縄文好きな方、いらっしゃいますか。
わたくしあなん、かれこれ10年くらい前から、降ってわいたように縄文時代が気になり始めました。
はっきりしたきっかけが思い出せないのですが、もともと森林に興味があったことや、大きな災害がある度に、なぜか人々が助け合う姿に感動し、この気質はどこから来るのだろうと思ったことが大きいかなと思います。そのルーツは縄文時代だったのではと思ったのでした。
「考古学が大好き」というわけではなく、専門知識はありません。ただ、人間や社会や文化や、そういうことにいつも興味があり、つまりは人が幸せに暮らせる世の中に興味があるのだと思います。
こんなタイプの縄文好きですが、昨今はブームでもあるそうなので、縄文の好きな方がいらっしゃるのではないでしょうか。
もし「気が合いそうだな」と感じてもらえたら縄文お茶会をしましょう!また、まだまだ知りたいことがありますので、知識豊富な方には教えていただきたいです。ご連絡お待ちしています(^^)
そんなわたしは、旅に出るときのテーマはいつも「その地の縄文時代」をチェックします。ちなみに、関連する旧石器時代にも興味が湧きますし、長く平和が続いた江戸時代(庶民の暮らし系)も好ましく感じます。
先日、また縄文旅に行ってきましたので、気の合う方に読んでいただけたら嬉しいです。
また、縄文時代がどうしてそんなに興味あるの?という方にむけて、さとび目線ですが「基本的な魅力ポイントとその訳」のような記事も作ってみたいと思っていますので、広い心でお待ちください。
以下は、縄文好きな方向けです。
長くなりますので
【1】真脇遺跡(石川県)
【2】新潟県立歴史博物館と馬高遺跡(新潟県)
に分けてお伝えしますね。
【1】真脇遺跡 1日目(2024年11月14日)
夜明け前に奈良を出て、まずは能登半島にある真脇遺跡へ。(副音声で=道路は地震の爪痕だらけでした…立ち寄った輪島も、多くの建物が壊れたまま…)
真脇遺跡は、縄文の本を読んでいるとちょくちょく出てきます。注目ポイントは謎の環状木柱列。ここは前期(BC5000年ごろ)から晩期終末(BC1200年ごろ)にかけて、4000年!!!近く、ずーーーーっと集落があり続けた場所でした。年表ゼロ年から今日まででも2000年ちょっとしかたっていないのです。その倍の長さ、同じ場所で人が住み続けることができた。100年住み続けたい奈良のための地域づくりマガジンさとびごころは、敬服します。
最初に、真脇遺跡がどこにあるか確認しておきますと、能登半島の先端近く、東側、富山湾に面した海の近くです。
グーグルマップより
縄文の集落は海や川の近くが多いですよね。食べ物を調達しやすい場所で、洪水になりにくい小高いところの、なだらかな場所にあることが多いです。ここでもそうですね。
縄文人が環状に石や柱を並べるのは、祭祀の場所としてと言われています。祭祀の遺構は前期など古い時代には見られなくて、晩期になってからが多いように思います。
下記は、別の施設(翌日行った馬高縄文館)にあった年表ですけど、前期、中期という区分の下にあるカラフルなグラデーションで示された気候のところを見てください。
年表
真脇集落が始まった前期は今より気温が高く、中期で今と同じくらい、そのあと後期・晩期になると寒冷化していますよね。色からすると、今より寒いみたいです。今より何度くらい低いのかわかりませんが、年表の色でみると旧石器時代(氷期)と同じくらいになっており、当時は今より7~8度低かったとのことですから、それぐらいでしょうか。かなり寒い。わたしは無理(寒がり)。温泉の近くで暮らしたいです。
一世代だけに限ってみれば極端な変化ではなかったかもしれないですが、世代を超えて寒くなっていくどうしようもない変化の中「このままいったらどうなるの?」という不安もあったかもしれませんよね。どうしようもないとき………ってどうします?人は祈るのではないでしょうか。もともと祈る人たちですけど、寒冷化で人口が激減していますので、その中から立ち上がっていくのには、祈りがことさらに必要だったのかなあと思います。
環状木柱列
真脇遺跡のこの木柱列も、謎の木柱列といわれていますけれど、祭祀の場所だったと思われます。祭祀遺構が増えるのと、寒冷化とはリンクしているようなんです。
寒冷化の厳しさの中で、今生きていることへの感謝やこれからも子孫繁栄しますようにという祈りは切実であったことでしょう。このような祭祀にかかわる遺構については、何を読んでもどこで聞いても「よくわかっていません」と、「なんらかの祭祀にかかわるのではないでしょうか」というフレーズが定番となっております。
だからわたしは、自由に想像させてもらい、ここは聖なる場所。祈りの場所だったという解釈がしっくりきています。よくある遺構のように、ここも二至二分(夏至冬至、春分秋分)がわかるようになっているのかな。縄文人て、なぜこんなふうに柱や石を建てたり、延々と石を並べたりしたんでしょうね。ちょっとした目印などでは、だめなんですよね。ここ、大事!!!っていう相当な思いがないと、これだけの柱を機械もないのに、何度も(6回作り直されています)作り直してでも建てないでしょう。高い柱を建てるには、地下も深く掘って固めないといけないわけで。。。その労力たるや。
