この記事はさとびごころVOL.41 2020 springよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
川は生きています。川の命を取り戻せば、人の命も輝き始めるでしょう。川と、人と、生きものの共生を考慮した川づくりについて、近自然河川研究所の有川崇氏にご寄稿いただき、前後編2回にわたってご紹介します。
スイスの事例:「景観も治水も」村民が選んだ河川改修 (マルターレン村)
水辺のある美しい風景
マルターレン村は、スイスの伝統的な建築様式の家々が建ち並び、その脇を小川が流れる美しい村です。この村では度々洪水が起きていましたが、村民は、村の景観と治水の両立のため、村の上流側で放水路や遊水池を整備することで、小川を大規模に改修することを避け、歴史ある美しい村の風景を守りました。
河川改修によってカジカもヤマメもいなくなった
私は神奈川県の丹沢の山奥で育ちました。小さい頃は、近くの川に行って、石をはぐってカジカを捕ったり、大きな石の下のえぐれに手を突っ込んでヤマメを掴んだりして遊んでいました。ところが、あるとき河川改修によって川底が均されると、途端に川の生き物がいなくなってしまいました。当時の私は、子供心に川が荒らされた気がして、「なぜこんなことをするのか!」と河川工事に不満を感じていました。
高校生になり大学への進学を考えていたとき、私には勉強したいと思える分野がありませんでした。そんなとき、親から近自然河川工法の提唱者である故福留脩文氏のことを聞きました。近自然工法は、1980年頃のスイス・ドイツで生まれた生態系復元の概念です。私の親は、地元の川が改修されるときに、福留氏を招いて話を聞いていたのです。
これがきっかけとなり、私は福留先生が講義をしていた高知大学に進学し、卒業後は福留先生の会社に就職しました。振り返ると、子供の頃に感じていた河川工事への不信感が、近自然の川づくりに惹かれ、福留氏のもとでその奥深さにどっぷりとはまった要因なのかもしれません。現在、私は「近自然河川研究所」の代表として、日本の河川がより良い環境となるように、各地で近自然の川づくりに取り組んでいます。
自然環境を取り戻そうと考えたスイス・ドイツの人々
1980 年頃のヨーロッパや日本では、経済発展に伴う開発で環境が大きく変化していました。川にはダムが建設され、蛇行していた流路は直線化されて、川岸もコンクリートで固められました。そして、川の水も工場や家庭からの排水で汚れました。
こうして、それまでの人と自然との関わりのなかでゆっくりと形作られてきた川の景観や、当たり前にいた生き物たちの生育・生息の場が失われていったのです。近自然工法は、そうした時代の流れのなかで、失われた自然環境が人類にとっていかに大切なものであったかに気付き、一度壊してしまった自然環境を取り戻そうと考えたスイス・ドイツの人々によって生まれたものです。
本来、生態系には攪乱(※)に対して自らの力で元の状態に戻ろうとする〝復元力〟があります。しかし、その復元力を超える力が働いて生態系が破壊されると、自然の力だけで元の状態に戻るには多くの年月が必要になります。そこで、自然が自らの力で回復していけるところまで、その障害を取り除いたり、不足するものを供給したりして、ある程度、人が手助けをしようというのが近自然工法の基本的な考え方です。これを川の再生に適用したのが「近自然河川工法」です。
私が初めてスイスに行き、近自然の改修が施された水辺に立って感じたことは、その空間の「心地良さ」でした。これだけは、文章や写真ではお伝えできないことですが、そうした自然から得られる心の安らぎこそが、スイスの人々が求めたものなのだろうと思います。
*攪乱:生物の生育・生息する環境を大きく変化させる事象。河川での攪乱には自然的な攪乱(洪水・土石流など)と、人為的な攪乱(河川改修・ダム建設など)がある。近自然河川工法では、 主に人為的な攪乱を対象として川の環境再生を行う。
スイスの事例:自然に近い空間を人工的に創出(チューリッヒ)
創出された水辺。
再生された水辺。
日本独自の「近自然河川工法」が生まれるまで
この近自然河川工法をいち早く現地で学び、日本に紹介した人物が私の師匠である故福留脩文氏でした。福留氏は、近自然河川工法による生態系復元の考え方を大切にしながら、スイス・ドイツとは異なる特性をもつ日本の川に応じた独自の自然再生技術を生み出して、日本の川の環境改善と近自然河川工法の普及に力を注ぎました。
こうした福留氏の活動が一つの契機となり、日本では平成2年に「多自然型川づくり」という国の事業として、近自然河川工法の概念を参考にした川づくりが始まりました(現在は「多自然川づくり」と呼ばれている)。そして、平成9年には河川法が改正され、「治水」・「利水」だけであった法の目的の一つに「河川環境の整備と保全」が加わり、日本の河川行政が変わったのです。
「近自然の川づくり」とは
近自然河川工法は、ドイツ語の「Naturnaher Wasserbau」が語源であり、そのコンセプトは次のように定義されています。
【近自然河川工法のコンセプト】
「近自然河川工法とは、河川を上流から下流にかけて流域全体の自然の営みや景観の中でとらえ、それらをどのように発展させていくか」という川全体に対する工事や維持管理の土木工法の総称である。
出典:近自然河川工法の研究(クリスチャン・ゲルディ 福留脩文 著)
この近自然河川工法のコンセプトに基づく川づくりを、ここでは「近自然の川づくり」と呼ぶことにします。
近自然の川づくりにおいても、国民の生命・財産を守る治水対策が第一義であるということは言うまでもありません。その上で、それぞれの川とそこに暮らしてきた人々や生き物が共生しながらつくり上げてきた、その流域、その川、その場所の風景をどのように発展させていくかを考えることが近自然の川づくりの基本です。ですから、単に、「人が壊してしまった生物の生育・生息空間を再生する」だけではなく、「そこに残っている良いものを保全する」という視点が重要なのです。
川底や水際の凹凸、石の大小、流れの緩急
よく「植物や木、石といった自然素材を使えば近自然なのだろう?」とか、「近自然=石積み護岸」などと誤解されることがあります。しかし、自然素材を使った個別箇所の川づくりだけが近自然ではありません。
近自然の川づくりでベースになるのは、生き物の生育・生息環境の基盤となっている〝物理環境(=非生物系)〟です。例えば、川で言えば、川底や水際の凹凸、石の大小、流れの緩急などのことです。物理環境が単調化した川では、その環境に対応できる少数の生き物しかいなくなります。一方で、物理環境が複雑・多様な川では、その上に成立する生き物の世界(=川の生態系)が豊かになるのです。このあたりのお話を次号でお伝えしたいと思います。
(次号につづく)
次号後編では、日本での事例を紹介していただく予定です。
奈良の川も今より自然に近づいたら、、、と想像しながらお読みください。夏号をお楽しみに。
さとびごころVOL.41 2020 spring掲載