この記事はさとびごころVOL.49 2022 springよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
奈良の地酒ブランドの持続的成長を支えてきた地元の「小さな酒屋」の物語。
今回は、もも太朗の店主、杉本憲司さん(1956 年生)の物語です。
奈良の地酒との出会い
1980 年代半ば、杉本さんは、それまで勤務していた叔父の酒販店から独立し、自身の店「ももたろう」を立ち上げた(後に「もも太朗」に改称)。近い将来に従来の宅配型の酒販ビジネスが成り立たなくなるだろうと予想されていた当時、いち早く店売り型への移行を図るとともに、顧客を惹きつける「売り」を探し求めた。
実は、叔父の店に勤務していた頃に杉本さんは一つヒントをつかんでいた。ある時、常連客から商品に異物が混入しているとのクレームが入った。異物混入それ自体は勘違いの可能性が高かったが、改めて調べるうちに、廉価な量産酒には醸造用アルコール以外にも様々な添加物が入っていることに気づかされた。「お客さんの健康のためを思ったら、混じりっけのない純米酒をすすめるのが良いだろうと。これが原点です」。
ところが当時、純米酒はまだほとんど流通しておらず、杉本さんは、様々なルートを通じて全国各地から希少な純米酒を取り寄せては試飲する日々を送った。地元奈良に関しては、「せっかくだから自分で行こう」と考え、その当時県内各地に56軒あったという酒蔵すべてに足を運んだ。その結果、質の高い酒が思いのほか多くあることに気づかされ、「いずれ奈良の時代が来るだろう」との確信を得た。奈良の地酒に徹底的にこだわろう…、ここに杉本さんの目指す方向が定まった。
今でこそ全国的な人気を誇る奈良の地酒であるが、当時は地元ですら人気がなかった。「当時の国のデータによれば、自県で造られる酒の県内消費、奈良県が全国最下位でした。… 奈良の酒屋は県外から安く仕入れて高く売ることしか考えていなかった。… 奈良の人が奈良の酒に気づくのは10年くらい前のこと、私がやりだした35年前は『奈良の酒なんか飲んでられるかい』ってよく言われました(笑)」。
とはいえ、1990 年代を迎える頃になると、奈良県内でも地酒に注目する酒販店が徐々に増え、酒販店同士の「横の連携」もみられるようになった。本連載で紹介してきた暁会(梅乃宿酒造の販売促進を目的とした地元酒販店のネットワーク)はその嚆矢であり、杉本さんもまたメンバーの一人である。暁会のリーダー、登和成さん(登酒店店主)によれば、杉本さんの最大の特徴は、「マメに動くところ」にあるという。暁会のメンバーのなかで県内の酒蔵すべてに足を運んだのは杉本さんただ一人であり、他のメンバーは、「道先案内人」というべき彼から様々な有益情報を得ることができた。
人生の転機となった阪神淡路大震災
奈良の地酒に専門特化した酒販ビジネスが軌道に乗り出した頃、杉本さんは人生の転機を迎える。きっかけは、1995 年に起きた阪神淡路大震災である。10歳まで西宮で育ったという個人的な縁もあって、思い出の土地の惨状を知るや、いても立ってもいられず被災地へと飛んだ。飲料水をはじめ不足する必要物資を運ぶため、被災地と奈良の間を頻繁に往来。また、避難所のテント生活が少しでも快適になればと、現地調達の廃材を使って棚をつくったり、地元斑鳩を流れる大和川で葦を刈り取って葭簀(よしず)(日除け用)をつくったりと、あらんかぎりの知恵を絞った。
杉本さんは、もともと「石橋を叩いて渡る」タイプであったが、震災ボランティアの経験(すぐに動けなかったために後悔したことも多くあったという)を通して、「思い立ったらすぐ動く」ことを心掛けるようになったという。実際、それから程なくして、たまたま隣町(平群町)のギャラリーでフリーマーケットが開催される予定と知った彼は、そこで奈良の地酒を応援する酒の会を行ったら面白いのではないかと考え、すぐさま出店の申し込みに動いた。酒の会で使用される酒に関しては、当時頻繁に出入りしていた千代酒造(御所市)からとっておきの酒を調達。狙い通り、酒の会は大盛況となり、その後、頻繁に開催することになった。1990 年代半ば当時、こうした酒販店主催の酒の会はまだ珍しいものであり、前々号で紹介した酒のあべたやの店主、村井誠さんは、自身がはじめて酒の会を開催した際、杉本さんの取り組みを参考にしたという。
その後、杉本さんは、酒の会にとどまらず、蔵見学会、県内外の各種イベントへの出店、講演活動など、奈良の地酒を応援するために「マメな動き」を今日まで続けてきた。
環境にやさしい酒の売り方、飲み方
近年、日本酒ファンの間で「無濾過生原酒」(濾過、加熱殺菌、加水をしていない搾っただけの酒)が人気を博しており、このジャンルにおいて奈良の地酒ブランドが全国的に注目を集めている。もも太朗も地元奈良産の無濾過生原酒を多く取り揃え、舌の肥えた顧客に提供している。杉本さんは、無濾過生原酒に関して、「相当の技術力がともなわないと出せない酒」と評価する一方で、次のような「逆の視点」も提示する。
「地球温暖化のことを考えると、あまり冷蔵にこだわりたくない部分もあります。できたら、火入れして無濾過原酒で出したほうが私は良いと思っています。冷たくして飲みたかったら、その時に冷やせばいい。… ある蔵は、火入れしていない生酒を常温で送って来られます。それだけ品質に自信があるんでしょうね。こういうやり方も面白いんじゃないかと思います」。
加熱殺菌されない生酒をめぐる「常識」としては、その品質を維持するために、酒蔵での貯蔵から流通、飲食店や家庭での消費にいたるまで「要冷蔵」が当たり前とされるが、当然ながら、そうすると電力消費がかさむことになる。無濾過生原酒は、混じりっけなさゆえに人の体にはやさしいが、電力コストの大きさゆえに環境にはあまりやさしくない。「それがいつも頭の片隅にある」という杉本さんは、信頼関係にある常連客とのコミュニケーションのなかで、あえて無濾過生原酒を常温で放置し、味の「変化」を楽しむことをすすめている。
奈良の「小さな酒蔵」を応援したい…
現在、もも太朗は、斑鳩の本店(JR法隆寺駅近く)に加え、JR 奈良駅直結のショッピングモール内にも店舗を構えており、コロナ禍前には多くの外国人客で賑わっていた。また、コロナ禍が始まる直前のことであるが、海外での日本酒需要のさらなる高まりを見越し、海外から直接注文を受けられるEC サイトを立ち上げた。その際、大阪国税局のスタッフにすすめられ、酒類卸売業免許を取得。この免許があると輸出業務にも従事できると知った杉本さんは、今後、本格的に輸出事業に取り組もうとしている。その真意はこうだ。
「奈良のお酒、味は人気なのに、生産量が少なくて、経営的にしんどい蔵を何軒も知ってます。ちょっとでも、うちを通じて海外に販路ができたら良いんじゃないかと。… 奈良の『小さな酒蔵』をどんどん応援して、経営を安定させてもらいたいと思ってます」。
このように、杉本さんは、奈良の地酒の未来のために、海外市場を見据えている。
さとびごころVOL.49 2022 spring掲載
文・河口充勇(帝塚山大学文学部教授)