そんなにも深い祈りを、わたしももっと取り戻したい。
柱の向こうに太陽が輝くのを見ながら、しばらくぼーっとして過ごしました。みなさまも、数秒間ですが、味わってみてください(動画で)。
この間、M部員(=夫・運転してくれる人)はバジルといっしょに待っていてくれました。
それと、この柱の素材は栗(ブナ科の落葉広葉樹)です。縄文時代は、栗が頻繁に登場します。かの有名な三内丸山遺跡の巨大な6本柱も栗、食料として栽培されていたのも栗、建築にも使われました。タンニンたっぷりで耐久性、耐水性ばっちり。現代でも枕木は栗ですね(枕木、減りましたけど)。依存が過ぎると気候変動のショックが大きいという問題もあったようですが、栗は本当に大切な木だったのですよね。
でもこの遺跡の復元には国産の巨木はすでになく、輸入した栗の木が使われているそうです。
わたし、栗の木大好きなので、これからは食用と材木用を兼ねて栗を増やしたもらったらだめですか(笑
いつかは国産材で修復できたら素敵だなあ。
竪穴式住居(縄文小屋)
家というものが大好きで、遺跡に行くと(いえ、文化財でもお友達の家でも)家はまじまじと見てしまいます。ここは、以前から興味のあった竪穴式の縄文小屋なのでした。ここを作った人は、縄文大工の雨宮国広さんという方だったはずだから(やっぱりそうでした!)。
雨宮さんYouTubeリンク(クリックしたら飛びます)
この動画を見ていたから、「あ!」と思い出したのです。真脇遺跡の縄文小屋を建てるよう依頼されたとき、実際に住んでみたらどうなのかを確かめるために作ってみたそうです。学者さんが考えたようなものは、違うなって思ったんですって。この動画をみて、縄文時代の暮らしって古民家×キャンプ生活って感じだなと思いました。キャンプすると、なんとなくわくわくするのは遺伝子がうずくんですよ、きっと。
実際に、縄文小屋の中に入ってみると、座敷のない古民家です。
また、今年1月の大地震の際にも、崩れなかったそうです。軽い家は地震に強いんですね。
雨宮さんは宮大工としても凄腕の方でしたが、今は「じょうもん大工さん」です。
・朝起きて、朝日を浴びるのが楽しい。
・自然素材で作っているから、作る人も住む人も健康を害さない。
・本物の火があるから、冬でも暖かい。(竪穴式住居内には必ず炉があります。煮炊きの場以上に、聖なる場所だったようです。煮炊きは屋外でもしていましたから)
・そしてそして、裸足で暮らせるのがいいんだとか。これはさとび秋号(vol.59)でも、小さく訴えました(ほんとは大きく訴えてもよかったのですが)アーシングですよね。毎日がアーシングなわけです。(毎日裸足っていうのは、わたしには寒くて無理ですけど汗)夏だけだったらやってみたいー。大地とつながるのは、体内の電気が整って良さそうですよねー。ネイティブアメリカンは言いました。「靴なんかはいてると、病気になるよ」って。
縄文館
写真撮影ができなかったので詳しく書くのはやめますが、集落の模型もあって、面白いです。まずはここで見学してから、遺構を歩きました。
真脇遺跡にはこの縄文館のほかに温泉もあり、泊まりがけでも楽しめそうでした。
見どころは木柱だけでなく、仮面、土器、イルカ漁、土坑墓、アニメの聖地などたくさんあります。その他詳しくは、真脇遺跡のHPにも掲載されていますので興味のある方は、お読みになってみてください。
最後に能登の復興を心からお祈りしています。また行きます。こんどこそ、漆塗りや塩のお買い物をして、あちこちで食べ歩きます。
真脇遺跡HP
http://www.mawakiiseki.jp
こちらもおすすめ!2024年に訪ねた方のレポート。わたしの文章より、きちんとしてます!館長さんの思いが伝わってきますよ。https://kazemakase.jp/2024/09/noto19jomon
縄文時代の寒冷化についての参考https://www.pref.kanagawa.jp/documents/95200/r04tokubetsukouen1.pdf
真脇遺跡の見学を終えると、富山に一泊して、翌日はいよいよ本命の新潟県歴史博物館です。大満足でした。ユーチューバ風にいうと「激ヤバ」って感じ???
以前に行った新潟縄文旅ではノーマークだった同博物館。とっても楽しみ。続きは「縄文遺跡を訪ねる旅 2」で書きますー。
付録 富山での一泊
ホテル周辺の風景が綺麗。散歩したくなる川が街中を流れていました。遊歩道があり、護岸の法面には植物がいっぱい。
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奈良の縄文を特集したvol.36 再入荷しました。