この記事はさとびごころVOL.38 2019 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
6月に釣竿を掲げる人の姿があれば、その川にはきっと鮎がいます。かつて奈良県のあちこちの川で、湧き上がるほどに泳いでいた鮎は、今や貴重な魚になりました。鮎釣りをこよなく愛する若者の、鮎と川のお話です。
春の訪れと共に戻ってくるかわいい奴
4月上旬、桜の花が咲くころから下北山村の川には小さな魚が帰ってくる。その魚の名は「鮎」だ。とにかくかわいい魚だ。なんといっても毎年川に戻って来てくれるのである。そんな彼らの姿を見つけると思わず「おかえり」と言ってしまうのだ。
鮎は1年魚。つまり季節とともに成長し、1年のうちに成魚となり卵を産み、一生を終えていく。一般的には、川の流れの緩やかな柔らかい砂利の川床に卵を産む。それがだいたい9月~11月の間で、このタイミングというのは河川の水温に関係しているようだ(川の水が冷たい下北山村ではだいたい9月の半ばには産卵が始まる)。卵からかえった稚魚は川を下り、寒い冬の間は海で動物プランクトンを食し成長する。やがて春になり水温が上昇し始めると、群れをなして川を遡り始めるのである。どんどんと川の上流を目指す彼らの目的は、石についた上質な苔である。成魚になった鮎の主食は、プランクトンから苔類に変わるのだ。
鮎は細長くギザギザのあごを持つ。苔を「はむ」のに適したそのあごで、そぎ取られた岩の苔あとは花びらのような形になる。それを「はみあと」と呼んでいるのであるが、僕はこの「はみあと」を見ると、また季節が巡り鮎が成長したことを感じて嬉しくなるのである。食欲旺盛に育った鮎たちは初夏のころには20センチ前後にまで成長する。
鮎の縄張り行動特性と僕の好きなこと
ここで鮎という魚の特徴を少し紹介させてほしい。
春先に河川を遡ってきた鮎は、成長してくると自分の「なわばり」を持つようになる。水の透明度が高い綺麗な川では良質な新鮮な藻類が育つ。水の綺麗な場所の鮎が美しいのは、鮎が食べる水中の藻類の質が良いから。鮎たちは自分が食べる良い藻類が育つ場所を知っていおり、それを守るために「なわばり」を持つのだ。他の鮎や魚が近づくと背びれをピンと伸ばして威嚇し、時に追い回し攻撃をしたりする。自分の「畑」を外敵から守る行動だ。
この鮎の「なわばり」の行動特性は実は僕(人間)にとって、とてもとても大切な行動である。 何故なら、「鮎釣り」という僕の大好きな行いに貢献してくれるからだ。
鮎釣りシーズンの始まりは6月。釣りは、普通は針にエサをつけてそれを食べに来た魚を釣り上げる。しかし鮎釣りは違う。先にあげた鮎の「なわばり」の特性を利用し、エサではなく、糸の先に同じ鮎をつけオトリに使うのだ。オトリの尻びれ付近に針をつけ川を泳がせる。すると、そのオトリが鮎の「なわばり」に入ったときに、川の中の鮎は尻びれをめがけ突進し追い出そうと攻撃をしてくる。オトリの尻びれには針がついているのでガツッ!と引っ掛かる。これがアユ釣り。
この釣り方を鮎の友釣りと呼んだりする。友達ではないが、鮎で鮎を釣るから友釣りなのだろう。人間の知恵だ。いつも思うのだが、魚の特性を知り、鮎釣りを開発した人はすごい。江戸時代には始まっていたという。そのおかげで、一年の初めに鮎が釣れた時の興奮は、僕にとって最高の瞬間となる。
下北山村の鮎は湖産型 そのわけは?
