この記事はさとびごころVOL.46 2021 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
村外山林所有者「山主」が、山林所在の住民「山守」に、森林の保護管理を委託した山守制度。その伝統がゆらぐ時代に、次世代山主が新しい「森とともに生きる」を模索します。
参議院会館で自伐型林業フォーラム
平成27年6月18日。参議院会館での自伐型林業推進協会(以下、自伐協)1周年記念シンポジウム「自伐から開く地方創生の時代」の当日を迎えた。参議院会館に入ると普段テレビの画面の中で見ていた国会議員が普通に歩いていて、国の行く末を考える場所で自分が発言する機会を得るということは、林業を始めた当初は夢にも思わず、思えば遠くに来たなあと感慨深い気持ちだった。
一方で、会場には、自伐協関係者だけでなく、新進気鋭の自伐協が主張の対立軸にとる林業界の保守本流の方々、つまり、林野庁を始め官公庁、森林組合系統、私も所属する日本林業経営者協会の方々も多数来場されていた。そのような環境の中で保守本流にいるべき自分が傍流の自伐の若手代表として登壇することは、童話「鳥と獣と蝙蝠」のコウモリのような、どちらつかずのずるい立場にいるようで何となくバツが悪かった。「あなたはどちらにつくの?」という無言の問いかけをされているようなジレンマを感じていた。
そんな私を尻目にシンポジウムは華やかに始まってゆく。元総務大臣、新藤義孝衆議院議員が、「地方創生の時代には森林、林業の立ち位置は大きく、主流派の林業と同様、産業、町づくり、コミュニティ等多セクターで横ぐし連携を創り相乗効果をだす自伐型林業にも熱い期待を寄せている。地方から日本を取り戻し、希望のある将来を作っていきましょう」と挨拶。自伐協理事長の中嶋健造さんは、法人創設からの一年を振り返り、「多くの若者、吉野林業地のような古い林業地や地方自治体、企業、福祉の世界など様々な分野から自伐林業の挑戦が始まってきた。そして、薪ボイラーを利用した完全地域循環型のエネルギー供給システム等も始まり、自伐型林業家を増やすことが地方創生の切り札になると確信している」と、いつもの名調子で語りかけられた。
合間には、多くの国会議員の方の挨拶があり、皆一様に自分の地元を林業や森林を活かすことで盛り上げたいという主旨の発言をされていた。
その頃私は、林業界の地方創生で有名な株式会社トビムシの竹本吉輝社長に半年間の個人コンサルティングを受け、その集大成として林業のステークホルダーの関係性の概況を一枚のポンチ絵にまとめ上げたビジネスモデル俯瞰図を作りあ相乗効果をだす自伐型林業にも熱い期待を寄せている。地方から日本を取り戻し、希望のある将来を作っていきましょう」と挨拶。自伐協理事長の中嶋健造さんは、法人創設からの一年を振り返り、「多くの若者、吉野林業地のような古い林業地や地方自治体、企業、福祉の世界など様々な分野から自伐林業の挑戦が始まってきた。そして、薪ボイラーを利用した完全地域循環型のエネルギー供給システム等も始まり、自伐型林業家を増やすことが地方創生の切り札になると確信している」と、いつもの名調子で語りかけられた。
合間には、多くの国会議員の方の挨拶があり、皆一様に自分の地元を林業や森林を活かすことで盛り上げたいという主旨の発言をされていた。
その頃私は、林業界の地方創生で有名な株式会社トビムシの竹本吉輝社長に半年間の個人コンサルティングを受け、その集大成として林業のステークホルダーの関係性の概況を一枚のポンチ絵にまとめ上げたビジネスモデル俯瞰図を作りあげていた。その過程で、目の前の話を、客観的に見るようになっていた。
「もしかしたら、自伐型林業は、地方創生の話なんだ。地方創生の大きな柱として林業を採用しチャレンジするという建付の話なのかもしれない。地方創生を実現するための仕組み作りのきっかけととその担い手の話なのかもしれない。今まで関わって来た産業文脈の保守本流の林業の話と自伐協の林業は、同じ林業というキーワードで語られるのでややこしいが、両者は森林や林業を、それぞれ違う視点、視座から見ている。だから、選ぶ方法論に違いがでるのだろう」
自伐に対するモヤモヤとした気持ちが少し晴れる発見だった。仕組みづくりが必要。自分の頭の中に大きなパラダイムシフトが起きる予感がした。
吉野林業というシステム
続いて、下市フォーラム以来お世話になりだしていた愛媛大学名誉教授の泉英二先生が、「自伐型林業フォーラムin吉野」の報告をされた(第19回参照)。
