この記事はさとびごころVOL.39 2019 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
村外山林所有者「山主」が、山林所在の住民「山守」に、森林の保護管理を委託した山守制度。その伝統がゆらぐ時代に、次世代山主が新しい「森とともに生きる」を模索します。
陽楽の森
奈良県北葛城郡王寺町畠田地区、上牧町下牧地区と市町村境界をまたいだ所に、谷林業の所有する山林がある。王寺町畠田2丁目84番1。小字が陽楽という。JR 王寺駅よりJR 和歌山線で和歌山方面に一駅先の畠田駅より徒歩約10分。県道桜井田原本王寺線に隣接している。山林といっても小高い丘の様なもので、標高も数十メートルといったところだ。周囲は道路と住宅地で囲まれており、都会の中の浮島の様な存在。何の変哲もない只の雑木林だ。かつて、京都大学の著名な先生が早く育つ木の実験で植えたテーダマツや多くの里山林を彩るコナラやクヌギ等が生え繁る森だ。
かつて私は、この陽楽の森を借入金の整理の為に売却の対象にしていた。土地家屋調査士に境界確定測量を依頼し、売却に備えていた。測量の為の下草刈りを行った時には、陽楽の森という名前からは想像もつかないような、竹のように太く固いササが数メートル先も見えない位生え茂っていて、人が入ってくるのを拒むような真暗い森だった。借入金の返済が最優先課題だったので、売却先が見つかるのを心待ちにしていた。
何か縁があるのか不思議なことに陽楽の森の売却先の話が来たのは平成19年の夏頃の事。他の不動産が売却できた事によって、約十年かけて取り組んだ借入金整理の課題が解決した直後だった。
ここで事業を経営する立場として迷ったのは、陽楽の森を売却するかどうかということだった。事業整理が一段落し、売却する必要はなくなった。売却して出来たお金で立地の良いところに不動産を買って賃料収入を得る方が良いのではないかということも考えた。しかし、私の知っている著名な林業家の方々と我が谷林業を比較して考えた時に、唯一自己主張できるのが都会に山を持っているということだった。その中でも、陽楽の森は駅からも近く、幹線道路に隣接している。この都会の山を何かに活かす事業展開を考える事で新しい境地を目指そうと思い、売却しないことに決めた。一縷の望みに賭けてみよう。
さらに、陽楽の山林の裾には、かつて富士生コンという生コン会社が使っていた1haに及ぶ広大な生コンプラント跡地がある。当時は、平野クレーンというクレーン会社の車両基地になっていた。丁度陽楽の森を持つことに決めた頃、この生コンプラント跡地が売りにでた。8000万円。めちゃくちゃ迷った挙句に二度とない機会、もしかすると千載一遇のチャンスかもしれないと購入を決めた。
陽楽の森は売らず、広大な生コン跡地も取得。気合いを入れて取り組まなければならないと、森林ボランティアの采女さんに助けてもらい森林整備を行ったり、県道から自動車で山頂まで行けるようにアクセス道を取り付けたりした。
かつてから、環境教育のイベントで出会った環境教育の活動をされている林田弥生さんや、木工作家の粂川悟志さんらが陽楽の森を使って何度か森林でのイベントを行ってくれていた。都会で林業家が林業に取り組む森林で、一般の人も集って、森林での時間を楽しむこと。ツリークライミング、ツリーハウス、森のようちえん、カフェ、陽楽の森の中で人が楽しそうにしている様な光景が日常的になれば良いなと思っていた。そんな状況が陽楽の森をきっかけに各地に広がっていけば良いなと一人夢見ていた。
カフェナナツモリ
生コンプラント跡地を購入してからは、お尻に火が付いた。多額の投資に対して資産運用が出来ていなければ問題になる。最初は、コンビニエンスストアやファーストフード店等が借りてくれて一般的な資産運用位は簡単にできるのではないかと安易に考えていた。しかしそうは問屋がおろさず、借手はそう簡単には見つからなかった。最終的に近くの企業が倉庫として建物の一部を借りてくれたので最低限の賃料収入を得ることができ、投資対効果が出たので少し落ち着いた。何とかしなければならないという一心だった。
