この記事はさとびごころVOL.38 2019 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
「おおきんの~」で溢れる村の日々
下北山村で暮らすようになり、よく耳にするようになった言葉のダントツNo.1 に「おおきんの~」という一言があります。この地域の方言で、「ありがとう」の意です。毎日顔を合わすご近所さんでも、「おはよう。いつもおおきんの~」が決まった挨拶。まだまだ慣れず、気恥ずかしさもあったりで、村の皆さんのようにてらいもなく「おおきんの~」とは言えないものの、私はこの言葉が大好きです。
相手に感謝と敬意を持って接する村の方の姿勢から学ぶことは多く、この一言から始まる会話には、心がほっとほぐされるような温かさを感じます。そして、「おおきんの~」とふいに言われると、ちょっとドキッとすることもあります。「自分は人に感謝されるようなことが出来ているのだろうか?」「自分は日々、きちんと感謝を伝えられているのだろうか?」「不平不満ばかり言っていないだろうか?」…。自らのふるまいをはっと顧みさせられる瞬間です。
いつでも、どこでも「おおきんの~=ありがとう」が溢れている。それだけで、この村に流れる空気感をご理解いただけるのではないかと思います。
先人が残した「自然」の上にある暮らし
加えて、日々感じているのは、この村に生きた先人方に対する尊敬の気持ちです。ここに移り住んで間もない頃から、この村ならではのお茶作りや、梅仕事、お米作りをさせて戴けることになったのですが、それはすべて先人の地道な営みがあったからこそ。動力といえば人力か牛などの家畜の力しかなかった時代に、一から山を切り拓き、何段にも連なる立派な石積みを作り上げ、一枚一枚田畑を拡げてきた先人方。まさに、
「すごい」の一言。石垣に植えられたお茶を摘みながら、老木の梅を狩りながら、また、田んぼに足を入れながら、かつての先人が成してくれたはじめの一歩に想いを馳せると、「おおきんの~」と思わずにはいられません。
この村を占める92%の森林の内の半分以上が人工林であると言われていますが、その森林もしかり。杉やヒノキの苗木を育て、それを担いで山を登っては、一本一本をその手で植えていく。その姿を想像すると、様々な想いが心に浮かんできます。そして、今日に至るまで、田畑や森林、村の風景を守ってきたのは現在を生きる村の方々。私なんかが感じる以上に、きっと思うことが多々おありだろうと察します。
日本人として、自然を敬い慈しむという気持ちや姿勢は、子どもの頃から何となく身についてきたような気がします。しかし、現在の「自然」と言われる風景や風土は、手つかずの自然ではなく、ここに暮らした先人たちが手をかけて作り、守ってきたもの。そのことを強く感じるようになったのは、この地に身を置いて暮らしを始めてからのことです。
先人への感謝と尊敬を日々の暮らしの中で感じ、大切にしていくことは、自分自身の暮らしを大切にすることに繋がるのではないかと思っています。何の地縁も血縁もなく、有り難いご縁だけで移り住ませてもらった私たちですが、そんな私たちにも「何かしたい」と思わせるような「自然」がここにはあります。美しい渓流も、石垣に囲まれた田畑や集落も、動き始めた森林も。時代背景の中で変化し続けて来た「自然」に対し、私たちに出来ることは何だろうか。そんなことを考えながら、今はただ恩恵にあずかるばかりの毎日です。
ネイティブ思想に通じるもの
田舎での農的暮らしを志す人々の中でよく耳にする話の一つにあるのが、「農地を借りられない」「思うように耕作させてもらえない」というもの。地方移住のハードルの一つとも言えるかと思います。しかし、この村では、特に大きな困難もなく田畑を使わせてもらうことができ、必要な時に様々な教えや手助けを請うこともできてしまう。この恵まれた環境は、私たちがたまたま幸運なのだという訳ではなく、この村らしさによるものが大きいと思います。
「この土地は、自分だけのものじゃない」「使える人が、大事に使ったらそれでいい」そんな言葉に、所有や独占といった概念が蔓延る現代社会には、もはや珍しいともいえるような懐の深さを感じます。土や空、流れる川や澄んだ空気、周りの環境はすべて繋がっていて、誰のものでもない。みんなのもの、地球のもの。そんなネイティブ・アメリカンの教えと共通する思想を、今ここで体感しています。
訪れる者を温かく迎え入れ、空腹を満たし、寝床を与える。自分が持つものを惜しみなく分け与え、家族のようにその身を案じる。いつも門戸をあけ、来る者を拒まず、去る者を追わず。緩やかでいて強いコミュニティの繋がり。みな、屈託なく笑い、よく働く。世界を巡る旅の中で出会った先住民族・少数民族と呼ばれる民に感じた民族性に通じるものを、この村の人々からも感じるのです。
下北山村に暮らす人々、特に高齢の方々は、日本に残る貴重な少数民族と言えるのかも知れません。
ホタルの光は希望の光
5 月の最終週末、山の家 晴々のビオトープで、今年もホタルが飛びました。オーナーさんから引き継ぎ、ご近所の方々の力もお借りしながら、出来る範囲でお世話をしてきたビオトープです。
ホタルは卵から孵化し、幼虫の間の約9 か月間を水の中で過ごします。上陸し、土の中で蛹になって更に約2 か月。ようやく羽化して成虫になり、パートナーを求め光を放って飛び回る期間はたった2 週間ほど。蛹から成虫になるまでは、一切食事をとらず、幼虫の間に蓄えた養分だけで命を繋いでいくのだそうです。産卵を終えるとすぐその生涯に幕を下ろすホタル。ホタルの光が、あんなにも儚くて美しいのは、長い長い、水中と土中の生活を経て、やっと外の世界を飛び回ることができたホタルの輝く命そのものだからでしょうか。光輝くホタルの舞いの舞台裏を知ってから、ホタルの光は、私の眼には一層儚く、美しく見えてくるのでした。今年も無事にホタルが舞ってくれた姿を見て、ホッとすると同時に、とても元気づけられている自分がいます。
人の手が適切に介入することで、自然本来の姿に近づけることも、取り戻すこともできる。舞い飛ぶホタルに、喜びと感動の声をあげる来訪者の様子を見ると、自然をどう残していくべきか、明確な答えを受けていると感じます。現代を生きる子どもたちにとって、ホタルの存在は何を現しているのでしょうか。儚く光るホタルの姿が、この先の時代にも、子どもたちの記憶の片隅にあり続けること、日本の原風景の一つであることを願いながら、来年もホタルの舞う環境を微力ながら守っていけたらいいなと思っているところです。
オノ暮らしのドアは、いつでもあなたにオープンです。
さとびごころVOL.38 2019 summer掲載