この記事はさとびごころVOL.41 2020 springよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
4歳で発達障害の診断をもらい、はやくも小学校2年生になる息子へ。
小学校から歩いて帰ってくる息子を、家で出迎える機会は少ないが、たまにある。その日帰ってきた息子は、今にも泣きそうな自分を必死に押し殺している様子だ。ぼくが出迎えると「つかれた」と一言いう。「どうしたん?なんか嫌なことあったん?」と聞くと、ぽろぽろと泣き始めた。どうやら友達と追いかけっこをしながら帰ることになったらしい。鬼は息子だ。ゆっくり逃げる友達に、追いつきそうになったら、わぁーと逃げられ、近づくとまた逃げられる。これを何度も繰り返されて「つかれた」そうだ。泣いてる理由は疲れたからではなく、意地悪されたからだと本人はわかっているから泣いているのだけど、言葉にはしない。
学校生活の様子を知る方法は、息子本人の話や同級生、またその親と共有する話が主だ。入学して間もなく、乱暴な子がいるらしいとの話が親達の間で広まった。それぞれが我が子に話を聞いてみると、共通の名前が出てきたので、あっという間に乱暴な子の正体がわかった。息子にも聞いてみると、いきなり叩かれたりしたことがあるそうだ。
親とは不思議なもので、ぼくに子どもがいなかった時は、色んな子がいるものなー、親がいちいち気にすることでもないな、と考えていたけど、いざ我が子が理不尽に叩かれたと聞くと、大人子ども関係なく、犯人をとっちめてやろうと一瞬思ってしまう自分に驚いた。
それと同時に「その乱暴な子は発達障害でないのか?」という考えがよぎる。発達障害に悪いイメージがある人が、そう考えてしまうと差別が始まるのだろう。ぼくらは療育の場でも同じような子を見てきたし、育て方や躾が乱暴さに直結しているわけではないこと知っている。
発達障害の有無に関係なく色んな人達が存在する。それは小学校でも大人ばかりの社会でもだ。自分にとって都合の悪い人に出会うこともきっとある。そんな時君ならどうすればいいかもう知ってる。無理に追いかけると笑って逃げられ、また待ち構えられたよね。最初から追いかけなければいいと思うよ。
さとびごころVOL.41 2020 spring掲載
文・都甲ユウタ(フォトグラファー)