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SATOBITABI | 縄文遺跡を訪ねる旅 【2】信濃川沿いは火焔土器銀座。新潟でたっぷり、まじまじと。

SATOBITBI 続きです。覗きにきてくださり、ありがとうございます。縄文文明を未来のための重要参考事例と考えるさとびの、旅の記録です。このページに来てくださった方のために、新潟の縄文見学へご案内しましょう。



【2】新潟県立歴史博物館と馬高遺跡(新潟県)2日目 (2024年11月15日)


富山を出て向かったのは、新潟県の長岡市にある新潟県立歴史博物館です。縄文展示を中心に「新潟県のあゆみ」「雪とくらし」「縄文人の世界」等の展示コーナーがあります。奈良のみなさんは、長岡市というとすぐに思い浮かびますか?わたしは、何度か行っていますので今はわかるのですが、かつては名古屋から向こうあたりは、とたんに???わかりにくいものでした(女は地図が苦手らしいです)。

そこでまずは位置確認。富山から日本海に沿ってひたすら。ひたすら。長岡へ。このあたり、冬は豪雪地帯ですので、秋のこの時期に行かないと…ということで。

このあたり(信濃川周辺)一帯は火焔土器銀座と行っていいほどに、火焔土器がたくさん出てきていますので、県立歴史博物館でそれをたっぷり見るために目的地に選びました。また、翌日には、この場所から車で数分のところにある馬高遺跡にも行きました。ここは、最初に火焔土器が見つかったところ。以後、火焔「型」と王冠「型」が区別されるようになりました(それで、火焔土器というと馬高遺跡のを指すという意味もあるようです)。馬高遺跡の報告は、最終回の【3】で報告させてくださいな。

ここで書きたいだいたいの流れ(写真が多いです)

・等身大のジオラマの中で、タイムスリップ感覚!
・火焔土器が作られたのは縄文中期
・渦の模様からパワーを感じる
・新潟県の歴史を見る

博物館の入口では、黒曜石と土器の破片がお出迎えしてくれます。奈良各地の資料館では、このコーナーは小さく小さく、少しの土器と石鏃が並ぶことが多いですね。(あ、橿原考古学研究所附属博物館は、見応えありますので縄文に目覚めたら真っ先にご覧になることをお勧めします)

ここから始まる県全体の歴史紹介も、面白かったので、最後のほうで一部を追記しますね。

では縄文から始めます。



・等身大のジオラマの中で、タイムスリップ感覚!

博物館のひとおとりの展示を見終わった最後に、特別に縄文文化を紹介する等身大のジオラマ展示コーナーがありました。縄文時代への力の入れようを感じさせられます。

ジオラマはどこへ行ってもわたしの楽しみ。普通は、柵があって「中に入らないでください」っていうことになりますよね。でも、ここでは展示の中に自分が溶け込んでいける。現代人がその時代にタイムスリップしてきたような感覚になります。それで、わたし、思わず「おじゃましまーす」ってご挨拶したんですもの。自分以外に見学者がいなくて、実に快適に、楽しく、堪能できました。じーっと見ていたいので、後ろで続いている人がいると気を遣って早めに切り上げたりしちゃうんですよね。。。ほんと、人が少ないのって、大好きです!

野草摘み。みんなの服装がジャージやGパンだったら?今でも同じことをしてますよね。縄文人は農耕をせずに狩猟や採集をしていたことで、遅れているとか原始的と思われるのでしょうけれど、この頃栄えた青森県の三内丸山遺跡では広大な栗の人工林がつくられ、大きく依存していたようなのです。それが寒冷化で終焉しました。火焔型土器の時代には、まだそれは知られていなかったと思いますけど、もしかしたら、栽培っていうものよりも自然にあるものをいただくほうがいいと思っていたのかもしれません。人口も全然少ないので、自然からいただく範囲内でも命を養っていけたのでしょう。それが可能だったのも、森と水に恵まれたこの日本の風土のおかげと思うと、日本列島ってありがたい。
チームで協力して狩猟。冬の食糧源でした。一網打尽にしないで、子供は殺さなかった。絶滅させてしまえば、自分たちの食を失う。こんなふうに自然とリンクすれば、人間は生態系を破壊しない暮らしができるはずなんだと、縄文を見るたびに思います。現代では、獣害のほうが目立ってしまって。。。生態系の崩れが背景にあるように思います。
みてみて。縄文ポシェット。今でも使いたいようなデザインですよね。欲しいなあ。スマホとか入れたらどうかなあ。

