この記事はさとびごころVOL.42 2020 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
理念として「自然と共生する農業」を掲げたが、金を稼ぐ手段をどうするのか。まず、有機野菜セットの宅配を始めた。とくに栽培の経験もないのに意外に無農薬でもよくでき、知り合いを通じて順調にセット数を増やした。ところが3年を経過した辺りから、病虫害が激増する。作っては全滅の繰り返し。有機農業あるあるだ。しまいにはセットの野菜数が減り、品質面でのクレームもで始めた。
そこで単一の野菜栽培に切り替える。収入=栽培面積×単価とばかりに、荒れ地や放棄地を借りて栽培面積を増やしてゆく。しかし、利便性の悪い土地は単位面積あたりの労働力が半端なく多い(だから誰も作らず放棄される)。さらには、苦労して育てた野菜も米も、収穫前にイノシシにきれいに食べられる。もがくばかりで、一向に収入が増えないなか、半ば自暴自棄になりながらさらに土地を借りるが、十分に管理ができるはずもない。同時期に就農した仲間は、平坦の施設栽培等で経営的に安定してきている。私はあせっていた。
そんな折、ふと自宅の書棚に目をやると、『里山の伝道師』という本が目についた。三重県赤目の豊かな自然を守り育てているNPO 法人の著書である。実は退職してすぐ、知人から「参考になるかもしれないから見ておいては」と勧められ、赤目の森を訪ねたことがあった。そこは、ゴルフ場開発予定地をトラスト運動で買い上げ、滞在型のリゾートレストランを経営していた。ただその時は自身の農業との関連性を見出せず、長らく忘れてしまっていたのだ。著書を読み返し、初めに掲げた理念を思い出した。「無農薬で野菜を作ることが目的ではない」。
藁にすがるように10年ぶりに赤目を再訪した私は、強烈な光景を目にする。レストランはすでに閉店していて、心身障害者の作業所となっていた。そして外国人や日本人が忙しく出入りし、時折怒号が響く。その声の主が赤目のオヤジである。
さとびごころVOL.42 2020 summer掲載
文・杉浦 英二(杉浦農園 Gamba farm 代表)
大阪府高槻市出身。近畿大学農学部卒。土木建設コンサルタントの緑化事業に勤務。
2003 年脱サラし御所で畑一枚から就農。米、人参、里芋、ねぎの複合経営。一人で農園を切り盛りする中、限界を感じて離農も検討していた時、ボランティアを募ることで新しい可能性に目覚め、「もう一度」という決意を固め、里山再生に邁進中。 2017 年、無農薬米から酒米をつくる「秋津穂の里プロジェクト」を始動。風の森 秋津穂 特別栽培米純米酒の栽培米を生産している。
連絡先 sugi-noen.desu219@docomo.ne.jp
【参照】 さとびごころ vol.35(2018autumn) 特集 農がつなぐ人と土