夏号から始まった連載「大地の再生目線でウオッチング」では、第1回目としてプロローグ的に川の石積み護岸の公共工事の事例をご紹介しましたが、2回目からは奈良でじわじわ進む大地の再生の現場をお伝えしていこうかと思います。
生駒市、宇陀市、王寺町、もしかしたら大和郡山市など、奈良でもじわじわと大地の再生に目を向ける人が増えてきていると感じています。大地の再生士・西尾さんの頑張りが、通じているのですね。何年もかけてピーチクパーチク言い続けてきたさとびも思いも、少しは後押しになっていたら嬉しいのですが。
大地の再生って何?という方は、バックナンバーをぜひお取り寄せください。初めての方にもわかりやすく、シンプルに説明し、奈良での事例も多数紹介しています。
また、大地の再生とか、環境改善などのキーワードで調べていただければ、全国的な事例や指導者として牽引されている高田宏臣さんや矢野智徳さんなどの取り組みがたくさんあがっていますので、ご興味にあわせてどんどん深入りしていただければ、大変喜びます。さとびだけでは、とうてい伝えきれません。さとびは、きっかけになれたらいいなと思っています。
さとびの場合は、あなんが西尾くんと昔からの知り合いで、彼が大地の再生にめざめ、本気になっていった経緯を見ていて、「人生をかけてるな」というのがわかるため、たまたまこのご縁を通じて伝えています。みなさんも、どこかで大地の再生実践している人や経験豊富な人との出会いがあれば、仲良くなっていろいろと聞いてみてください。
今回は、森の幼稚園の現場となっている使われなくなったキャンプ場の森です。
もともと緑豊かな場所だったはと思いますが、同じ緑でも谷と谷の間に水が溜まり人間でいうと鬱血状態になっている箇所が、長靴なしで歩けるようになり、山野草が芽生えてきていました。
もとの状態を知らないで見せてもらうと、じめじめしていた時のことが想像できません。
ビフォーアフターの両方を知っている人は、感慨深いことでしょう。
他にも、森全体を、4年をかけて、あちこち再生の手入れがされてきたので全体的に景観が変化していることだろうと思いました。取材で見せていただいた箇所をいくつか。。
段差になっている法面を板でふさいであった箇所は、土砂に押されてくずれかかっていました。枝を使って再生をほどこすと、安定しています。
無理やりに止めると、そこで堰き止められた地下水と土が溜まり圧力がかかってしまうのです。枝で通気性をもたせ、水が浸み出す余地を与えてあるから安定するんだと思います。そこには緑も芽生えてきます。景観としても生き生きしていて、美しいですよね。
自然もよろこぶ、人もよろこぶ、だからさとびは大地の再生を取り上げるのです。
水を誘導する小川。自然の川のようにS字を描いてあります。
笹しか生えていなかった地面に、多様な草花がもどってきました。環境が整うと、お待ちかねのように戻ってきます。
西尾くんにガイドしてもらいながら、現場を見学すると「なるほど」と思うことだらけなので、さとびだけが聞いているのがもったいない気がしてなりません。
例えば
木が水を吸い上げるということは、よく知られていますけど、この連鎖が頂上の湧水になるんですって。下のほうに生えている木が吸った水のあまりを吐き出し、その上の木が吸って吐く。同じようにさらにその上の木が吸って吐く。一番上の木が吐き出すのが湧水。天から降った水が山頂から流れているのではなく、地下を通って木を介して登っていくなんて、重力に反しているように上へ上へと水が運ばれるなんて、ときめきました。こうした連鎖を崩さずに、水の循環がせき止められないでいけば、いつまでも美しい湧水が得られることでしょう。
歩きながら、ちょいちょい、いろんな話をしてくれます。(結構話すのは好きみたいですよ)
初心者向け、ちょっと興味がある、ちょっと気になる方のための見学会などができたらいいなあ。そういう機会があれば参加してみたい方、おられます?ご要望がありましたら企画いたしますよ。HPのコンタクトフォームか、あなんのDMで教えてください。
さとび秋号では、西尾くんからのコメントを掲載しますので、ぜひお読みになってみてください。
また、秋号をお持ちの方、紙面では小さくしか載せられない写真をこちらで再確認していただけましたら幸いです。
取材を許可してくださった森のようちえんウィズ・ナチュラさま、ありがとうございました。
今年も集中豪雨による災害があちらこちらで発生し、胸が痛みます。自然の前には人間は無力、、、たしかにそのとおりですが、「自然の摂理を無視した開発や工事による人災の部分が結構含まれる」とも言われています。
同じ雨量でも、大地に浸み込むのと、一気に表面を流れてしまうのとでは、結果が違うことは想像できますよね。人災の部分だけでも緩和できたら、どんなにいいでしょう。気候が不安定なこんな時代だからこそ、もっと「再生」が検討されていいのではないでしょうか。