この記事はさとびごころVOL.49 2022 springよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
4歳で発達障害の診断をもらい、小学校4年生になった息子へ。
そもそも野球なんて人生の予定になかったのだ。息子が希望して通いはじめ、何度も泣いては失敗し、コーチを困らせ、このままだとチームにいることは難しいという宣告を受けた。それがきっかけとなり、せめてコーチの負担を減らせたらと思い、ぼくも一緒に練習に参加することになった。
そのおかげなのか、息子は無事に戦力外通告をはねのけてチームの一員として頑張っている。ここまで書いて息子に聞いてみた。「ぼくがコーチとして参加する前とした後でなんか良いことあった?」「なんもないよー、あ、ひとつある。おしっこ漏らしてもいけるかもって(ニヤリ)」
春も近い、かなり冷えた日の練習試合。息子は外野手(ライト)、ぼくは三塁審。位置関係としてはかなり離れている。突如タイムの要求をした息子。近くの一塁審に、トイレ!と伝えた声が聞こえた。一塁審はすぐにあそこのトイレへ行くよう促した。キョロキョロという擬態語がここまで似合うことはない息子は、悲しそうな顔したまま、歩きと走りの中間くらいの独特な足運びで数歩前進したのち「あー・・・」と天を仰ぎ泣きはじめた。すぐさま別のコーチと塁審を代わってもらい、息子のもとにかけつけた。息子の肩を抱え一緒にトイレへ歩いたあの光景を絶対に忘れない。ちょっとだけ忘れたい。
そんなとき、同じように少年野球に関わる父親の言葉をみつけた。「生涯最後のこどもと向き合う時間」
おおげさかもしれないが、今が最後なのだ。すぐにでも父親から離れ別の人間と向き合い成長していくことは間違いない。だからもう少しだけコーチでいれたら嬉しい。
ただコーチとは名ばかりで、野球未経験でルールも用語もわからないうえ、先日の試合では(経験ありの)三塁審としてあたふたしてたら、主審に怒られる始末。そんなかわいそうな父にむかって息子は「なんでそんなこともわからんの(ニヤニヤ)」だとさ。ひどくなーい!?
さとびごころVOL.49 2022 spring掲載
文・都甲ユウタ(フォトグラファー)