この記事はさとびごころVOL.45 2021 springよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
村外山林所有者「山主」が、山林所在の住民「山守」に、森林の保護管理を委託した山守制度。その伝統がゆらぐ時代に、次世代山主が新しい「森とともに生きる」を模索します。
フォーラム開催の頃のこと
平成27年3月21日。吉野林業地の一角、奈良県吉野郡下市町で企画された「自伐型林業フォーラムIN吉野・吉野林業に起こり始めた自伐化は何を意味するのか」が幕をあけた。
会場には、奈良県庁や県内各市町村の行政関係者や森林組合、林業事業体、木材関係者などの関連団体の方々、吉野林業地を築いて来られた山守の方々、全国区で林業を牽引する方々、全国各地の若い自伐型林業チャレンジャー達、森林関係のジャーナリスト等、三百人を数える方々が来場していた。
その頃の谷林業ドタバタチームはと言うと、作業道開設班は、三年間続いた前田・柏田コンビから、柏田さんが自分の所有山林で自伐化するため卒業し、解散した。新たに海上自衛隊から転職した髙橋潤さんがメンバーに加わり、新現場・黒滝村粟飯谷池ノ内山林での作業道の開設開始から一年の月日が流れていた。
架線班は久住一友さんとゲットクラウドの吉野剛弘さんに新たに神園貴史さんを加え、西吉野村勢井津越岡峰山林で本線距離が800m超の集材機を導入した索張りシステムにチャレンジして、目標の素材生産量1000㎥を達成する勢いであった。
谷林業ドタバタチームも紆余曲折しながらではあったが、林業会社と名乗っても恥ずかしくない程度に順調に成長し、「吉野林業に起こり始めた自伐化」の末席に加えてもらえるに至っていた。イベント「チャイムの鳴る森」の成功も経験し、都市部での林業の新展開に対しても一同希望に胸をときめかせていた。
一方で、私自身はかつてに比べて低調な木材市況の中で、造林補助金(間伐して出材した材積量に伴って支給)なしには事業収支が成立しないという先行き不透明な状況に気づき始めていた。若者たちの前向きで未来あるチャレンジの裏で突き付けられた現実の大きな壁を前に「この一見好調に見える直営作業班での林業事業を続けていくだけで活路は見いだせるのか。ドタバタチームの向かう先を経営者としてどう見出だせば良いのか。そして、私自身の大命題である広域に点在する広大な谷林業所有山林の管理は果たして可能なのか」という課題を重く感じていた。
フォーラムの開催はそのような状況の中での出来事だった。私自身は高知視察旅行(本誌43号参照)の中で垣間見た「自伐型林業は打ち出の小槌だ」と取れる中島健造理事長の発言や、宮崎聖さん達若いチャレンジャーの生き生きした自伐林型業推進運動の中に、何かヒントが見つかるのではないかと期待していた。
フォーラム本番
清光林業株式会社岡橋清元会長は、山守が創った吉野林業システムの基礎について話をされた。吉野林業独特の施業技術、時々の都市マーケットに絶妙にコミットし物流や商流を山元とつなげた流通機構、投資家まで巻き込みコントロールした山守衆の凄み。そして、そのシステムが構造的な崩壊の危機に瀕していることを語られた。
その後、中嶋健造さんは、現行林業の批判も交えながら、「森林を固定して行う自伐型林業による森林経営は、限られた森林資本を元手に、その森林の価値を上げることを主眼におくことになるため、結果的に持続可能で環境保全も達成するのだ」と話された。
農家林家や女性等個人の自伐林業チャレンジャー達の成功事例の話をされ、仁淀川地域でのバイオマス発電事業で自伐型林業家たちが活躍した話や、集落単位でチーム化のチャレンジも始まっており、自伐型林業家が増える事が地方創生の鍵になると語られた。
パネルディスカッションに登壇
そして、私の出番であるパネルディスカッションでは、愛媛大学の泉先生をコーディネーターに、登壇者はそれぞれの取組みを発表した。
泉先生は議論のまとめとして「山守依存の吉野林業の大規模山林所有者と、全国各地で中規模の林家が実践してきた自伐林業が当初は全くつながらず信じられなかった。しかし、吉野林業の山守制度が継続の危機にさらされる中、岡橋さんが長年取り組まれてきた大橋式作業道の開設がカギになり、大規模林業家達の直営の作業チームが続々と登場してくる現実を目の当たりにし、自伐と吉野がシンクロしてきたことを理解」されたとのことだった。
そして、これからの展開をいかに進めるかを考えた時に岡橋さんが「大橋式作業道は現代林業に欠かせない基盤であって、その基盤整備は山主が担い、管理経営はやはり山守の参加が必要不可欠なのではないか」と問題提起された。
そして、泉先生は、「もし既存の山守が帰って来れない場合の対応として、岡橋さんの研修受入制度や土佐の森救援隊の自伐型林業塾のような山守養成塾を山主たちが共同で開講することがその解決策につながるのではないか」と示唆された。
最後に、谷林業のチャイムの鳴る森の成功を引き合いに出し、かつての吉野材の流通機構が持ち得た都市部との接点づくりつまり川下対策が大事ではないかと発言され、「この吉野の山主さん達のチャレンジを皆さん応援してあげてください」と締められた。
私自身は、あまり慣れない大勢の人々、しかも既知の人々が多い場面で話をする緊張感にのまれ、何が議論されていたのかその時点ではほとんど理解できていなかった。しかしこの流れの先に、ここまで積み上げてきた谷林業ドタバタチームの向かう方向への大きなヒントがあるのだということは確信した。
山守ってなんだろう
その夜の懇親会には、鳥取県の智頭の森学び舎や高知県のシマントモリモリ団の面々、自伐協事務局長の上垣喜寛さん等、多くの若いチャレンジャーが参加していた。彼達が生き生きとお互いの未来を語り合うその宴席は活気に溢れていた。
谷林業ドタバタチームにも活気に溢れる空気感はあったが、それ以上に何か未来に対する明るい展望を持ち、多少の壁があろうが乗り切っていきそうな意志の強さを感じた。その違いの源泉は何なのだろうか。「自伐型林業運動をもう少し追いかけてみたいな」という気持ちが生まれた。
若いチャレンジャー達には、地域起業家マインドと無謀とも思えるチャレンジ精神、そして、地域の山林に対する妙な責任感があるのかもしれない。当時から尊敬している速水林業のような林業の主流にいる方々の中で学び感じてきたこととは全く違う、新しい興味を改めて感じた。そして、自分の回りで起こっていることを、全部良い所取りしたら何かが生まれるなという確信の芽生えを感じつつも、どうすればそれを目の前で再現できるかという答えもすぐには出てきそうもなく、モヤモヤとした気持ちは一層深まった。
懇親会後、各地の若いチャレンジャー達とかつての吉野林業システムを築きあげたと言われる山守さんの姿が頭の中で妙にシンクロした。
「あれ、そういえば、山守って何やろ?どうやって吉野林業のような巨大なシステムを作れたのだろう」そこにもまた、大きな秘密があるような気がした。
懇親会の席上で、「法人設立1周年の全国フォーラムを開催するからパネラーで出てくれないか」と、上垣さんから打診を受けた。東京の参議院会館で話をするのだという。
「そんな場で話をするなんて、一生に一度しかない機会かもしれない、自伐林業についてもっと知りたい」と思う気持ちが湧きおこり、二つ返事で引き受けた。
さとびごころVOL.45 2021 spring掲載