この記事はさとびごころVOL.30 2017 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
村外山林所有者「山主」が、山林所在の住民「山守」に、森林の保護管理を委託した山守制度。その伝統がゆらぐ時代に、次世代山主が新しい「森とともに生きる」を模索します。
ヘルマン・ヘッセと「道」
学生時代、海外の文学など読んだこともなく、まして哲学になど特に興味を持ったこともなかったのに、卒業間近に親しい友人から、なぜかヘルマン・ヘッセの詩集を読む事を薦められた。中でも「独り」という詩を読めという。
「地上には大小の道がたくさん通じている。しかし、みな目指すところは同じだ。馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くことも出来る。だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かねばならない。だから、どんなつらいことでもひとりでするということにまさる知恵もなければ、能力もない。」
色々な物に守られてきた学生時代から、新たな「道」を歩む、自立して社会人になるというタイミング。今思えばその友人も、一度大学を出て、新たに医者になる為の「道」を模索していた。順調に社会人生活を謳歌していく他の多くの友人を横目に、生徒会長まで勤め上げたその友人も迷っていたのだろう。そこに、就職活動が上手くいかず「道」に迷っている私が、当時の彼の状況とシンクロしたのかもしれない。
地上に大小あるという未知の「道」。「自分の行く道とはどんなのだろうな。」とても不安な気持ちで詩を読んだ。「道」という言葉が頭の中を去来し、心に残った。
道を入れる
私が、林業にチャレンジするに際して一番に取り組んだのは、山に通行する為の「道」を入れることだ。「道」を入れれば、車で現場に通えるし、伐採した木材をトラックで運べる。林業をするための手段、きっかけなると思い、「道」を習い始めた。
先生である岡橋清光林業清元会長にルートを決めてもらい、粗道を入れ、丸太組の構造物で仕上げていく。傾斜地の山林で開設するため、絶えず危険とは隣り合わせだ。一生懸命地道にバックホーを動かしていると、後ろには「道」がついていく。すごい達成感と、その山とすごく仲良くなったような気持ちになる。
「道」は山の裾から頂上に向かって開設していく。なだらかな尾根を利用して開設するヘアピンカーブは、高さを稼ぎ、道を頂上に導く為の技術だ。所々でぶつかる谷を越える為には洗い越しという工法を使う。急峻な山では、どうしてもルートが繋がりにくいポイントがある。それを繋げていくための工法を、どのくらい持っているかが路網技術者の腕を決める。
岡橋会長に行く方向を示してもらい、教わった方法を試し、失敗を繰り返しながら自ら切り拓いていく。多くを経験しながら、難しい問題を乗り越える方法や心持ちを知っていく。「道」を入れることは、人生の道に似ているのかもしれない。
道が何かを変えていく
作業道を開設することによって、色々な事が変わった。自分の心や行動が変わった。歩いて行くと1時間半もかかる為、数年に一度位しか行かない山に、何回も行くようになった。何回も行く為、どこにどんな木が生えているのか分かるようになった。そのため、今では道を自動車で走る車窓からの風景が頭の中にイメージできる。次はいつ頃どの作業をしようかとか、どの位伐採すればどの位の収入が生み出されるのかというイメージもできるようになった。
自動車に乗って行けるため、林業に興味や関心のある人を案内する回数が飛躍的に増えた。建築家等林業に直接関係のある人は勿論、地域おこしに関わる人、学生、障がい者福祉に携わる人、森林ボランティアの人、高齢者など林業に全く縁のない人を案内する。作業道は急勾配な為、一般の人は普段走らない様な道を走り、大騒ぎをする。林業という普段人目に触れない職業も、道のお陰で多くの人の興味の対象になる。走りながらバックホーに乗って道を入れる事の楽しさを伝えると、自分もやりたいと言い出す方までいる。
