この記事はさとびごころVOL.43 2020 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
4歳で発達障害の診断をもらい、小学校2年生になった息子へ。
ぽろぽろと涙を流しながら「パパ…隕石が落ちてきたらみんなしむの?」と息子が尋ねてくる。「しむ?死ぬかってこと?」僕が聞き返すと「だって恐竜もそれで死んだんやろ?」。
どうやら映画館で見たドラえもんにそんなシーンがあったようだ。こんな時、僕はできるだけ具体的に、嘘の無いように答える。「大きな隕石が落ちたらたくさん死ぬかもね。でも何千万年も落ちてないし、NASA って知ってる?アメリカで宇宙を調べてるところがあって、隕石が地球に近づいてきたらわかるみたいよ。いざとなったらミサイルで隕石を粉々にするらしいし。どう?安心した?」後半は眉唾ものだが、真剣に伝えてみる。「まぁ少しはわかった…じゃあ大丈夫なんやね」と息子。
しかし翌日「パパ、隕石落ちてきたらどうしよう…」と泣くのだ。それから何度も同じ説明をして、最終的には「隕石は落ちない! 起こるかどうかわからんこと心配せんと楽しく暮らせ! 」と身も蓋もない言葉をぶつけて、いつの間にか息子は隕石を忘れたようだ。「子どもの可愛い不安なんてちょろいもんよ!」そう軽く考えていた。
しばらくして、小学校で友達の話し声がうるさく、耐えきれず泣いてしまったと息子が言う。元々音に敏感ではあったが、それほど心配していなかった。しかーし翌日、また同じ状況で泣いてしまい、耳をふさいで過ごしているという。さすがに異変に気づいた僕は、友人の息子さんが、耳当てをして学校に行っていたことを思い出す。すぐに電話をしてアドバイスをいただき、我が家でもエメラルドグリーンの耳当てを買って、息子に持たせた。数ヶ月後、息子は耳当てをしなくなった。いざという時のミサイルのごとく、耳当てがあるだけで声が気にならなくなったようだ。
最近不安なことある?という僕の問いかけに「夢でな、毒みたいなのがあって、それを踏んでしまうけど、しまへんねん」。
死なへんか。よしよし、ちょろいやつだ。
さとびごころVOL.43 2020 autumn掲載
文・都甲ユウタ(フォトグラファー)