この記事はさとびごころVOL.50 2022 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
三浦雅之&阿南セイコがゲストをお迎えしてインタビューする連載
GUEST 西尾和隆さん(大地の再生士)
HOST 三浦雅之・阿南セイコ
水と空気と大地
阿南:「風は奈良から」へようこそ。先日、大地の再生をテーマにした映画「杜人」の上映会を大好評のうちに終えたばかりの西尾さんにお話を伺います。まずは大地の再生をご存知ない方のために、軽く説明してもらえますか。
三浦:実は僕の理解もまだまだで。
西尾:この方法で施工したらどうなるかでいうと、木が元気になる。家の湿気が適正に戻る。畑の収穫量が上がる。土砂崩れを防止できる。中でも木が元気になるというのが大きいですね。木を見て「これはあんまりだな」と思うことがあるんです。植物の根っこは、水だけじゃなく空気が必要。土中の表層10センチくらいまでは空気があるけど深いところではなくて、根っこも少ないんです。なぜか。これは主にコンクリートによる擁壁や川の三面張りが要因になっているんです。
土に浸み込んだ水って、その土地で一番低いところである川の底からまた湧き出すのが本来です。湧き出すからこそ浸み込める。それが両岸だけでなく底まで三面ともコンクリートを打っているところが結構多い。すると湧き出せなくなって、つまり上のほうではもう浸み込まなくなってくるんです。そうなると、表層がカチカチになってきて、雨が降るたびに表土が流されて、場合によっては土砂が崩れるということが起こります。
阿南:木の根は、枝の広がりと同じくらいあると言われていますよね。
西尾:もっとあります。僕らが施工した中で明確に良くなったと言い切れる場所では、幹から根の先がおよそ300m くらい離れていた事例があります。映画にも出てきていた福島県美春町の福聚寺もそうでした。その寺で大規模に施工したら、ナラ枯れ、松枯れでひどかった奥山が蘇ってきました。例えるなら、蛇口にホースをつないだら、100メートル先でも水が出ますよね。でも、先端がちょっと詰まっただけで全部止まりますよね。これと同じことが山でも起こるんです。山の斜面と平面の道との境界に、ほとんどU字溝が入っていますよね。それが高さが30センチだとしても、そこから上が山のてっぺんまで全部止まるんですよ。ということが、実際に起きてます。
阿南:まさか山のてっぺんまで?と思いがちですが、実際はそうなんですね。
西尾:それは明確にそうですね。
三浦:ここまで聞いただけでも、大地の再生って、部分的な範囲どころか、かなり広範囲に影響しているんだというふうに理解が変わりました。
西尾:僕らの仕事って樹木医に似ていると思われがちで、この7月に入る貴船神社(京都市)も、一本の木を治してほしいという依頼でしたが、僕らが入ると奥山全体がドン!とよくなる感じですね。現代の土木では、雨が降ったら「排水」するとしか考えてないけど、土地に浸みこませてからゆっくりじわじわ出るようにするほうが、大きなダムが必要でないくらい変わっていきます。水と空気の流れがしっかりとあれば、街路樹ひとつでも夏は涼しく冬は暖かくなるんです。車のエンジンに例えると、昔のエンジンは空冷で、今のエンジンは水冷。大地も同じで、水と空気でしっかり冷やすと夏は涼しくなります。冬は冬で、地下からの風が循環していると地熱が上がってきます。つまり環境として過ごしやすくなるということなんです。だから昔の人が庭に力を入れていたというのは、そういうことじゃないかと思うんです。
阿南:土中環境だけでなく地上部の環境にまで影響するってことですね。
三浦:環境の自然治癒力を上げるイメージですね。
茶農家ならわかる風の草刈り
阿南:西尾さんは自然栽培のお茶農家でもありますよね。風の草刈りはしてますか。
三浦:風の草刈りとは?
西尾:植物が風でふわっと曲がる腰のところで刈ってやること。伸び方が穏やかになるんです。茶農家なら誰でも知っていますよ。お茶って、いつも同じ高さのところ(新芽の部分)で刈ってますよね?すると、太い枝が細くなって二つに分かれ、次の年はそれぞれがまた二つに分かれると。するとどんどん芽立ちが弱くなって収量が落ちてくるんです。トップを摘んだ直後はいいけど、そのあとは小さい芽しか出なくなるんです。
阿南:それが雑草にも起こるということですね。
西尾:そう。お茶の収量が下がると困るから台刈り(木の下のほうを刈って更生する)をするわけです。そしたらまた強い枝が出る。同様に、雑草も下から刈ると強い枝が出るから大変なんです。上でさらっと毎年刈っていれば柔らかい草、背の低い草が生えてきます。
阿南:雑草がグランドカバーになって土の保湿になり、根っこに菌も集まるし、作物の光合成も阻害しないですね。
西尾:亡骸は肥料分にもなってくれるし。いいことだらけ。風の草刈りを何年か続けていくと植生も変わっていき、草刈りが楽になっていくんです。
三浦:風の草刈りって、僕が提唱してる「七つの風」というコンセプトにも通じるみたいで、すごく嬉しい。
学び、実践し、教える
三浦:大地の再生って、何を伝えようとしてるか予感しやすくて素敵だなと思うんですけど、このネーミングは西尾さんですか。
西尾:これは師匠の矢野智徳さんが名付けました。『土中環境』の著者の高田宏臣さんも今でこそ違いはありますが、もとは矢野さんとの出会いから環境再生を始められた経緯があります。関西には矢野さんの弟子がたくさんいますよ。先ほど名前が出た貴船神社は、僕の兄弟子が手がけます。
阿南:そんな人が10万人くらいに増えたらいいなあ。
三浦:多くの方がこの知見を得て、自分の持ち場で実践するようになると、専門家だけでは限界があるところを超えていけそうで素敵だな。
西尾:なので、僕自身も講座を開催ししています。今、新しい人がどんどん学びにきているという状況です。
三浦:どのような世代の方が多く参加されていらっしゃいますか。
西尾:
30代が多いですね。いろんな経験を経て、「これだ」と思ってきている人たちです。20代は絶対数が少ないですが、来るようになりました。
三浦:何年ごろからこの活動をなさっているんですか。
西尾:2016 年ごろですね。傍ら、社会福祉法人の職員としても、なんとかやれてます(笑)。
阿南:西尾さんて、最終的には造園家になったらいいのでは?