この次は海辺で干物を作ったりしてました。さらに、その先が圧巻で。。。

それは、縄文時代というより、昭和前半まで日本中に残っていた文化を見るようでした。縄文文化は、つい最近まで現役だったのです。それを縄文から続いてきたとは誰も思っていなかっただけなんだと、わたしは縄文から続いて今もギリギリ残っているものに強く興味が湧くのです。

竪穴式住居の近くで、木の実やきのこを保管。薪も蓄えて。土器で料理中。(クレメンツさんみたいだー、と独りごとを呟いたりして)
丸木船づくり。木を倒して石斧で削り出しています。
石が鉄に変わったら民族文化映像研究所のドキュメンタリーに出てくるシーンとほぼ同じでした。あの、四角く削り出されたところを取り出すと、食器になりますね。縄文人にとって、川や海は重要な交通路。火焔型土器も他県へ運ばれ交易していました。そんなときも、丸木舟を使ったのでしょう。今でもカヌー遊びする人いますよね。昔は、M部員もおおはまりしていました。あれもきっと縄文DNAが喜ぶのかな。
石斧。磨製石器というと、舌のような形をした磨製石器をよく見ます。それだけ見ると、ヘラのようですが、こうして木の枝の形を利用して、刃をはさんで斧のしたのですね。素材や作り方が多少変わっても、基本的には今と同じように斧が使われていた。
【1】で紹介したじょうもんさん(雨宮さん)は、実際に石斧で丸木船を作るプロジェクトをされていました。
土器づくりは女性の仕事だったそうです。わたしは、もしかしたら名人級の男性もいたのではないかと想像しますけど。火焔型土器って、真似して作りなさいといわれても困るような複雑な模様なのに、いくつも同じデザインの土器が展示されていました。ひとつの「型」として、あったんですね。「火焔型が作れるようになったら一人前さー」なんて、言われたのかなあああ。
縄文の人たちは、からむしなどの植物の繊維から布を作りました。あんぎんという織り方(編み方というべきか)だったそうです。横糸をケタに左右に渡して、石の重しをつけた縦糸を前後上下に動かして編んでいく、わかりやすくいうと、すだれと同じような作り方。今でも新潟県には越後あんぎんとして継承されています。

参考YouTube見つけました。あんぎんの手順がわかります(動画の前半)



・火焔土器が作られたのは縄文中期

縄文時代はBC1450年くらいから始まっており、草創期と呼ばれ、まだ旧石器時代のなごりが感じられます。火焔型土器が盛んに作られたのは、ずっと後のほうの中期です。中期というと、長い縄文時代のまんなかあたり???と、思いませんか?そうでもないんですよ。年表にするとわかるんですけど、古いほど期間が長くて、中期というのはBC5500年ごろ。このあと、ぱたぱたっと(1000年くらいで交代しながら)後期、晩期、弥生時代へ流れていく。縄文ムラの最盛期が、中期にあたります。寒冷化前で、気候も現代と同じくらいで、暮らしやすかったことでしょう。
長きにわたる縄文時代ですが、この頃のことを指していることが多いように思います。祭礼の道具や美術品のような土偶が増えてきて、縄文時代らしくなってきた頃といいますか。縄文時代といえばこの時代、というふにインプットして、それより前、それより後、というふうに見て、とりとめもないほど長く続いた文明の理解の助けにしています。
火炎型土器は、このときならではの特別な作風なんですね。それも、信濃川周辺に集中してます。このあたり一帯に、火焔族みたいな人たちが暮らしてたのかなあ。

・渦の模様からパワーを感じる

前回の新潟旅では十日市周辺をめぐり、火焔型土器のレプリカがひとつだけ台の上に乗っていたのを見たのですけど、今回はオンパレード。

三内丸山遺跡では、筒形の縦に長い土器がずらりと並んでいましたが、こちらは火焔型土器、王冠型土器のオンパレードです。ガラスで仕切られてもいなくて、至近距離でまじまじと見ることができます。ものすごい量の火焔土器が見つかってるんですね。

小学生の頃だったか、美術の教科書に火焔型土器が載っていまして、「変わった器だなあ」と見ていたときは、あとでこんなに気に入るとは予想していませんでした。なんだかおどろおどろしいような印象さえ受けたんです。
でも、だんだんと、たちのぼってくるようなパワーを感じて、これを見ていると元気をもらえそうな気持ちになっていったんです。レプリカをひとつ欲しいな。(遮光土偶のレプリカは持っているんですけど、火焔型はまだ縁がなくて)

この装飾的な土器は、なにか特別な用事のために作られたのかと思われるかもしれませんが、食べ物の炭がついているものが発見されていて、煮炊きに使われていたらしいんですよね。なんだか贅沢ですね、こんなゴージャスな土器を生活の道具に?

