編集室の日常話。
今の住まい(自宅兼仕事場)を借りたのは、まだ冬の寒い時期。近所(集合住宅に隣接した位置)に、枯れたセイタカアワダチソウが乱立した見放されたような公園がありましたした。
春になり、初夏になるにつれて雑草たちが伸びはじめ、あれよあれよと公園は草で埋め尽くされていきました。うちの部員Mさんが、毎朝犬のバジルと散歩するコースでもあり、たまーに親子連れの方が遊んでいらっしゃるところも見かけましたが、あきらかに忘れ去られた印象で、誰が管理することになっているのかなよくわかりません。しかし、わたちたちが暮らしている集合住宅のオーナーの方が所有されていることだけはわかっていたので、オーナーさんに「草刈りしましょうか」とお声かけして了解を得、二人で「自主的草刈りプロジェクト」を始めることに。
誰にも褒められませんが、頑張ったのでみてください(笑
青いところは笹藪になっていて、赤いところは雑草、緑のところは蔓が地面まで伸びて、全体的に向こうが見えなくなっていました。初夏でこれだったら夏はどうなる?今のうちに、もっと居心地よくしておいたほうがいい。でも、絶対に誰も何もしないだろう。と、思ったのでわたしがやろうと思った次第。そしたら部員Mさんも賛同してくれまして、新しい鎌もゲットし、マキタの仮払い機も畑から持ち込んで草刈りしてくれました。
わたしは、いつも畑活で使っている小さな鎌で、ちまちまとやりましたけれど、2時間くらい頑張るとかなり景色が変わるんですよ。
だんだんと、向こう側の景色が見渡せるようになるつれ、「公園が喜んでいるような気がする」とMさんが(柄にもないことを)言うのが嬉しかったです。
さとびで連載(ウェブ版=十四代目林業家ドタバタイノベーション奮闘記)してくださっている谷茂則さんも、陽楽の森を最初に手入れしたとき、「森が喜んでいる」と感じたといいますが、これは人間側の誤解なのかどうかわかりませんが、人と共存するために手を加えた場所は、誰かが愛でないと悲しくなるんじゃないかと思います。
通りかかった二人連れの女性が「ここ、すごく汚くなってるのよね、(誰の責任なのかしら)」と会話しながら通り過ぎていかれました。わたしは声に出さずに「あなたも草刈りいかがですか」と、小さくつぶやきました。
とりあえず、やりたい人がやればいい。夏が本番を迎える頃には、また雑草が伸びると思いますので、日の出前の涼しい時間を使って(あまり早朝からブンブンしたら近所迷惑でしょうから、そこは配慮しながら)草刈りにチャレンジする予定です。
毎日、この公園が視界に入ってきます。雑草キッチンを主催していると、雑草は友達に見えてきます。でも人間にも都合があるので、あまり蔓延ると「ちょっとどいてねー」みたいな気持ちで土に帰ってもらいます。放置していたら、オーナーさんが致し方なく除草剤をまいてしまわれるかもしれません。そうなると土にもよくないし、散歩しているバジルが草を食べることもあるので危ないですし、何より除草剤で強制的に枯らされた雑草を見ると何とも複雑な気持ちになってしまう。せっかくの公園を見て、気持ちがダウンしてしまう。そうなる前に、「公園を大事に思っている住人がおります」という気持ちも表せるし、毎日の眺めも気持ちよくなるし、きっと頑張れるでしょう!もしかして、これ、日頃の畑活のおかげで雑草を刈るのに慣れてきているおかげもあるかも(笑
ここに来たばかりの頃、オーナーさんは「この公園をいつか住宅に変えて売りたい」とおっしゃっていました。大きく育った桜やケヤキがあり、「こんなに樹木に恵まれた場所があるなんて」というのも、ここに引っ越す気持ちを後押ししてくれたものです。いつかお別れする時がくるのでしょうか。公園などに植樹されたものは、老木になって「危険」と判断されたら、その場合も伐採になりますし、いつかはそんな運命も訪れるかもしれません。今あるものは、今だけの大切な瞬間。ここで暮らす間は、この大きな桜とケヤキにラブラブ目線を送り続けたいと思います。オーナーさんの意志をわたしにはどうすることもできませんが、すぐにそうなるわけではないことでしょうから(オーナーさん、気が変わってくれないかなあ)。