都市近郊の山では、道が入ったことで、イベントが開催されたり、障がい者福祉施設や地元の幼稚園や保育園の子供たちの活動の場所にもなって来た。始めた頃は、「独り」だったが、今は大勢の志を共にしてくれる仲間が出来た。「道」は、何かを変え、関係が無限に広がる可能性を示してくれている。
大橋式作業道
私が教えていただいた「道」は、大橋式作業道と名付けられた作業道の一つの規格だ。その規格は、岡橋さん御兄弟の師匠である大橋慶三郎さんが大阪府の千早赤阪村にある所有林で独自に編み出された規格であり、各地の弟子たちにも伝播し、長い年月をかけて技術的に熟成されてきた。大橋式作業道は植物の葉っぱの葉脈を参考に設計されている。葉っぱの中心脈に当る幹線を山の一番の敵とな水の影響の少ない尾根を中心に開設し、そこから平行脈や網状脈に当る支線やひげ道を開設する。出来るだけ山全体に管理が行き届く様に高密に開設される。まさに、自然の道理に沿って考えられた通行する道だ。
私は岡橋さんの師匠大橋慶三郎さんという人に、2回ほど出会っただけで、深い言葉を交わしたことは一度もない。私は昨年の末より、時折参加する研究会で人間学を学んでいる。『論語』等の中国古典や安岡正篤の『東洋倫理学概論』なる本を読むのだが、そこで私淑するという言葉を学んだ。「直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと」という意味だ。私淑するという言葉に触れ、かつて読んだ自分の導師である岡橋さんの師匠大橋さんの著書を今再び読み返してみた。
かつては作業道開設技術論に目を奪われていたが、今回は、「調和すること、時が大切だということ、身の丈にあっていることが大事だ」という教えが、実はものすごく本質的な意味をもつことが分かってきた。この本に書かれていることは、もはや技術論ではなく、むしろ哲学であった。
これから歩む未知なる「道」
大橋さんの著書『道づくりのすべて』の最初のページは「道生萬物(道は萬物を生ず。)」という言葉で始まっている。これは中国の古典の『老子』の中の言葉だという。
「道一を生ず、一は二を生ず。二は三を生ず。三は萬物を生ず。」
道が萬物を生み出す過程は、まず元気を生ずる、その元気は陰と陽を生ずる、陰と陽が感応し、湧き起こる気を生ずる。その湧き起こる気が萬物を生ずるのだという。「道生萬物」…確かに道は萬物を生み出すきっかけになっている。
学生時代の最後の時期に感じた不安。まだ見ぬ未知なる人生の「道」は、運よく大橋式作業道と出会うことで具現化した。その具現化した「道」は林業におけるとても重要な要素であり、その仕事に取り組んでいく上での大きな意義を持つ。かつて未知で不安だった当時の私の「道」は、時を経た今確かに「道」として後ろに出来てきている。道を入れたことにより色々な出来事が起こり、私だけでなく出会った多くの人に変化をもたらしている。
古から人間が歩んできた何か根底に流れる道理や筋道などの「道」は、我々の先人が長らくつないできた「道」と、我々が歩んできてこれから歩む「道」が繋がるきっかけになりそうだ。かつてから私を悩ませてきた全体的な不調和が自分の中で今、調和しようとしている。
これから我々が開設し、進む道は、どこに通ずるのか。遠くに見えているおぼろげな光を目指し、これからも一歩ずつ着実に歩んでいきたい。
作業道を開設した当時、岡橋会長が「谷君、一緒に『道』やろうな」とよく言ってくれた。始めて大橋式作業道に触れた平成22年11月から6年と半年あまり経った今。「道をやる」という言葉に、当時にない深みを感じている。
【谷林業】吉野の5 大林業家のひとつ。中近世以来、現在の王寺町の大地主として山林管理を手がける。2011 年、老舗でありながらベンチャー企業として「谷林業株式会社」と改称。若手人材の育成や、新規事業の立ち上げなどを展開している。奈良県北葛城郡王寺町本町2-16-36 TEL 0745 – 72 – 2036
さとびごころVOL.30 2017 summer掲載