この記事はさとびごころVOL.36 2019 winterよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
僕たちが、伝統野菜の研究や地域づくりを始めるきっかけになったのは、22歳のとき、新婚旅行で北米に行き、アメリカ先住民の人たちの集落に案内されたことだったということについては、自著(※1)でも触れています。僕たちが出会ったのは、日本人のことを「白い兄弟」と呼ぶ、ホピ族の人たちでした。今回は、そんな彼らとの日々について、書いてみたいと思います。
※ 1 三浦雅之三浦陽子著『家族野菜を未来につなぐ レストラン「粟」がめざすもの』学芸出版社2013年
一口にインディアンと言っても、様々な種族があり、習慣や気質はそれぞれです。ホピ族は、平和の民と言われています。土地を争うことをせず、自分たちが移動して、そこで平和に暮らすのです。その結果、辺境の枯れた大地に暮らすことになるのでした。
案内してくれたのは、元大手ゼネコン幹部の知人。開発のために先住民の人々に立ち退いてもらう仕事をしていたのに、逆に彼らに心をひかれ、味方となって支援する立場に変わった人です。
知人に案内された場所がどこなのかもわからないまま、これといった説明やガイドがあるわけでもなく、ただ仲間に入れてもらう日々が続きました。当時、集落では長老が亡くなり一ヶ月続く弔いの儀式が、場所を転々としながら行われている最中でした。弔いといっても、しんみりしたものではなく、人々が集まって踊り続けるのです。野宿したり温泉に入ったりしながら、森の中での、スエットロッジという浄化の儀式にも参加しました。多いときは、100人くらいが集まって踊ります。その場所が、人がいなくなると実に狭い場所で、「ほんとうにここに、あれだけの人がいたの?」と思うほど。まるでスペースが伸縮しているかのような不思議な体験でした。
最後に4日間ほど滞在したのが、ラウンドハウスのある小さな集落です。ここにも日本人が暮らしていて、僕たちはその人にお世話になりました。トルティージャという、とうもろこしの粉を薄く焼いたものに具を載せて食べる料理を思い出します。ここで見たのが、悪質ないじめのない子どもたちの様子、お年寄りが尊敬されている様子、そして「種」としてつりさげられていたとうもろこしです。
「初めて見たのに、懐かしい」。そんな思いがこみあげました。僕は、この「初めて」なのに「懐かしい」と感じることは、自分にとって重要なことなのだと決めています。その後のすべては、この直感から始まっていったのです。 (聞き書き 阿南セイコ)
さとびごころVOL.36 2019 winter掲載
文・三浦雅之&陽子
《三浦雅之さんのプロフィール》
1970 年生まれ、奈良市在住、京都府舞鶴市出身。1998 年より奈良県内の在来作物の調査研究、栽培保存に取り組み、大和伝統野菜を中心に年間約 120 種類の野菜とハーブを栽培。 2002年農家レストラン清澄の里「粟」、2009 年粟ならまち店をオープン。2015 年5 月より奈良市との官民協働プロジェクト「cotocoto」を運営。株式会社粟、NPO 法人清澄の村、五ヶ谷営農協議会を連携協働させた六次産業によるソーシャルビジネス「Project 粟」を展開。 株式会社「粟」代表取締役社長 。NPO法人清澄の村理事長 。はじまりの奈良フォーラム プロデューサー 。主な著書に『家族野菜を未来につなぐ』(学芸出版社2013 年)『種から種へつなぐ』( 共著 創森社 2013 年) など。