は自分だけ。積極的に前に進んでいこうという意思のある人もなく、これからどうしていけば良いだろうなと思っていた。行くべき方向を知りたかった。一緒に取り組んでくれる仲間が欲しかった。兼子洋介さんと出会ったのは、そんな時であった。
兼子さんとの出会い
今から遡ること約10年前。平成20年12月7日、深草駅から龍谷大学の講堂に向う道すがら、私は、極度の緊張で何度もえずきながら歩いていた。神社仏閣に使われるような木を遺していくことを目的に出来た「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」という団体のオープニングシンポジウムがあり、尊敬する速水林業の速水亨さんから、「神社仏閣を建築、修理する時に使われる立木のある山林を登録した者に対して感謝状と認定証の授与を行うので、その場で若手代表として挨拶をするように」とのお達しを受けたのだ。たった三分程の挨拶だが会場は大学の講堂。シンポジウムの案内には著名な方々の名前が連なっていた。大勢の来場者が予想される。大勢の前で話をするという経験のない私にとっては、逃げ出したい場面であった。断りたくて仕方がなかったが、頼まれた時には確か妹が同席していて、ここで断れば男がすたると思い、引き受けた。
シンポジウムの進行につれ、自分の出番が近づいてくる。神奈川県小田原市の辻村百樹さんや、三重県大台町の吉田正木君等そうそうたる面々に続き、自分の番が回って来た。相国寺の管長の有馬頼底さんや、法隆寺の管長の大野玄妙さん、哲学者の内山節さん、速水さん、文化庁や林野庁のお偉い方々等、若手林業家のデビュースピーチにしては、過分すぎるほどの聴衆を前に、ガチガチに緊張しながら用意していった文面を読み上げた。確か「林業は不況であるが、若手林業家としてこの局面をしっかり打開していきたい」という様な内容のことを話したように思う。
挨拶を無事終え、ほっとしている私の所へ名刺交換に来てくれた方が二人いた。一人は、NHKの記者の方、もう一人は「NPO法人アタックメイト奈良」副理事長、兼子洋介さんだった。これまで林業家として、そう多くの人とは出会っていなかった。先進的な林業家諸氏ではなく、私の所に来てくれたのは素直に嬉しかった。
NHKの記者の方はテレビ番組の取材の依頼。私はまだ取材を受ける程の段階にないと辞退した。もうお一方が兼子さんだった。きっちりと整えられた白髪で眼鏡をかけてニコニコとした優しそうなお爺さん。聞くとお年は74歳だという。そもそもNPO法人という組織に属する人と関わった事がなかったので「NPO法人が私に何の用があるのだろう」と正直思った。何か胡散臭い団体なのかも知れない、NPOの人とお付き合いをして自分に何のメリットがあるのか。もしかして利用されたりするのではないかとさえ、失礼ながらも思った。
それから1週間も経たぬうちに兼子さんは、谷林業に私を訪ねて来てくれた。「アタックメイト奈良は、奈良の中小企業を盛り上げる事を目的に結成されたNPO法人で、奈良県の林業でこんなに若い人が頑張っているのをみて、感動しました。何か協力できることはありませんか」と言ってくれた。すぐに頼みたいと思えることが思い浮かばなかった。が、とっさに「では、勉強会を開催したいです」と言った。
1年半程行ってきた林業見習い活動は景観整備だけのボランティア活動の領域を抜け出なかった。活動のレベルや波及力をつけたかったので伐採したコナラ等の広葉樹の活用法としてシイタケ等のキノコの栽培にステップアップしたいと考えていた所であったので、勉強会のテーマはキノコに決まった。
森の仲間のサロン
兼子さんは驚くほどに迅速だった。間髪入れず奈良県の機関である森林技術センターを訪ね、講師と日程が決まったと、ほどなく報告を受けた。しかも奈良県庁の出張出前講座の制度を利用するので無料ですと。キノコについて学ぶ事と、ボランティアとして手伝ってくれる皆さんと一緒に学ぶ時間を過ごすという目的を、いともたやすく、実現させてくれた。
年があけて平成21年1月。奈良県森林技術センターのキノコの専門家の小畠靖さんを招いてのシイタケやナメコの植菌の勉強会を行った。当時の谷林業の関係者、私の父親や親世代の番頭である芳川恭久さん、当時私のことをサポートしてくれた父親の友人の松場哲さん。本格派森林ボランティアの采女美範さん。その頃結成されつつあった「グリーンボランティア西和」の小峰敏勝さんや森英雄さん。それに兼子さんを加えたメンバーで小畠さんの話を聞いた。
さらに、その2ヶ月後には予め秋口に伐採しておいたコナラやクヌギ、サクラの木にシイタケやナメコを植菌する体験まで段取りしていただき、みんなで大量の原木に植菌を行った。兼子さんが段取りしくれたお陰で関係者と共に専門家の話を聞き、林業見習い活動の中で放置しかけていたコナラ等にキノコの植菌をするという所までたどり着いた。
このキノコの勉強会は有意義だった。迷っていた方向性を模索する為に必要な知識を、奈良県林業の重要なセクターである県庁の方に指導を受け、身近にいる仲間達と共有することができた。こういう勉強会を定期的に開いていけば、知識を学び、共有し、成長しながら、仲間を創り、谷林業の方向性を切り拓いていけるのではと思えた。その思いを兼子さんに伝えた所、快くサポートを約束してくれた。数ヶ月後、アタックメイト奈良の大塚徹さんによって「森の仲間のサロン」と命名されたその勉強会は、森に関心を持つ人々が気軽に集まって勉強し、これからの森林や林業のことを考え変えていくというコンセプトの下、新たな船出をした。記念すべき第1回の森の仲間のサロンは、森林の話。奈良県庁の熊澤弘治郎さんが講師を務めてくれた。会場は江戸時代末期に建てられた谷家の座敷。木工作家の粂川悟志さんや森の案内人の林田弥生さん等約15名程の参加があった。平成21年10月のことであった。
さとびごころVOL.34 2018 summer掲載