この記事はさとびごころVOL.41 2020 springよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
最初の土地には背丈ほどの草が生えており、まずはこれを刈り払う必要があった。今でこそ借り手のつかない土地とはこういうものだと思えるが、農業を始められる喜びに満ちた私にとって、それは希望の大地であった。あんな新鮮な気持ちはあの時しかない。
私は「なんとかなるやろ精神」だけは逞しい一方、賢く進むことが下手である。農業の経験もないのに、生業としての農業を始めるわけである。数年は誰かに師事するのが普通だろう。村人との距離も遠い。だからこそ、まずMさんのことを話さねばならない。
一年目はレタスを少しだけ作ってみた。そこそこ良いものが採れた。調子づき、二年目からは水田にした。しかし、流石に稲作は本で読んだだけではよくわからない。さてどうするかと立ち止まっていたところ、Mさんの登場である。御年60代後半、後ろ手を組みじっと私の方を見ている。「違う、そうやない」。私の鍬を取り、畦塗りをやってみせてくれた。この人が、私の農業技術の師匠、そして村で生活するための模範となった。余談だが、Mさんはおせっかいなくらい構いたがりで、話しだすととても長いのが玉に瑕である。いつだったか、辺りが暗くなりMさんの背後をイノシシの群れが走り抜けるまで、5時間以上立ち話をしたことがある。
ある日、懸命に鍬をふるい、畦道を走り回って仕事をしていたら、Mさんから「昔から農業は牛のよだれと言う」と諭された。牛のよだれのようにだらだらとゆっくりやりなさいという意味である。さらに、「農作業はリズムや。ゆっくりテンポよく動けば疲れない」そうだ、若い人はしゃにむに動いてしまうものだが、農業とは自然のサイクルに沿って行う仕事である。会社員時代とは異なる世界。あの時の言葉は今も私の胸にある。
村にも徐々に溶け込むことができ、あっという間に3年が過ぎた頃、借地は5枚になっていた。
さとびごころVOL.41 2020 spring掲載
文・杉浦 英二(杉浦農園 Gamba farm 代表)
大阪府高槻市出身。近畿大学農学部卒。土木建設コンサルタントの緑化事業に勤務。
2003 年脱サラし御所で畑一枚から就農。米、人参、里芋、ねぎの複合経営。一人で農園を切り盛りする中、限界を感じて離農も検討していた時、ボランティアを募ることで新しい可能性に目覚め、「もう一度」という決意を固め、里山再生に邁進中。 2017 年、無農薬米から酒米をつくる「秋津穂の里プロジェクト」を始動。風の森 秋津穂 特別栽培米純米酒の栽培米を生産している。
連絡先 sugi-noen.desu219@docomo.ne.jp
【参照】 さとびごころ vol.35(2018autumn) 特集 農がつなぐ人と土