この記事はさとびごころVOL.42 2020 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
三浦雅之&阿南セイコがゲストをお迎えしてインタビューする連載
GUEST 伊藤立平さん(建築家)
HOST 三浦雅之・阿南セイコ
本質は、子供の頃に
阿南:本誌41号の特集で「自然に近い家」を描いていただきました伊藤立平さんをお招きしました。
伊藤:三浦さんのご本(『家族野菜を未来につなぐ』)を読ませていただいて思うのですけど。どうしてそんなにいつも物事の本質に遡ろうとされるのでしょうか。
三浦:何世代かで同居してる人に多いと思いますが、家族内で色々あったんですよ。それぞれの言い分があるのを、みんなと仲が良い僕に喋ってくるんですね。それで子供の頃から何か色んな事に凄く気を使って立ち回ってたことが原点になってて。子供心に、みんな仲よくしたら全部解決するやんて思ってたんですよ。それと同じ事が、自然界の中にも社会の中にもあって。それは何でか? ていうことを、大人になるにつれ自分なりに分析していくわけですよね。知れば知る程、世の中って不思議だなと。
みんな幸せになりたいって思ってますけど、感じれてない。自然は有限ですけどそれを忘れたようになってる。本当はそこを上手く一致出来るのになあーって。妻の陽子も同じことを思ってて、じゃ自分たちの方法論を紡ぎだして行きましょうということでやってます。
阿南:つまり、本質的なのは生まれつきと。
三浦:うん。それをただひたすらに、追求&追求です。
伊藤:最初に福祉の世界に入られたっていうのもそのあたりがきっかけですか。
三浦:はい。福祉や、(陽子であれば)医療の中に、そういう答えがあると思ってたんだけど、基本的に対処療法ですよね。もちろんそれを否定するわけじゃなくてすごく大事ですし、必要だけど、対処療法だけやってたらダメじゃんて思うから、学校の先生と意見対立して喧嘩しまくりました。
伊藤:まあとにかくめちゃくちゃお若い頃からの気づきですよね。
三浦:当時は方法論をともなってないですが。
伊藤:でも、そういう事を実現したいっていう思いが動力源になっている感じですね。
三浦:自分にとって精一杯やるべき事をやりたいとか、自分の中にもし花があるなら、しっかり咲かせたいな、その花は何なのかなっていうのはずっと思ってますね。僕も同じことを色々お聞きしたいと思ってるんですけど。
伊藤:僕は飼育図鑑を読み込んで、いかに生態系をそのまま移行して、一つの世界観を持続させるかみたいことが好きでした。気づけば日本には自給自足型の建築文化がずっと地域地域にあったわけなんで、それを保存したい願望が、子供の頃の、ジオラマ作るみたいな夢の延長上にあります。
三浦:41号では、子供の頃の無垢な気持ちで「あったらいいな」みたいなものを描こうということだったんですね。
伊藤:ですよね、でも、今その絵が描けるっていうのは、今までの経験とか知識がそうさせるわけで、昔は絶対に描けなかった。絵って不思議と構図が必要なもので、そういう機会をタイミングよく頂けたっていうところですよね。三浦さんはご縁やタイミングを大事にされていますよね。
三浦:本当に。僕らは「タイミングがきたら授かる」って信じてるんです。努力もありますが。
伊藤:努力って、どういうことを指すのでしょう。
三浦:農業でいうと、やる以上は、例えば土づくりなどは決して手をぬかないでやっていこうとか。それは人間関係づくりに通じると僕は思っています。
家畜も家族 岩手の家
伊藤:建築って、ひとまず完成はするんですけど、満足することはまずないんですよ。「これが実績だ」とくくって下さるのは幸せなことだけど、くくられる側としてはたぶん、こんなもんじゃないぞという思いはあるかも。ご著書を読んだときも、それは感じました。こんなもんじゃないけど、今回はここで切り取ったという。
三浦:ちなみに、やぎの話はかなりカットされました(笑)。
伊藤:やぎの話に関連しますが、岩手のほうにいくと、曲り家(※)というのがあります。家の形がL 字になっていて、人間のためでもあるんですけど、馬のための家でもあるんです。岩手は寒いから、馬にも同じ家を与えている。海外にいくと、そういうの、ないんですよ。家畜は家畜、人間は人間。それが、日本人だけはもう、家族なんですよね。なんで日本で畜産が流行らなかったかを分析している本がありますが、日本人は生き物を家族と思っちゃうんで、殺せないんですって。
※曲り家=盛岡市周辺や遠野盆地を中心に多く見られる、母屋と馬屋が一体となったL 字型の住宅。(いわての文化情報大辞典サイトより)
阿南:そんな日本人が、わたしは好きだ(雨ニモ負ケズ風)。
三浦:農耕馬ですよね。関東は馬、関西は牛です。本当は牛が飼いたかったんです。というのは、昭和
36年に農業基本法ができて、日本全体としてもモノカルチャー化していくんです。そのとき、切り捨てられた物事がたくさんありまして、人間が自然とともに健康に生きてていくために実は必要だった大切な宝ものの一つが、家族としての動物なんです。それまで牛と馬が担っていた力仕事が、トラクタ、耕運機に変わっていきました。
求められるもうひとつの家
