この記事はさとびごころVOL.51 2022 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
三浦雅之&阿南セイコがゲストをお迎えしてインタビューする連載
GUEST 野村武司さん(「ナチュラ」オーナーシェフ)
HOST 三浦雅之・阿南セイコ
家族を一人待つ小学生
阿南:「風は奈良から」へようこそ。イタリアン&四川料理レストランのオーナーシェフにしてファーマー、野村武司さんが今回のゲストです。
三浦:奈良を代表する名店、ナチュラさん。実は野村さんは、前職のイタリアンレストラン店長のときから、先駆的に地元の野菜を使っていらっしゃいました。今日は奈良の風味のお話ができればと思います。その前に、僕もそうなんですけど、奈良の人のようで県外出身なんですよね。
野村:大阪出身です。2003年に当時勤めていた会社から奈良に出店するからと辞令がでまして。正直なところ「奈良か…(がっかり)」と思いながら、すでに妻日奈子と結婚していて、3人目の子供もお腹にいるときでしたが、いっしょに奈良へ来ました。
阿南:子どもの頃から料理人になりたいとの思いがおありでしたか。
野村:全くないです。
三浦:え? それは初耳。
野村:小学生くらいのころ、両親は共働きで帰りが遅く、年が離れた姉が二人いたけどアルバイトなどで遅く、家で一人で待っていることが多かったんです。それじゃあ、お米でも炊いておこうかと。ちょっとずつ料理をすると、たわいのないものでも「ありがとう」と言ってもらえるのが嬉しかった。小中学校時代はやんちゃで、遊ぶのが大好き。高校時代にアルバイトしていたガソリンスタンドでは、時給とは別に物販が歩合制で楽しかった。社員より売ってましたよ。だから営業や広告に興味がありました。それなりの進学校でしたが、大学は一浪の末にダメで。じゃあどうしようと思ったとき、「手に職」しかない、何があるんだろう、自分でできることは?と思い、日本料理の店に見習いで飛び込みました。飲食の世界に入った時点で、「地元大阪で」自分の店を開きたいという気持ちはありました。一番ペーペーですから、みなさんのまかないのご飯を作るんですよ。その中で中華を作ると、珍しくて喜ばれたのが嬉しかった。それで次は四川料理のお店に飛び込みました。21歳でした。
5年ほど勤めたとき、料理の鉄人という番組を見て、イタリア料理に興味を持ったんです。ちょうど募集があったイタリアンのお店でアルバイト。そこに先輩としていたのが日奈子でした。
一度本場で働こうと、アルバイトで貯めたお金で2ヶ月くらいイタリアへ滞在したことがあります。帰国してからは、最新のイタリアンが知りたくて、元の会社とは別の店に就職し4年ほどたって、現実的に独立を考え始めると「料理ばかりしていても無理だろうな」と思いました。交際中の日奈子がいる元の会社は将来独立を目指すような人が集まるところだった。そこで、社長に会わせてもらい、経営を学ぶ意識をもって就職しました。
三浦:その頃の野村さんはすでにシェフとして大きな戦力ですよね。
野村:イタリア部門の本店である心斎橋の店で働きました。辞令を受けたのは、その後です。
阿南:少しがっかりしながらの移動を経て、奈良の食材に目覚めていかれる経緯や、果ては自ら畑をされるようになるまでのところを伺いたいです。
宝石のような丸ナスを知る
野村:奈良の店は、イタリアンパスタもあれば和風パスタもあり全部で20種類くらいから選べるようになっていました。一日400から500人の来客があり、開店から閉店まで、クローズなしでオーダーが通り放し。それが一年くらいたつと、高の原、登美ケ丘、大和郡山と近隣地域に大型のショッピングモールが増えていき、業績が目減りしていきました。「このままでいいのかな」と思い始めたそんなとき。隣の店が焼肉屋で、店長どうし仲が良かったN くんが「家業を継ぐから、店を辞める」と言いました。聞けば、「野菜作ってんねん。また持ってくるわ」と軽い感じだった。そして持ってきてくれたのが丸ナスだったんです。
実はN くんのお父さんは、大和郡山の丸ナスを有名にする取り組みをされた方です。それまでは、野菜って前日にファックスで注文したら次の日に届けてもらうもので、どちらかというと添え物という意識がありました。でも、「大和の丸ナスやねん、皮も食べられるからな」と言われたそれは、ツヤツヤで、ハウスで育てているので皮が薄くて、食べてみたらめちゃくちゃ美味しくて。訪ねてみたら、店からバイクで10分ほどで行ける距離だったんです。ハウスの中では、僕の身長(190㎝の長身)ほどのナスが宝石のようにキラキラとしてるんですよね。収穫させてもらったらもう、とげとげが痛くて。こうやってナスができてるんやと、初めて知りました。それでナスを使ったメニューを作り、出したらお客さんにも喜ばれ。そこからN くんとはさらに仲良くなって、いちご、しいたけ、ぶどうなど、年齢の近い、いろんな農家さんたちから「ウチもおいでや」と声をかけてもらいました。それからは朝の仕込みをスタッフに任せて毎朝、あちこちの農家へ行くということが始まったんです。そこで何か仕入れて持ち帰りました。開店から3 年くらいたっていたように思います。
衝撃の農家レストラン