西尾:今は裏山のある個人宅を請け負うことが多いんですけど、本当のことを言えば環境再生って公共事業でやることなんじゃないかなと思うので、それをやっていきたいですね。
三浦:そう考えたら、公共事業は大規模ですし、効果も大きいですよね。
西尾:例えば、今だったら土砂崩れが起こるとそれをなおすためにコンクリートで固めますよね。その予算の内のほんのちょっとを僕らにくれたら木も元気になるし、石積みによって環境にもよく見た目もカッコよくできる。人間でいえば「病気になったら治療する」だけじゃなく、予防にもお金をかけたほうが治療費も安くなるんです。山も同じで、予防にお金をかければもう少し調和できるはず。公共事業をしている人の仕事を奪おうという話ではなくて、その人たちの重機やそれを扱う技術ってすごいんですよ。それらを役立たせられたらいいと思うし。ぜひともやってほしい。
阿南:環境を再生するような公共工事が増えたらいいですよね。そこでなんですけど、そのための「信頼」というのはどのように作っていけるのでしょうか。
西尾:ぼくらが今やっている公共事業は、宇陀市の公園課の仕事で、公園の安定という目的でやっています。担当の方に「こうしたら桜が元気になります」とかいろいろと説明をして、「よくわからない」と言われてるんですけど(笑)実際に木が元気になったから「うわ、ほんまやなあ」と認めてもらえて。これは社会福祉法人として受けているからできること。個人事業や小規模の合同会社だったら無理だったと思います。全国の事例では、自治体の首長さんや地域の議員さんなどで熱意のある方が動かれたケースで実現しています。
三重県でも県主催の大地の再生講座が行われています。これも職員さんの中に、理解のある方が一人だけいらっしゃるんです。熊野市のパイロットファームでの施工をきっかけに、収量がものすごく上がり、「現代農業」(農文協発行の月刊誌)で特集され、その続きでみかん園も始まりました。公共事業での実績がちょっとでも増えることが大事かなと。
三浦:宇陀市のような事例が生まれ、それを記録していくことで、多くの方に大地の再生の効果を実感していただけますね。
阿南:来年特集する予定です。
環境再生の向こう側
阿南:そんなふうに広がっていったとしたら、その向こう側に見えるものって、なんですか。
西尾:今自分たちが山に入ったとき、「ああ、気持ちいい」って言えなくて、傷んでるなあって思うことが多いんですよ。多くの人は実は病んでいるものを見て気持ちいいって言っている。土中の呼吸が詰まっているところにいると、自分自身の呼吸も詰まる感じがするんですよ。
でも、目に見える部分、見えない部分も含めてしっかりと整って、全体の風が合わさった場というのは、実体験として呼吸しやすいと感じます。そんなところが増えたらいいなと思う。
三浦:西尾さんて自然農の川口由一さんと雰囲気が似ていらっしゃると感じました。(編集部注・三浦さんは活動初期に川口さんの自然農講座に学んでいました)。優しいお顔なのに手がゴツいところも(笑)。
さっき申し上げたように、このコーナーのテーマである七つの風というのは、「これにフォーカスすれば豊かさの自給率が上がる」という僕の持論なんです。一つめの風が風土。二つ目に風味つまり食文化。三つ目に風景、知恵としての風習、そして生活工芸の風物、生活文化の風儀、それが最後は風情になっていくと。その中で、西尾さんのお話は風土と風景にリンクしてるなあと感じてます。日本人は昭和30年くらいまではそれをちゃんと行っていたのですが、今はできなくなり、しかもやり方までわからなくなってしまっています。その中で風土、風景については僕ら自身方法論を意識してこなかったのが、今回の取材で粟の土地も一度見ていただきたくなりました。弱っている山桜がありますので(笑)。
西尾:ぜひぜひ。
阿南:わあ。それも取材しなくちゃ!
さとびごころVOL.50 2022 summer 掲載