当時、自分の中で流行していたキーワードは「森里海連関」というもの。このキーワードを体現できるような森と里と海で連携した事業がないだろうかと考え、三重県の伊賀市で有名なもくもくファームという農業系のテーマパークの社長や、大阪の堺で有名な回転寿司の大紀水産の社長に出会いに行ったりした。「面白そうやけど、事業としてはよくわからないな。」という反応だった。それだけでしかなかった。
次に目をつけたのが、王寺町周辺でのビジネスの大成功モデルである虹の湯というスーパー銭湯。平成16年には、日本経済新聞のプラスワンという特集で全国一位をとった、スーパー銭湯の先駆けだ。生コンプラント跡地の購入を仲介してくれたみどりホームの竹田さんが、虹の湯の大原社長と面識があるということで是非お会いしたいと伝えた。その後ほどなくして、虹の湯の大原社長とみどりホームの竹田さんと、谷林業からは兼子さんが同行のもと、居酒屋で食事しながら話をした。話は虹の湯の大原社長の独壇場であった。大原社長は、密やかなるすごい人で、一世を風靡した喫茶店のテーブルにインベーダーゲームが内蔵されたゲーム機を開発した人であったということや、宅配ピザ事業を日本で2番目に奈良県で事業化するなど、数々のビジネスを成功させてきた武勇伝をもつ伝説の人なのだという。ちょっと、胡散臭ささも漂うが、集客ビジネスに長けた人という印象だった。
そんな話を一しきり聞いた後に、一冊のオシャレな透明のファイルが出てきた。「せや。これどうぞ。」黄色い丸の中に「ナナツモリ」と書いてある。すぐに「あれ?」と思った。ナナツモリと言えば、陽楽の山林の下にあるおしゃれなカフェの名前。陽楽の森にナナツモリという名前のカフェを作れというのか? まさか、パクれということ?どういうこと?「?」マークは脳内で点滅を繰り返した。
ナナツモリというカフェには、強い印象があった。吉野方面から帰宅する時に頻繁に通る道すがらにあるカフェだ。かつては、ボロボロの倉庫だった。元々、私は不動産には関心が強いので、「こんなん僕やったら解体してしまうけどな」と誰かと道すがらに話をしたことがあった建物だ。それが、ある日突然真っ白に塗り変えられていて、鮮やかなピンク色の大きなリボンが掛けられていた。町中に突如大きなクリスマスプレゼントが登場した様な存在感のある演出。「すっごいセンスだな」と思った。
それから、奈良に来客があった折に一度店を訪れていた。確か、兵庫県の屈強な林業家の方とだったと思う。店内に入ると「女子の店」という感じ。ベレー帽をかぶったオシャレな女子がウエイトレスをしていて、おっさんが二人で入る店とは違うなと、場違いな印象を強く持った。オシャレなランチを近所のオシャレな女子達が食べに行く場所というところで、ランチプレートもいかにもオシャレだった。
そんなナナツモリというカフェの名前を使ったファイルを、オシャレとは程遠いどちらかと言えば胡散臭い大原社長が私に手渡してくれた。とてもアンバランスな感じでの? マークだったのだ。
ナナツモリファイル
何とも言えない心持ちで、ナナツモリのファイルを開けてみた。そこには、陽楽の森が私が想像しえない方法で私が望む様な世界を創っている様子が描かれていた。森の中に図書館をつくるとか、森の中でフェスを開催するとか、カフェがオープンしているとか。楽しそうだな。直感で「これは面白いな」と思った。
そうしてその後すぐに、ナナツモリを経営しているのは田村さんという若い夫婦で、虹の湯の大原社長が、私からの相談を受けて、ナナツモリの田村さんご夫妻にこの森を使って何をすれば良いか提案してあげてほしいと依頼してくれたのだとわかった。そして出来上がってきたのが、私の手に取っているファイルであることが分かった。
これをきっかけに、ナナツモリの田村さんご夫妻と出会うことになった。
平成25年3月頃。ナナツモリのご夫妻と出会う日。大原社長とみどりホーム竹田さん。谷林業からは、兼子さんと、森の幼稚園を大阪で運営している山中耕二郎さんと私で出向いた。場所は王寺町畠田のバラックの様な長屋の餃子屋。平成の時代にまだこんな店あるんという様な店だった。そこに現れたのはまさにオシャレなファッションに身を包んだ美男美女の夫婦。学校で一緒だったなら絶対に友達にならないだろうなという二人が現れたのだった。
さとびごころVOL.39 2019 autumn掲載