泉先生には、直前に谷林業で2日間16時間に亘る吉野林業講座をお願いしていた。歴史的経緯の中で、筏流走路という物流ラインを通し、京都の商業都市構築のための大量の小径材や景気対策として作られた酒造業の酒樽等町側の需要に応えつつ商流を支配し、山主からの投資まで促した経営管理システムである山守制度を築き、世界一の人工林を築きあげた吉野林業システムの話は、まさに世界有数の巨大森林経営管理システムだと感心するものだった。そのシステムを組み上げた担い手である山守のすごさを実感した。その話は私の吉野林業観を一気に変えてくれた。この時をもって私は、現代版の吉野林業システムを組み上げなければならないと思ったのだった(第6回参照)。
泉先生の話が続く。吉野林業システムは平成の初めごろまでは機能し続けたが、私が関わる頃には構造的課題を抱え山守制度の継続は困難になりつつあった。ヘリ集材全盛の時代に作業道開設をいち早く始めた清光林業の岡橋さんは山林所有者としては革命児で、それに加え私達の世代の林業家達が逃げ出さずに自ら直営班を結成し、林業経営にチャレンジしているのは、泉先生にとっては驚天動地の出来事だったという。しかしながら、既に限界も見えだしていたため、担い手として、作業道を使って林業にチャレンジする山守制度の復活と、新しい山守候補の登場や育成を、山林所有者達の懇親団体奈良県林業倶楽部が主体となって行っていくことを提案された。
新しい山守像、新しいシステム
「自伐型林業」と「吉野林業の再興の物語」は、その理想像である岡橋さんを通じて繋がった。その末席に谷林業ドタバタチームも加わっていた。
現代版の吉野林業システムの構築を目標としている私の目には、福祉、企業、薪ボイラー等どこまでも広がっていきそうな自伐林業運動の横展開や明るく前向きなチャレンジャーの存在は魅力的に映った。これに、速水林業の中間土場や苗畑、西粟倉村の新しいマーケット開拓の取組み等を取り込めば良いなと思った。
「どちらにつくとかどころの話ではなくて、より高い目線で優良事例を俯瞰視し、良い所をどんどん取り入れ融合させて奈良で実践を創ることが、現代版吉野林業システムを実現させていく唯一の方法だ。そうでないと森林や林業、地方創生の問題なんて解決しないよな」と思った。その担い手は林業現場で取り組んでくれる人材だけではなく、仕組みを創りだすような起業家精神や地元愛に溢れる山守的人材の存在が不可欠だ。
先生方の話を聞き、パネルディスカッションでの自分の出番を緊張して待ちながら、谷林業ドタバタチームの現在とこれからにも思いを馳せていた。その頃、作業道・架線の各チームは取り組んできた林業施業が一段落し、次の事業展開をどのように切り拓いていくかを議論していた。素材生産量や作業道開設距離も順調に成長していたが、このままの延長線上で続けていけばバラ色の未来が切り拓かれるのかと言えば、先行きは不透明だった。ビジネスモデル俯瞰図の作成を通じて得た大きな気づきは、システムを作るべきということだった。
そのうえで、林業を見てみると、少子高齢化による人口減からくる住宅着工戸数の激減といったマーケットの縮小、川下から逆算で丸太の価格が決まる市場構造等、自助努力で解決できないような社会課題が山積していた。谷林業が吉野でシステムを作るには、利益相反してしまう吉野の木材関係者との協働も難易度が高く、吉野に確固たる拠点もなく、新しいマーケットを開拓するために製材所を持つにはまだまだ未熟でリスクが高かった。造林助成金による林業施業の継続なら十分可能だったが、夢と希望を持った若いチャレンジャーの明るい未来を切り拓くには多少の冒険は必要ではないかと考えた。
そこで、地元である西和地域に目を向けてみた。そこには陽楽山林と生コン跡地土場という確固たる拠点もあり、イベントチャイムの鳴る森の成功以来、チャイ森の日常化というテーマをもって始まった陽楽ビジターセンター建物建築構想や、チャイ森を通じて知り合った中川直美さんの障害者の就労支援プロジェクトNPO 法人なないろサーカス団、架線班班長久住一友さんによる人材育成塾構想、薪の製造販売業の薪屋金太郎、森林ボランティア団体グリーンボランティア西和、森の勉強会森の仲間のサロン等、システムを構成する要素が少しずつ動き出していた。森林自体は小規模だが、仲間もいるし、マーケットにも近い都市域の西和地区で、自助努力で創れる小さくても完結したシステムを創るのはどうだろうと仮説をたてた。そこで谷林業ドタバタチームの拠点を一旦西和地域に移し、「都市林業システム」の構築を成功させ、その流れを根拠に吉野林業地に改めて戻っていこうと考えた。
ではその都市林業システムの核になる取組みをどうすれば良いのか。千葉県の社会福祉法人が「恋する豚研究所」というプロジェクトをやっていて、それが参考になるよとナナツモリの田村さんや建築家オンデザイン事務所の西田司さんから聞いていた。
私の出番であるパネルディスカッションの時間になった。私以外の登壇者には、偶然にもその「恋する豚研究所」を運営する社会福祉法人福祉楽団の飯田大輔さん等も一緒だった。
さとびごころVOL.46 2021 summer掲載