この記事はさとびごころVOL.51 2022 autumよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
「身の丈起業」、「身の丈しごと」などの取り組みを地味~に行っております。前回まで本をヒントに「身の丈しごと」に関する話を書いてきましたが、今回は第2 回コラムで一言だけ触れた私の体験談を取り上げます。
私は2008 年から、ある経済団体から大学へ依頼された「人口減少社会における新しい地域づくり」の研究に携わっていました。研究は、都市と農山村両側の視点から行うこととなり、私は農山村視点を担当するとともに、都市を含めた全体の取りまとめも行うこととなりました。
事件は中間発表の場で起こりました。聴衆は20人ほどの大手企業管理職の方々です。まず都市の研究者が、これからの都市計画の視点について話し、次に私が農山村の現状と将来の危険性について話しました。その後の質疑応答で私は唖然としてしまいました。
「日本に農山村は必要なんですか?農産物のGDP は数%なのだから、本研究の農山村の記述も数%でよいのでは?」他にも農山村軽視の意見は多数出ました。企業の立場としては、農山村はお荷物だから報告書に入れてほしくない、との様子。もっとも、これをきっかけに「都市と農山村の持ちつ持たれつの関係性」も研究することになり、それはそれで有意義だったのですが…。
最終的には、都市と農山村の記述を半分ずつ書いた報告書を何とかまとめ、最終発表も何とか終えたものの、GDPで農山村を語る人に響くことはないだろうな、と思えました。発表後に懇親会が組まれ、酒の席で出た本音に私は再び唖然としてしまいました。「発表ではきついこと言ってすまない。実は自分の生まれは農家で、本当は自分も農山村の問題を切実に感じている」と。つまり、大企業の立場では「農山村不要」と発言せざるを得ないが、個人の立場では「農山村をなんとかしたい」と思っていたというのです。(この人、本当は分かってたんだ!)と嬉しく思う一方、(想いと反対のことを言わされる仕事って一体…)と、世の不調和の一因を見た気がしました。
ガンジーの名言の一つに「思考、発言、行動が調和していると幸せである」というのがあります。身の丈でいることの意義は、この調和を保つことでもあるのだろう、と感じた体験でした。
さとびごころVOL.51 2022 autum 掲載
戸上昭司(とがみしょうじ)
NPO法人起業支援ネットほか(多足の草鞋)
1973年大阪身の丈しごと研究室 #14 身の丈起業のプロセスを読み解く(下)生まれ。神戸、名古屋、福島、釜石と渡り歩き、2015年に奈良に落ち着きました。「理念」と「身の丈」を両軸に、仕事起こし、自分起こし、地域起こしのお手伝いをしています。