この記事はさとびごころVOL.51 2022 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
4歳で発達障害の診断をもらい、小学校4年生にして足のサイズが母を超えちゃった息子へ。
息子の体や心の成長を実感することが増えてきた。
通っている習い事がオンラインになり、画面の中の友達が「夏休みの自由研究なにやった?」と息子に尋ねてきた。「え? いや…」と答えに詰まった息子は、近くにいたぼくに小声で「いいたくない! 恥ずかしい! 」と涙目で訴えてきた。
彼の自由研究は近鉄電車の駅名一覧を書き、アナウンスを文字起こししたものだった。ぼくはその自由研究が大好きだった。漢字を書くことが苦手で心底嫌いな息子が「これは一生書きたい!」と楽しそうに書いた”好き” が詰まった成果だったからだ。その場ではなんとなく言葉を濁して質問をやり過ごした息子に「自分が好きでやってることを恥ずかしがる必要はないよ。びっくりするくらい誰も興味持ってないから」と、人目を気にしてもあまり意味がないことを伝えてみた。「わかった」といつも小さくうなずき一言で片付ける。わかるけどやっぱり恥ずかしい、という表情だ。
他人から見ると、自分のこの行動は恥ずかしいのではないか? そんな感情を息子が持つとは思っていなかった。発達障害の特性としてよく挙げられる「社会性の欠如」や「場の空気が読めない」とはそういうことではなかったのかな。近頃、友達の前では「パパ」ではなく「おとうさん」とわざわざ言い換えている様子を見て、自分と他人の違いを認識して、多数に合わせるということをしているようだ。
電車が好きなことは学校では誰にも言ってないそう。学校から帰って駆け込んだトイレからぶつぶつ聞こえてくる車内放送には笑った。そのまま好きなことを貫いていってほしいが、確かに熱中しすぎて周りが見えなくなっていることがよくある。一生書く宣言をした駅名を書くための、えんぴつと消しゴムを、何度も補充してきた筆箱がついに丸ごと無くなった。これは恥ずかしいよ。
さとびごころVOL.51 2022 autumn掲載
文・都甲ユウタ(フォトグラファー)