この記事はさとびごころVOL.40 2020 winterよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
冷えは万病の元といいます。冬の休日には、体を温める地元奈良の温泉巡りはいかがでしょう。そんなお出かけのおともにお勧めの豆知識を「温泉大好き」を自称するライター西久保智美さんに紹介していただきます。編集部がかねてより興味しんしんだった温泉考古学のことも、調べてくださいましたよ!
全国に2983 カ所の温泉地(※1)がある温泉大国、日本。源泉数はなんと27000 本を超え、その湧出量は毎分約254 万リットルにものぼるとか。もちろん奈良にも日本で初めて源泉かけ流し宣言をした十津川温泉郷をはじめ、31の温泉地があります(※2)。
しんしんと底冷えのする奈良。カラダの芯からあったまる「温泉」が恋しい季節となりました。ちょっとした豆知識があると、温泉の良さが、カラダとココロに、じわじわっと浸透していきますよ。
※1 温泉地とは宿泊施設のある場所を指す
※2 温泉地数、源泉数、湧出量は、「環境省自然環境局(平成29年度版)」の最新データより
そもそも温泉とは…
地下のマグマや地熱によって温められた地下水が地中から湧き出している現象や場所、施設、またお湯そのものが、温泉と呼ばれていますが、日本では「温泉」は、温泉法と環境省の鉱泉分析法指針で定義されています。
温泉と名乗るには、温泉法で定められた2つの定義のうち、「源泉温度が25℃以上であること」、「リチウムイオン、水素イオン、メタけい酸など19の特定の成分が1つ以上規定値に達しているもの」のどちらかを満たしていたら、温泉として認められています。
つまり「温度」か「成分」のどちらかが規定を満たしていたら、それはもう温泉なのです。
温泉考古学にみる奈良の温泉事始め
最近、線路を舐めにくる鹿の姿が話題になりましたが、冬場になると道路の凍結防止用の塩化カルシウムを舐める鹿の姿が多くみられます。草食獣にとって塩は欠かせないもの。肉食獣は他の動物の肉や血から塩を得ることができますが、草食獣は塩分を含んだ水や岩、土などを舐めることで塩分摂取をしているのです。
しかし日本列島には岩塩は存在せず、塩分の正体はというと、日本各地に噴出する温泉、それも塩化物泉(ナトリウム|塩化物泉)の温泉だったのでは、という説があります。塩分を定期的に摂取するために、温泉源やその周辺に草食獣が集まるようになり、それを狙う肉食獣も来るようになり、いつのまにか温泉源付近は格好の狩猟場。動物の生態を熟知した縄文時代の人々が狩りにやってくるために、近くに縦穴住居などの集落が形成されることへつながっていったのでは、と想定できるのです。
これを「温泉考古学」と提唱したのが、橿原考古学研究所の橋本裕行さん。奈良県川上村にある「宮の平遺跡」(さとびごころ36号特集「縄文の奈良」参照)もまさしく、「温泉」と「縄文遺跡」の可能性を秘めた事例だそう。
「発掘をしていたころ、遺跡下にある吉野川の川原には昭和30年代までお湯が沸いていて、村民はその湯を利用していたという話と、家畜専門の獣医だった父親から『草食獣は塩を舐めないといけない』という話を聞いていて、あるとき、温泉と縄文遺跡の関係性についてひらめいたんですよ」と。
すでに川原は大滝ダムの底に沈んでしまいましたが、遺跡の近くに建つ「川上村湯盛温泉ホテル杉の湯」の泉質は、二酸化炭素・鉄(II)|カルシウム・ナトリウム|炭酸水素塩冷鉱泉(低張性・中性・冷鉱泉)。「山奥に現れた巨大な縄文時代から近世にかけた複合遺跡が、ここにあったのも、まさしく温泉が大いに影響していたのかもしれません」。
ほかに、長野県諏訪市の「上諏訪温泉」と「仲浜町遺跡・片羽町A 遺跡」。秋田県鹿角市の「大湯温泉」と「大湯環状列石」など、全国で8件が可能性として考えられるそうです。考古学の視点からの「温泉」の研究はまだまだこれから。もしかして縄文人も温泉として活用していたのでしょうか。ロマンが広がります。
古事記にすでにある湯という記述
いつのころから、温泉という記述があるのでしょう。探ってみると、実は日本最古の文献『古事記』に、伊余湯(愛媛県道後温泉)の名が見られ、『日本書紀』や『続日本紀』、各地で編纂された『風土記』、『万葉集』などには、有馬温泉、湯崎温泉(白浜温泉)、玉造温泉をはじめ、各地の温泉や、温泉の効能について記されています。
その多くは、神事や天皇の行幸などで使用されたとされ、当時の都であった奈良や京都から比較的近い温泉地が登場したのではないかと推察されます。特に有馬温泉
(有馬の湯)、白浜温泉(牟婁の湯)、道後温泉(伊予の湯)は、『古事記』『日本書紀』に記された古来の湯で「日本三古湯」として知られています。
日本三古湯
有馬温泉(有馬の湯)
白浜温泉(牟婁の湯)
道後温泉(伊予の湯)
天皇もびっくり、美泉の効能
霊亀元年(715 年)に即位した女帝、元正天皇。『続日本紀』によると、霊亀3年9月、美濃(養老)にある、親孝行伝説で知られる美泉を訪れ、その2カ月後、突如、詔【醴泉は美泉なり、以て老を養ふべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし】を発し、「養老」へ年号を改めました。
年号になった美泉とは、元正天皇が養老に滞在中、自ら手や顔を洗ったところ、肌が滑らかになり、また痛いところを洗ったら、痛みが全くなくなったそうで、「めでたい出来事。年を養う若返りの水」と素晴らしさを褒め讃え、翌年も訪れたと記録に残ります。
その美泉と伝わる「養老の滝・菊水泉」は、弱アルカリ性の軟水でカルシウムイオンが通常の2倍で、美肌に効くとか。名水百選にも選ばれ、今もこんこんと湧いています。
古代より、温泉の効能はしっかりと認識されていたのですね。
さとびごころVOL.40 2020 winter掲載