この記事はさとびごころVOL.39 2019 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
あれ?と気づいたら、200コ近くの世界の国旗を覚えていた。6歳の息子のことだ。足し算・引き算への集中力は凄まじく、通っているバスケットボールの練習では監督の話を聞かず、終始うわの空を貫いている。
3歳の頃には、彼の独特な仕草が目につくことが多くなっていた。妻も同じように感じていたようで、お互い注意深く息子を観察するようになった。ギロッと横目でものを見る。つま先立ちばかりで歩く。耳が聞こえていないのかと思うほどこちらの呼びかけに応えない。歳の近い子が近くにいても、関わることはなく一人遊びしかしない。
僕も妻も、こりゃなんか普通ではないのかも?でも子どもってこんなものじゃない?と考えはグルグル回るばかりで、もんもんとする日々が続いていた。
ある日、息子が風邪をひいたか何かで、近くの診療所に連れて行くことになった。息子は病院が嫌いでビックリするほど泣く。その日も先生に呼ばれ、診察室に入った途端に泣き始めた。あらら、といつものように息子をなだめていると「もうリハビリセンターには行ってるの?」と唐突に先生が言う。
「は?リハビリ?」言っていることがわからない僕に「その子、発達障害でしょう」。わずかばかり、目の前が暗くなる。
「…いや先生、この子、病院が怖くて泣いてるだけなんです」と強めに僕が返すと「いやいや、全然違うよ。紹介状書くからリハビリセンターに行ってください」。
おいおいおい。グルグル回っていた考えをビタッと止められた。もしかしてと思っていた予感をさらっと宣告されたのだ。決めつける先生に軽い苛立ちを覚えるも、宣告は青天の霹靂でもなく、すでに曇天の雨模様の僕ら夫婦からすると、雷注意報はどこか、ありがたくもあった。はっきりさせたかったんだと思う。
息子は発達障害だった。リハビリセンターを訪ねてから正確な診断が出るまでに1年以上の時間が必要だった。4歳で診断をもらい、今年から小学校へ行き始めた息子はいつも楽しそうだ。汗だくで遊んでいるようだし、勉強も楽しそう。これからの生活で、もしかしたら自分の特性で悩む日が来るかもしれない。そんな時が来たら、息子に伝えたいことがある。それをここに書いていきたいと思う。
日々、規格外の成長をする君の写真と一緒にね。
さとびごころVOL.39 2019 autumn掲載
文・都甲ユウタ(フォトグラファー)