この記事はさとびごころVOL.43 2020 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
村外山林所有者「山主」が、山林所在の住民「山守」に、森林の保護管理を委託した山守制度。その伝統がゆらぐ時代に、次世代山主が新しい「森とともに生きる」を模索します。
自伐型林業
チャイムの鳴る森という一つの大きな転機を迎えた谷林業ドタバタチームは、作業道班、架線班とも、次の事業地での林業施業に向かっていった。大きな希望を持ち、小さな期待も背負う立場になった自覚も芽生えていた。自伐型林業という言葉を初めて身近なものと認識したのは、そんな頃だった。
もう少し以前から、高知県には自伐型林業に取り組む土佐の森救援隊というNPO組織があり、軽架線という作業システムで小さな林業を行っている事、木の駅という仕組みを作って「C 材で晩酌を」というキャッチフレーズの下、ボランティアベースではあるがしっかり稼ぎながら林業に取り組んでいるという話を耳にしていた。その当時は、取り立てて興味を持つということはなく「そういうのがあるのね」くらいで、遊びの延長程度の取り組みにしか思っていなかった。
私の林業活動を応援してくれる、生き馬の目を抜く元商社マンの起業家伊藤紘一さんからも、自伐型林業は素晴らしいという情報をもらっていた。伊藤さんの意見はできるだけ参考にしようという意識はあったが、聞き流すだけに留まっていた。
「ぐりーんもあ」取材
チャイ森からさかのぼる事数ヶ月前、国土緑化推進機構が平成26年4月10日に発行した「ぐりーんもあ」という雑誌の取材を受けた。
久住さんや吉野さん達架線班の情報発信等から、若手の元気な取り組みとして「林業という仕事と若者たち」というテーマで取り上げてもらえるとのことだった。当時、林業界はかなりの盛り上がりを見せていた。「ウォーターボーイズ」等コミカルタッチな青春映画で有名な矢口史靖監督が、三浦しをんの小説「神去りなあなあ日常」を映画化した「WOO D JOB」は、長澤まさみや優香、伊藤英明、染谷将太等そうそうたる俳優陣を起用して林業界に大きな話題を呼び、勇気と希望を与えていた。そんな時期に「WOO D JOB」の現実版として、全国の若者のチャレンジとして取り上げてくれるのだという。
我々、谷林業ドタバタチームは、「有名林業地の若者たちは今」というテーマで、自身の林業チャレンジのきっかけを創ってくれた憧れの速水林業の番頭であり尊敬する川端康樹さんや安江政守君、日本の林業界の若手のエース的な存在の吉田正木さんの記事とともに掲載された。我々以外には、「林業従事者の現状と緑の雇用」というテーマで福島県の森林組合に転職した若い人のことや、「副業型自伐林業という考え方」というテーマで高知県四万十市のシマントモリモリ団や海とサンゴの守り隊という団体が取り上げられていた。
その時に取材をしてくれたライターの方に「他のテーマで取り上げた若者たちはどんなでしたか」と問うたところ、有名林業地の新たなチャレンジと副業型自伐型林業の取り組みは面白かったよという返答をもらった。それでも当時の私は、川端康樹さんや吉田正木さんと一緒に掲載されたことに対する嬉しさが大きくて、自伐型林業の事には、そんなに興味がわかなかった。
良からぬ噂と高知県自伐型林業視察旅行
その年の秋のことだった。私の所属する山林所有者の団体である奈良県林業倶楽部の毎年恒例の視察旅行で、高知県の自伐型林業の取り組みを見てまわることになった。谷林業ドタバタチームを指導してくれる岡橋清元さん、清隆さんが自伐型林業を推進する中嶋健造さんと懇意になったことをきっかけに企画されたとのことだった。とうとう自伐型林業と出会ってしまうのかという不思議な心境で高知に向かった。
というのも、自伐型林業は面白いという情報のかたわら、活動を牽引する中嶋健造さんという方は、各地で物議をかもしており、私の親しくしている林業家やジャーナリスト、有名森林組合の参事の誰々と大激論を繰り広げたとか、どちらかと言えば喧嘩っ早くて敬遠したくなるような良からぬ噂が同時に多く耳に入ってきていたからだ。
高知県に到着した我々は中嶋さんの講演を聞いた。中嶋さんの講演は、元引きこもりでニートの若者が自伐型林業で稼いで若冠二十歳にして高級車に乗るまでになったという話、大工技能のあるシルバー世代にさしかかるおじさんが自伐型林業に挑戦して自家製材を行い、建築まで一気通貫の取り組みをしたら年収が一千万円を超えたという話、家業が製材業の若者が夏は四万十川でのアウトドア会社運営、冬は自伐型林業に取り組んだら劇的に収入が上がったという話など、「自伐型林業をやったら上手くいくので皆さん取り組みませんか」という内容だった。
事例を通して語られる「上手くいく」という中嶋さんの主張は、安月給の林業界の常識からすると「ほんまかいな」という夢のような話が多かった。独特の言い回しで熱く主張を繰り広げる中嶋さんは、世間から漏れ聞こえてくる良からぬ噂のイメージ程の悪印象はなく、正義感、使命感に突き動かされ立ち上がった社会活動家という感じだった。自信を持って語られる山間部のサクセスストーリーにも引き込まれた。
一方で、それと並立して語られる現行林業への批判を聞きながら、「もう少し勉強したら良いのにな、もう少し違う見方をして、敵対せずに、仲良くやればもっと上手くいくのではないのかな」と、何となくモヤモヤした気持ちが芽生えた。その後の視察行程の中で、夢のような話の主人公たちの生の姿にも触れたが、モヤモヤは晴れなかった。今思えばそのモヤモヤは本質的なテーマで、それから今に至るまで継続して私の日常のテーマになっていった。
シマントモリモリ団
視察旅行二日目の午後、その日の宿泊先「川辺のコテージ」という民宿の人がバスに乗り込んできた。三十代だと思われるその人はスポーツマン風で笑顔の良い爽やかな青年だった。そして、その青年も自伐型林業に取り組んでいるとのことだった。その青年の名は、宮崎聖せいさん。シマントモリモリ団というグループのリーダーだという。
「シマントモリモリ団!」あの「ぐりーんもあ」の副業型自伐型林業のテーマで取り上げられていた人だ。宮崎さんの奥さんが、奈良県からの視察団だったら同じ誌面に取り上げられた私も来るのではと認識してくれていて、到着後の懇親会では、思わぬ出会いにお互い「おーっ」となり、話は盛り上がっていった。
奈良県からは同世代の岡橋一嘉さんや柏田久朋さん、シマントモリモリ団のメンバーの若いご夫婦も参加していて、林業界にしては比較的若い世代で楽しい林業談義に花が咲き、記憶がなくなる位深夜まで飲み明かした。宮崎さんは自伐型林業がいかに素晴らしいかを熱っぽく語っていた。
翌朝はシマントモリモリ団の開設した作業道を見学し、その後、近くのリゾート施設に導入されたという薪ボイラーを見学した。黄色と黒のボディの薪ボイラーは国産にしてはカッコよかった。自分たちで丸太の販売先を作るために宮崎さんがリゾート施設に売り込んだそうだ。
現場からの帰りに軽トラックに1メートルに小伐った丸太を載せて帰ると飲み代位は稼げるのだと宮崎さんは語っていた。当時の自分には、自分で丸太の販売先を作るという発想はなかったので、宮崎さんは偉いなと思った。
視察旅行を通じて、モヤモヤを伴いながらも自伐型林業の面白さに惹かれていくのだった。
シマントモリモリ団の中村聖さん
さとびごころVOL.43 2020 autumn掲載