僕がこどもの頃は夏になると毎日川に潜り、鮎を捕まえた。大人になった今も釣りをしている。その間ずっと鮎は毎年帰って来てくれている。かわいい奴らだ。
下北山村ではその昔、鮎がのぼって来なくなったことがあった。海との間にダムができたからだ。では、今なぜ鮎がのぼって来るのか。それは、鮎には大きく分けて2種類の鮎がいることが関係している。一つは海で育つ海産型の鮎、もう一つは湖で育つ湖産型の鮎。
湖産型は琵琶湖が起源で、遺伝子が海産型とは全然別種のようで、海産型は湖ではふ化できないらしい。ダムができるまでは海産型の鮎が遡上してきていたのが、ダムに阻まれてそれができなくなったため、当時の村の漁協は鮎の放流をした。その鮎の中に、どうやら湖産鮎がいたようで、なんとその鮎がダム湖で育ち、川に帰ってくるようになった。人間が作ったダムで一度は消えかけた鮎が、そのダムで寒い冬を越して春になると遡上してくるのだ。
鮎は水質にとても敏感な魚である。上流にダムができると水が滞り有機物が堆積するなどヘドロ化したり、川底にそういった泥が増えたりする。そのような場所で育った鮎はヘドロを食べているために、人の口にはあまり美味しくないと言われている。残念ながら日本の川という川にはほとんどダムが作られてきた。田舎にとっては交通の便であったり、治水であったり、または発電所となるなど社会に貢献してきた面もある。一方で、鮎や自然環境から見た側面では、様々なものが犠牲になったのではないかと思っている。
下北山村のとりくみ
今年、下北山村では村内の河川にある魚道(魚が遡る行動が妨げられる箇所で、遡行を助けるために川に設ける工作物)の改良工事を行うという。
川から農業用水を取水するための堰堤につけられた魚の道だ。この堰堤には、もともと魚道が設置されていたが、経年劣化により魚がほぼのぼれないような状況になっていた。そこで村では、この魚道の改修にあたり、なるべく自然に魚がのぼれるように、かつ長持ちするような設計が採択された。せっかくダムで孵った鮎が遡上できなければ意味ない。とても喜ばしいことだと思う。
先の話ではないが、これからの公共工事はやはり未来にどのようなモノを残して行くのかが大事だと思う。高度経済成長期、日本は多くの自然を犠牲にしてきた。その結果、今があるのだが、これから人口減少等に伴い経済成長も落ち着いてくるだろう。そういったときに我々はどういう選択をしていくのか。
下北山村という大自然の中にある小さな村だからこそ、自然を良い形で残し未来につなげていくような村づくりが必要だ。要は、なるべく人が手をかけずに、鮎が毎年帰ってくるような川づくりが必要なのではないか。
いつまでも、鮎が帰ってくる川を
9月頃、朝の気温が若干ひやっとする頃になると、台風や秋雨前線の活動でまとまった雨が降る。雨が降ると川が増水し、鮎たちは気温・水温の変化を感じ増水にあわせて川を下って行く。ダムと川が交わる場所(バックウォーター)付近では痩せこけて黒くなった雄鮎達が、白く丸々とした雌鮎を囲むように群れを作り泳いでいる。やがて1匹、1匹と黒く細長くなった鮎達が弱っていき、ゆらゆらと流されていく。産卵を終えたのだ。生き物として役割を全うした鮎は、こうして一年で死んでいく。
それから2週間ほどすると孵化が始まり、また鮎の一生が繰り返されて行くのだ。そんな鮎たちを見ていると僕は、「君は未来へどう繋げていくのか?」 と問われているような気持になる。そして心の中で「また来年、帰ってきてな」とつぶやく。
「昔の鮎は、鮎缶に真っすぐ収まり切れないほど大きかった。サバみたいだった」。
これはダムができる以前に、川で鮎を捕った方から聞いた話である。「サバ」かあ。おそらく30センチ前後はあったのだろう。当時の鮎は海産型。その特徴として、湖産型よりも大きくなり、尺鮎と呼ばれる。一度でいいからそんな鮎や、そんな鮎が育った大きな川が見てみたかったなと思う。
北直紀 (さとびライター 下北山村在住)
さとびごころVOL.38 2019 summer掲載