野村:時を同じくして、人づてに「郊外に、野菜に特化したレストランがある。野菜に興味があるなら行ってみたら」って聞いたんです。それが清澄の里、粟さんでした。
三浦:僕たちも夫妻の来店のことは鮮烈に記憶しています。
野村:こんなにも野菜を全面に押し出して料理が出てくるなんて。衝撃でした。なんてすごいお店があるんだろう。こんなに美味しく楽しく提供できるんだと。しかも料理の専門家でなかった人が。そのとき、大和の伝統野菜というキーワードもいただきました。
そこから一年発起、もっと奈良を知ろうと。店は年中無休でしたが、休みの合うスタッフをあちこちの農場へ連れていきました。
三浦:実は野村さんは、奈良の食の価値に気づくパイオニアなんです。僕らは若干農家気質なんですけど、野村さんのベースはやっぱりシェフ。大和野菜をイタリアンで表現し、さらにお酒もそうですし、奈良以外のものも含めて次々と食材を発掘して発信されていますよね。その行動力もすごいなあ。
食いだおれの街から来た二人がなぜ奈良だったのか、あらためて聞かせてください。
奈良で独立するのは必然
野村:それはご縁だと思います。丸ナスのN くんも、嫌なやつだったら仕入れていなかったと思うし、今もそう。すべてにおいて足を運んでいた訳は、会って、シンパシーを感じるものがないと使いたくないからなんです。いっしょにお手伝いして、何かやることによって共感が生まれます。スタッフを連れていくことで同じ目線で見れるようになる。それをサービスでどう伝えるのか。そんなふうに縁を結んで感じれたのが奈良。大阪にいたら感じられなかったこと。その縁が無数に広がったとき、「独立は奈良で」が必然でした。
ナチュラを開店して10年。5年くらい前に、三浦さんから「自分たちで畑を耕してみる気はないですか」と相談があって。妻が「やる!」と言うんです。たしかにこんなチャンスはないと。
阿南:奈良の食材に加えて、自家栽培の食材も、ですね。
野村:それまで見ていた世界と一段違う目線を、また三浦さんからいただいたと思います。
三浦:最初はお客さんとして出会い、プライベートでも仲良くなった人たちの一組が野村さんファミリーです。畑に立ったときの子供さんへの対応が素晴らしい。何て言ったらいいのかな、教育のためというより親本人が楽しんでいて、子供さんも自然にそうなる。僕らは、シェフズファームプロジェクト(※)を考えていたので、先行事例として野村さんがやってくれたらと、お声かけしました。「週1回程度のペースでも冬野菜はできるだろう」と思いましたが、ここまでとは。段取り力、家族力、人間力、体力と全てがハイスペック。もう僕らよりも上手にお作りですよ。
阿南:先駆者である三浦さんや野村さんたちの次に、より多くの人たちに農ある暮らしが広まったら嬉しい。
野村:それは僕らも思うかも。今は畑だけじゃなくて自宅でプランター栽培もやってるんです。
※シェフズ ファームプロジェクト=プロジェクト粟で推進している遊休農地対策の一つ。活動人口として清澄の里でシェフに自らのレストラン食材を栽培していただく取り組み。
終の住処はお返しとともに
阿南:今後はどんなビジョンをお持ちでしょうか。
野村:ここでの10年を経て、この先の10年を考えたときに、もっと違うアプローチがをしたいなあ、もうちょっと縮小させ、より畑に近い場所で…と考え始めていた中で見つかった場所があるんです。清澄から車で5分もかからない所で、丘のような山のような場所がひょこっと出てきました。
今までは、いろんな人に、いろんなものを与えていただきながらやってきた。これからの10年は、これまでの経験をもとに、微力ながらも何か与えられるような環境が作れたらなあと思えるようになってきました。レストランがありつつ、隣に宿泊棟として民泊なのかオーベルジュなのかわからないんですけど、もしそんなことができたら。鶏小屋があって、卵を回収して朝ごはんを作ったり、採れたて野菜でランチや晩ごはんを作ったりできる農ツーリズムの宿でもあり、そこでコンテンツが生まれて、それこそ例えば陶芸ができるなど、人が集まるランドをつくれたら…。そこに自分たちの居住スペースもつくれたら…。するとこれからの10年、楽しいんちゃうかなって。法的にそれが可能なのかどうかも、まだ調べている段階なんですけど、妄想が広がっています。
近所の清澄には三浦さんのミウランドがあるんで、僕らのはノムランドになるな(笑)。
阿南:野村さんがかつて三浦さんに会って「ああ、こんなふうに」と思ったように、また誰かが野村さんを見て「ああ」となっていったら素晴らしいですね。
野村:次はもう終の住処になるような気がしています。
三浦:野村さんの物語を今日あらためて聞かせていただいて、奈良で想像もされなかった食材や人との出会いがあったように、ノムランドの想像を超えての展開にワクワクさせられます。
今までは観光、地域づくり、農業振興、食のウェルビーイングなど、みんな縦割りだったものが統合されてきていて、生きるということを直視しないといけない時代がきていると思います。そんな中で、一番たいせつな人間力をお持ちで、教育力にも溢れていらっしゃるのでいろんな可能性が広がりますね。ノムランドができたら、ミウランドと永久友好条約を結んでくださいね。
さとびごころVOL.51 2022 autumn 掲載