この記事はさとびごころVOL.48 2022 winterよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
村外山林所有者「山主」が、山林所在の住民「山守」に、森林の保護管理を委託した山守制度。その伝統がゆらぐ時代に、次世代山主が新しい「森とともに生きる」を模索します。
いざ恋する豚研究所へ
参議院会館での自伐型林業フォーラムで林業に挑戦する社会福祉法人福祉楽団の存在を知った私は、その後まもなく上京、千葉県香取市にある福祉楽団が経営する「恋する豚研究所」を訪ねた。福祉楽団での実践が都市林業システムの核になる取組みを構築するためのベストプラクティスでないかと直感したからだ。
東京駅八重洲口から高速バスに乗り一路東へ約1時間半、成田国際空港からほど近い香取市は、一面に農地が広がっているような場所だった。東京駅から約二時間以内の場所と言えばちょっとした都会で、幹線道路沿いには大手スーパーや飲食店、コンビニエンスストアが立ち並ぶような雑多な風景を予想していたが、意外にも牧歌的でのどかな地域だった。
バス停までは福祉楽団の代表、飯田大輔さんが迎えに来てくれた。その車中にて、飯田さんのこれまでを聞いた。東京農業大学を卒業した後、お母さんが社会福祉法人の設立と特別養護老人ホームの開設準備中に志半ばにして病気で亡くなられたこと。家族会議で行われたくじ引きでその遺志を引き継ぐことになったこと。若くして特別養護老人ホームの施設長になり、部下の専門職である看護師や介護士などと対等に渡り合うため再び大学に行き、介護や看護を学んだこと。高齢者や障害者の福祉施設を運営しながら、千葉大の社会学者広井良則教授の元で公共政策を学んだこと。
(結構、苦労してこられたのだな)。一見スマートに見える飯田さんが、意図せず迷い込んだ世界で、必死にもがきながら生きてきたであろうそのバックグランドに驚いた。自分のこれまでの物語と少しシンクロし、親しみを覚えた。
ひとしきり話し込んでいると木製の壁におしゃれな字体で「恋する豚研究所」と書かれたサインが現れた。その奥には、臙脂色の屋根に優しいピンク色の壁のおしゃれな2階建ての建物と、駐車場から2階に上るバリアフリーの白いスロープが見えた。建物の前には芝生の広場があり、その周囲を針葉樹の林や広がる一面の農地が囲み、緑と茶色と青空の中で臙脂色の屋根が引き立ち、まさに地域のランドマークになりそうな存在感があった。
「かっこいい。陽楽の森にこんな建物が建ったら良いな」と、素直に思った。到着が昼時だったので「まずはレストランで食事しましょう」となり、レストランのある2階に向った。階段を上がると、恋する豚研究所とラッピングされた豚肉やハム、ソーセージだけでなく、地域で生産されたジャムやポン酢等オシャレなパッケージの農産物の商品が並べられた物販店があり、牧歌的な音楽がかかっていてかっこよく演出されていた。
障害をもったドアマンが迎え入れてくれ、奥の席に通された。座ってメニューに目を通していると「豚しゃぶ定食がお勧めですよ。ちょっと事務所で急用が出来たので、これでも見ながら少し待っていてください」と言ってB5 判の冊子を手渡し、飯田さんは席をたって行かれた。
福祉楽団のコンセプトブック
冊子の表紙には団地らしき建物の写真と「コミュニティからイノベーションをおこすあたらしい仕事」と書かれていた。ページをめくると、写真、挿絵、装丁デザイン、コピーが福祉施設のものとは思えないコンセプシャルなものだった。
まず、その町の風景写真と「私たちの仕事は地域にある」との言葉。「地域の声。それは暮らしを楽しくするヒント。かっこよく言えば、イノベーションの種。地域の未来を他人まかせにしない。そこに暮らす人々と向かい合って、失敗をおそれず、とりあえずやってみる。それが、私たち福祉楽団の仕事です。」と書かれていた。
さらにページをめくると、飯田さんの大きなポートレート写真、「地域に出て、挑戦する新しい福祉の仕事」というタイトルに続き飯田さんの思いが綴られていた。さらには、ランドマークになった「恋する豚研究所」の建物を設計したアトリエ・ワンの建築家塚本由晴さんの「地域に開かれた暮らしが重なり合う場所」というインタビュー記事、「恋する豚プロジェクト」や「里山はたらくプロジェクト」のことが掲載されていた。選択される言葉の数々に共感を覚えた。
記事の中で飯田さんは、「農業も福祉も経済も、もっと言えば文学も法学も哲学も、みんなつながっている。そんな確信があります。それは、創造的なつながり」と述べる。
荒れた里山や、障害者の活動の場所がないという地域課題を解決するために行うのが里山はたらくプロジェクトだ。高齢者や障害者との協働によって地域の里山の間伐が行われ、伐採した木を薪にしてエネルギー利用することで、元々の課題を解決した上に地域のエネルギーを考えるきっかけまでつなげてしまう。そうして「開かれた福祉」を行うことで、地域の人々や自然とのつながりを創り出し、地域社会をより良い状態に導く。
そんなつながりを創り出すのは、ゼネラリストとしての福祉職、つまり専門的な知識を核にしつつも様々な分野を総合的に考えることのできる人材。そんな人材に挑戦の機会を保障しつづけるのが福祉楽団の姿勢なのだとあった。
強い共感とパラダイムシフト
そこには、福祉を起点により良い地域経営をめざすという視点があった。地域課題を発見し、農業や林業と掛け合わせた様々なプロジェクトを起こし、建築物を建て開きながら地域をケアし、自分たちもケアされる。飯田さんは、単なる福祉の人ではなく、地域経営を考えている。
よく考えると自分の生家谷家のかつての姿とリンクした。戦前は地域の大地主、大旦那として存在し地域経営を担った。戦後は農地解放などの社会改革もあって大旦那としての役割は無くなったが、醤油醸造や不動産業などで雇用を創出し地域に貢献した。その一つとして林業にも関わり、吉野山間部の山守による林業経営に投資し山間部の地域経営にも貢献した。記憶の片隅にあった天川村の奥地に大造林を成し遂げた曽祖父を賞賛する新聞記事が頭をよぎった。
自分自身は、谷家の経営状況が時代の流れの中で悪化する時期を経験し、立て直しのために多くの時間と労力を費やしたので「俺の青春を返せ」と過去の谷家の運営に対してネガティブな気持ちを持っていた。
飯田さんの記事に対する共感は、自分のルーツの本質が地域経営者にあるからなのかもしれないと思った。林業に対するチャレンジを始めて以来、自分は林業家だと定義づけてきたが、それは間違っているのかもしれない。自身の定義づけを「地域経営者」に変える必要があるのかもしれない。定義づけを変えることで、今林業家としてぶつかっている壁を乗り越えることが出来るのではないかというワクワク感と、新たに加わった大テーマを成し遂げるために立ちふさがる大きな壁を思い、絶望感が交錯した。スゴロクに例えると「振り出しに戻る」というような気持ちになり愕然とした。
ひとしきりすると飯田さんが用事を済ませて帰ってきて、一緒に豚しゃぶ定食を食べた。その後は、恋する豚研究所の施設と事務所を案内していただいた。
そこで、私は冊子で見たもうひとつの印象深い記事、アトリエ・ワンの塚本由晴さんのコンセプトを、実際の建造物を通じて体感することになった。
さとびごころVOL.48 2022 winter掲載