三浦:僕、思うんですけども家に対する価値観も凄く変わってきる。アフターコロナの中で、みんなセカンドハウスを持ちたがりますね。都市か田舎か、ではなく、都市の家は売り払わず、まさかの時のためにセカンドハウス。僕はそれが関係人口、交流人口の拠点になっていくんだと思います。移住未満、観光以上の人たちのためのセカンドハウスがまさに、自然にも人にもやさしい家であり、セーフティネットになると。それがもし500万円位だったら、みんなが建てられるんちゃうかなと。
伊藤:建てられますね。三浦さんがおっしゃっていた「手間貸し」「手間返し」でいけますね。それ面白すぎます。白川郷みたいに、各自のスキルに差があっても自然発生的に適材適所に収まっていくんですよね。一方で、発展し続けている科学技術や産業は魅力的ですね。
三浦:僕もそこはハイブリッド。それと、科学技術に依存した部分を省くこともできますよね。昭和30年頃のコンセプトを拾い集めていくといろいろと見えてくるものがあって。例えばね、農業で言うと、食べ物は自給していたのを手放して今プロの農家が作り、人はそれを買う。家もそう。それを、元来に戻しやすい設定にしたものを、勝手にですが、はじまりの家って名付けているんです。奈良って、ものごとが始まっていく土地の力を持っていると思っているんですよ。これからは、いつも言ってる七つの風(※)に対応した七つの自給率を提唱していこうと思ってるんです。風土以外は、だいたい見えてきました。風味は食料とタネの自給率。風景にはいろり、縁側など住処の自給率。風習には学びの自給率として教育産業、情報発信。
※ 参照 本誌34号 種生む花 #01伝統野菜と七つの風
伊藤:風土には自然エネルギーも含まれるかもしれません。住処は、教育の場所にもなりうるし、作る過程が学びにもなりますね。
三浦:風物では生業の自給率。これらの中から事業化できることもあるかと思います。レストランもブラッシュアップ、商品開発、技の継承、セレクトショップ。風俗では、健康の自給率ということで薬草園も考えてて。最後に風情として幸せと豊かさの自給率。あたらしいライフスタイルの提案ですね。そのために事業もワークショップも、コミュニティづくりも、家づくりもする。それだけリンクして初めて、自然にも人にもやさしい家が芯のあるものになっていくと思います。
伊藤:僕ら建築家が目指しているものも、もともとそのはずなんですよ。
三浦:この取り組みは、実は20年以上考えてきたことですけど、ものを地域の中で作っていくのって、春の風のような追い風がみんなに蔓延していくのがすごく大事で。でも平穏だとなかなかそうならないんです。奈良は豊かすぎて、そうならななかった。日本全体の縮図でもあります。それがコロナが起きたことで、「今まで豊かだと思ってきたけれど、もっと違う形の本来の豊かさがあるんだ」と気がづき始めた。戦争や災害のようなマイナスや壊滅からではなく、違う形で気がつく時代がきた、もうこれだなと。ただ、住まいのところはブランクだったんです。それが、41号を見て「出てきた!」という感じです。ちなみにこの号では、僕らも「風は奈良から」で七つの自給率のことを初めて公にしたんですよ。
阿南:ありがとうございます。
伊藤:三浦さんには、そこで軸になる風味があるのがすごいですね。
三浦:食べ物の語源は、たばはりもの=神様からの授かりものですからね。
伊藤:生きていく根源は、そこですものね。ネイティブアメリカンに出会った原点にも通じるところですね。
三浦:日本もそうやったはずなんですけど。
阿南:そうですね。日本人が本来持っている「自然を支配しようとせず自分の延長として調和させて工夫するあり方」を地域レベルでなにか編集できたらといつも思っています。誰もが自分に合ったフィールドでできることをやり、俯瞰してみたらいい感じになってきた…となるといいなと。
三浦:菌が繁殖するような感じですよね。
阿南:そうです、そうです。
人生の何に時間をかけるか
伊藤:建築家が一生のうちにつくれる数には実は限りがあるんです。すごく有名な建築家でも代表作と呼べるものは、だいたい一つか二つ。それは、出会やタイミングによって生まれる、その人が一生でこの時間をかけたという時期なんですよ。ぼくが会社を辞めのも、巨大な建築って1つに4、5年かかる。まずはリサーチで1年、設計でまた1年。検討と調整を繰り返し、一人にかかる負荷がすさまじくて、その間に人が3割くらいは病んでしまう。それって不健康じゃないですか。一人一人が見定めて、本当に大事なものに力を入れたほうがいい。町中や農村に散らばって、普通に力を生かせばいい。何故かそれが出来ていないので、まずやってみるしかないと思います。人生の何に時間をかけるかと考えたとき、僕は二転三転して、そのような土着的なあり方がいいと思っちゃっていますね。一つの場所でじっくり何かをすることが、その土地の人たちともスムーズに繋がれる唯一の方法かと思います。
三浦:ずっと考えてきたことが今、現実味を帯びてきました。はじまりの家を作れたらな。
阿南:今回は、お二人の大きなビジョンを聞いてしまいました。
伊藤:何かご提案できたら、幸せなことです。
さとびごころVOL.42 2020 summer 掲載