この記事はさとびごころVOL.40 2020 winterよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
「最近の林業施策や、森林や林業を取り巻く情勢を学び、それぞれの立場で、後世に持続可能な奈良県の素晴らしい森を引き継ぐことを考えよう」ということを動機に、明日の奈良の森を考える学習会は始まりました。いろいろな学びを進めてきましたが、森林や林業を取り巻く情勢は、決して明るい未来に繋がっているとは言えないものがあります。そんな今、奈良県森林総合監理士会を創設以来ご支援くださり、当学習会にも度々ご参加くださっている森林ジャーナリストの田中淳夫さんが『絶望の林業』というタイトルの著書を出版されました。この出版記念も兼ね第11回学習会の講師としてご登壇いただき、貴重な講演が実現しました。以下に講演概要を報告します。
絶望の林業
木材の合法性は環境保全にとって大変重要な問題だ。
奈良の皆さんは興福寺の中金堂が再建されたことはご存知だと思うが、柱の一部にカメルーンのアフリカケヤキが使われている。このアフリカケヤキは現在伐採が禁止されている。興福寺に使われたものは禁止される前に伐採されたものだと言われているが、グレーな印象が拭えない。合法木材の伐採と流通の推進を目的に定められた日本のクリーンウッド法はただのキャンペーンのようであり、法の目的である違法木材の流通規制はできていない。この基準を守るのは登録業者だけだし、公が合法性を直接確認しない方法をとっており、罰則もなければ、違反しても登録抹消にもならない。林野庁は厳格に運用すると登録する者がいなくなるので厳しくできないというが、この程度で国際基準と言えるかは疑問である。
国内に目を向けてみても、奈良県では十津川村で世界遺産の大峰奥駆道を作業道が横切り皆伐地が広がる現実もあり、大分県、宮崎県でも合法性を疑う伐採が目立つ。利益の薄い林業で少しでも利益をあげようと少しでも伐採量を増やそうとするために起こる「盗伐」が横行している。これらの現実を警察が盗伐として捉えようとしない絶望的な現実もこの日本にある。日本の林業に絶望する理由として、補助金漬け、知識と技術の欠如、時間感覚の欠如、倫理観の欠如などが挙げられる。
希望の林業
ここで、奈良県から希望の林業を考えてみたい。奈良では676 年に日本最初の自然保護の発令と言える飛鳥川伐採禁止令が出され、15世紀には育成林施業が始まるなど、森林管理の先進的な地域だと言える。
江戸後期に全国的に禿山が広がる中においても吉野は木材を安定的に供給できたし、戦後の復興期に過伐が進んだ中、GHQ は『民間において十分な森林資源が存在するのは吉野だけ』という報告も残している。吉野地方では、地域の特性や文化・宗教・情報を巧みに活かし、森林資源の商品化に多くの成功をおさめてきた。
現在の奈良県の林業は苦戦しているが、潜在力は他の地方に比べるとまだまだあると思っている。ちょうど奈良県が進めている伐採規制と森づくりの仕組みづくりに期待したい。
奈良ならできる奈良でしかできない希望の林業、日本最高峰の森づくり技術、大都市との近さを活かした商品開発、まだまだ残る『吉野ブランド』と伝統の『プライド』がそれを支えるだろう。
もうこれ以上所有森林に望みが持てないので、自分の時代に少しでも現金に変えようとする「打ち止め伐採」が全国的に増えつつあるが、奈良県の林家にはまだ体力が残っていると思う。
多様性の高い自然や森林資源を活かす希望の林業を継続して行ってほしいものだ。
さとびごころVOL.40 2020 winter掲載