ところで、ひとつだけ、ちょっと変わったデザインのこぶりな土器がありまして、すごくかわいかったので載せさせてください。これに多肉植物を寄せ植えしたりなんかしたら、怒られる?


最後は、縄を土に押し付けてどんな模様になるか、壁一面にモデルが並んでいました。

枝に紐を巻くだけで、無数の模様が生み出せます。よう、思いつくなあ。賢いなあ。などと感心…。


こうして、縄文文化を探る展示は、ここで終了でした。歩き疲れていることに気づいて、うっとりモードから現実モードへ。みなさんもちょっとだけ、展示の世界観を想像してもらえたら嬉しいのですけど。
とにかく新潟へ行かれたら、この県立歴史博物館、おすすめです、お立ち寄りになってみてください。



・新潟県の歴史を見る

縄文以外の、新潟県の歴史の展示のなかで、見惚れてしまったものを並べていきまーす。

大好きなジオラマ。これは佐渡でたくさんの金が採れたのを運んでいる様子です。お疲れ様です!
世界的にみても金銀の宝庫だった日本。それが交易のために、すっかり海外へ行ってしまったのは、ちょっと残念。
新潟県が米の産地になるためには、先人のとほうもない努力があったのです。信濃川は氾濫を繰り返しましたし、田んぼの水位が高く、田植えをすると腰まで水につかりました。これは新潟県の人から聞いたことがありましたが、腰まで?というのがピンとこないほどすごいなと思いました。ちょうど写真があったので、見てみるとかがんだときに腰までの水位。そのぶん、丈の長い苗を植えたそうです(きついでしょう。冷えるでしょう。昔の人の体力って、ものすごい)。
江戸時代は、こうして土嚢で堰き止めた水を足踏み式の装置で排出していたそうです。(ポンプというものが現れたときは、さぞ嬉しかったことか)自然に沿った文化は、自然との闘いでもありました。今は生態系を壊せるほどの技術があるのですから、もう闘わずに人間のほうが自然に近づき、調和を図る態度になれば、苦しまずに自然に沿うことができるのでは。さとびは、それを暮らしの中で探し続けたいなあ。

雪国の暮らしを紹介するコーナー。昭和の雑貨店がありました。またまた、大好きです、この世界。駄菓子屋さんとか、下駄屋さんとか、あるんですよ。載せましょうか?

昭和のこどもは、お小遣いをもってこんなお店に通うのが楽しみでした。

最後に、雪国独特の「雁木(がんぎ)」というものをご紹介します。積雪が1階の屋根の高さまで届くのです。いったいどうやって暮らしてきたのでしょうか。

先ほどの商店の家の軒下がこんなに長い。これを「雁木造り」というそうです。雁木の下はこの家の所有地ですが、雪の季節には通路のように誰もが通ってもいいことになっていました。左手に穴があいていますね、ここがトンネルになっており、通りの向かい側へ通行できます。こんなに積もってしまった雪の上はどうなっているかというと…。
写真は新潟観光ナビさんからお借りましました。
わかります?町が1階分上に上がっています。本来の1階が地下のよう。

新潟県独特の雪のくらしの工夫、雁木。これって、私設アーケード商店街ですよね。雪の季節だけでなく、雨のときも濡れずにお買い物、夏の日差しがきついときは日陰を作ってくれる。歩道と車道も区分できて、安心感。

オプションが長くなってしまいましたが、このように、縄文文化見学だけでなく、新潟県の歴史もたっぷりと教えてもらえるリッチな博物館でした。ありがとうございました。

最後に、ご近所の馬高遺跡についてもご紹介しますのと、三条市のお知り合いの鍛冶屋さんや、柏崎市のドナルドキーン資料館へ立ち寄ったことも記しておきますと思いますので、よかったら後日アップ予定の【OPTION】をご覧ください。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。わたしにとっても旅の復習になります。縄文文化でもあり現代文化にも活かせることは、1万年以上の歴史の淘汰を経ています。よっぽどいいから、残るのではないでしょうか。それが21世紀には、どんどん消えていこうとしています。ほんとうに、いいのかしら。とてつもなく、もったいないことではないでしょうか。縄文人の暮らしの中に、「あるものを生かして大切に。なるべく自然からいただき、自然に感謝する」そんな文化があります。何も石斧を使って暮らしましょうというのではないのです。学べるところ、ヒントがここあるよ、これが原点じゃない?ということで。
人口を減らすべきだという前に、みんなで暮らせるような文化をつくりましょう。食糧危機で不安になる前に、食品ロスをなくしましょう。さとびは、そんなスタンスです。わたしたちが地球を大切にすれば、地球はわたしたちといっしょに生きてくれると信じてます。



奈良の縄文を特集したvol.36 再入荷しました。

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