危険な暑さを凌くためエアコンをつけて暮らしているわたし、やわな現代人。それなのに、この現在地からあともうすこし自然に近づく生活の仕方を身につけたいと日々思っている。必ずしも山深いところに移住しなくても、与えられた場所で可能な限りの自然に近い生活文化を創りたい。そのためには、自然と共存した暮らしとは何なのかを、もっと深く知りたい。焼畑をしていました、狩猟をしていました、そんな一言では表せないようなことを知りたい。この映画には、それが十分に記録されていた。
映画「越後奥三面 山に行かされた日々」は、新潟県の山奥にかつてあった40軒ほどの集落がダムに沈む前に、その地で暮らす人たちの四季を記録したもの。姫田忠義さんが率いる民族文化映像研究所(民映研と呼んでます)によって制作された作品が2023年、デジタルリマスター版として発表された。さとびでは、過去に民映研や「奥会津の生地師」という作品を紹介したことがあり、個人的には「奥会津…」の自主上映会を企画したこともあった。それ以来、民映研の作品に興味を持ち続けてきた。単に「昔はこうだった」と知るだけのためというより、これから生きていくのに、忘れてはならないことや、活かせることがあるのではという思いに動かされるのだ。
まずは、この作品を全く知らない人のために、パンフレットの紹介文を引用しておく。
「昭和の終わりまで、新潟県の最奥に軌跡のように残されていた山村<奥三面> 人々は山に行かされ、山を支えにして暮らしてきた。その最後の姿が、40年の時を経てよみがえる。
冬、深い雪におおわれた山では、うさぎなどの小動物、そして熊を狩る。春には山菜採りが始まる。特にゼンマイ採りは家族総出で働き、戦争と呼ぶほど忙しい。それに慶長2年(1597年)の記録が残る古い田での田植え。奥三面は縄文時代から一との住む歴史の古い村でもある夏は、かつて焼畑の季節だった。川では仕掛けやヤスでサケ・マス・イワナを捕える。秋には、木の実やキノコ採り。そして仕掛けや鉄砲による熊狩が行われる。
「山、山、山…。幾多の恩恵、心の支え…山しかねえな、山の暮らししかねえなあ」とある村人はいう。人々は3万haに及ぶ広大な山地をくまなく利用して生きてきた。
その奥三面がダムに沈むー 記録スタッフは、ダム建設による閉村を前に、一軒の家と畑を借り、山の色に見事に対応した奥三面の生活を追い始めた。」
予告編が見られる公式サイトはこちら
これを見ると、縄文時代の暮らしと重なって見える。縄文の人たちは、ムラで生活し、ハラという周辺の山から食料や資源を調達し、さらにその背後にそびえるヤマを神が住む場所として祈りながら暮らしていた。1万年前からの暮らし方が昭和の時代まで面影を残していたということは、よほど風土に合うものだったということだろう。ただしそれは、とても厳しいものだったということが映画を見るとよくわかる。奥三面は一年の半分は雪がある寒いところだからなおさらだ。体力も気力も技術も不可欠。木を伐採してみんなで運ぶシーンなどを見ると、体幹の強さに驚かされる。体を使うしかない生活だから、体が鍛えられる。そんな体力を持たない現代人は、せめて横着をせずに体や手を動かす必然性を生活の中に取り込んでいこうと思わされた。体や手を通して感じられることは、使わなければ退化するのみ。常に便利なものに依存しないと生きられなくなる。
すべてを自然から得るしかない閉ざされた村。山菜や熊は大切なタンパク源であり、収入源だ。特に熊狩りのシーンが印象に残る。取材班が同行させてほしいと頼むと、きっぱりと断られた。どんなに厳しく危険なものか、知らない人を連れて行けない。途中で引き返すと言われても、何もできない。だから、断る。
危険をおして狩りに出かけても、たやすく捕らえられるとは限らない。それだけに、熊を持ち帰ったときの笑顔が輝いていた。熊を捌き、食する直前、代表の人が箸で肉片を捧げ持つようにして、深く深く祈る。神様のルールを決して破ることなく、熊を狩りました。どうかわたしたちに与えてください。というふうな祈りだった。
現代人が失ったものは、このような祈りではないかと思った。生活のスタイルは時代とともに変わるだろう。自然から得たものが流通を経たり工場で加工されたりして消費者に渡るまでが見えなくなっていても、人間が自然資源に依存していることには変わりがないのに、源である自然への感謝を省いて暮らしてしまう。こんなことになったのは、戦後からではないかと思う。「やっと戦争が終わった。古いものは辛い思い出に繋がる。古いものは価値がない。新しいもの(アメリカナイズ)に夢があり、すばらしい」そんな価値観の中で、祈りも形骸化して、だんだんと祈らなくなり、いざ祈るときはご利益を得たいときになってしまっている。
だから、あえて「心から祈る」という行為を取り戻したらいい。何に祈っているのか、何に感謝しているのか、きっと思い出せるだろう。奥三面の人たちは、何をするにしてもあたりまえのように祀っていたし、祈っていた。人に見せるためではない。自然の神様との接触だと思う。これは、どんなに時代が変わっても大切なものであり続けることができる。現代では、瞑想やマインドフルネスという言葉が流行っているが、古来から人は祈って暮らしてきたのだ。今の暮らしの中で、神棚や仏壇の前だけでなく、生活行為のひとつひとつが祈りとともにありたいと思った。
というわけで、民俗学に興味ある人はもちろん、どなたでも機会がありましたらぜひ一度、民映研の作品をご覧ください。
今さともだち有志少人数で、民映研の作品を見て飲み会をしています!(購入したDVDを少人数で非営利目的で上映するのは法的にOK)どなたでも見ていただけるような上映会をいつか企画してみたいという声もあがっていますので、そのときはご案内しますね。
さとびがかつて取り上げた記事は下の画像をご覧ください。
さとびごころごvol.26(2016 summer・特集 川の民俗)
企画取材 公開講座「日本の民俗をきく」より
忘れられた日本の文化に触れる 姫田忠義の映像民俗学
高橋秀夫さま、鹿谷勲さまにご協力いただきました。
※さとびごころのバックナンバーはvol.32(2018 winter)から取り扱っています。それ以前の号は販売しておりませんことをご了承くださいませ。読み返したい記事は、このサイトにアーカイブすることも計画中です。