この記事はさとびごころVOL.43 2020 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
絶好調だね!と言われる
本稿前々回で、岡橋清隆さんが「山守になる」という趣旨の宣言をされたことについて触れた。私はその宣言に発奮し、「それでは、当協会(大和協)は、不良資産化してしまった森林の所有者達のよろず相談所となるプラットホームを具現化することに注力しよう。それが岡橋さんをリーダーに育ってくる未来の山守さんたちの事業基盤にもなるように、さらに、森林所有者と山守のマッチングを行い、森林を中心とする持続可能な社会システム構築のきっかけになれば」と思って日々取り組んできた。
今春からは金融機関勤務や政治家秘書の経験を持つ伊藤典明さんをコアメンバーに、林野庁OBの石田英夫さんを顧問に迎え、さらなるギアチェンジをして半年間、無我夢中の日々を過ごしてきた。そして、環境省の地域ESG金融の事業を奈良中央信用金庫さんと一緒に取り組ませていただくことになったり、十年来の友人の山中耕二郎さんのヨーロッパへの木材輸出の取り組みが、大和協を事業主体として林野庁の輸出事業に採択されたり、複数の市町村から地域林政アドバイザーの仕事を受託したり、吉野の山林所有者有志の方々との懇談会(仮称吉野山主有志の会)の事務局を務めたり、谷林業所有の陽楽の森がセブンイレブン記念財団からセブンの森指定を受ける内定が出るなど、大きなものから小さなものまで少しずつ成果を積み上げてきた。
大和協の理事長をお願いしている泉英二先生(愛媛大学名誉教授)をして「大和協は絶好調だね!」と言わせるほどの状況に、思えば遠くにきたもんだとホッと胸を撫でおろしつつ、その先の大和協の目指す社会システムの構築という淡い夢を思い描く半面、「このまま上手くいくとは思えないな」と心の底では一抹の不安を感じていた。
チャンスはピンチ。思わぬ落とし穴。
令和元年12月、吉野の山林所有者有志の方々と岡橋さん、岡橋さんを慕って林業にチャレンジしている若者や谷林業の若者たちと川上村、天川村で一泊二日の合宿をした。岡橋さんの作業道を視察し、それに熱心に取り組む若者たちと山主たちが懇親し、これからの吉野林業を考え、現場レベルでの岡橋さんの構想を語ってもらった。そこで、参加した山主らの所有山林が集まっている川上村井戸地区で、一度チャレンジプログラムを作ってみようという事になった。
そして、半年後の山林所有者有志の方々の集まりの場で、「農林中金の森力(もりぢから)助成金の応募が開始されるのでチャレンジしてみないか」と今思えば無邪気に気軽に提案した。
岡橋さんによる井戸地区対象山林の作業道ルート踏査、泉先生による助成金応募申請書の文章作りなどが進み、後は収支予算を残すばかりとなり、それを私が担当することになった。
前回までに書いたように、昨年の秋から森林総合監理士や森林施業プランナーのスカイプ勉強会を主催し、半年以上にわたって机上ではあるが勉強してきたので、丁度良い腕試しの機会だし、それなりに何とか出来るだろうという希望的観測を持っていた。それが、フタをあければ大苦戦。目の前にある森林作業道の踏査ルートの作業道を開設するのに、事業費の積算をどのようにしたら良いのかわからない。どの位の期間で、どの様な布陣で挑めば出来上がるのかわからない。その作業道開設事業に付随してやらなければならない間伐事業は、作業道からどの位の範囲の木を搬出して売却できるのか、そこからどの位の売上げが見込めるのか、造林補助金はどの位の金額支給されるのか等、いざ現場レベルに落とす際に全く見当のつかない自分がいた。(つづく)
さとびごころVOL.43 2020 autumn掲載