この記事はさとびごころVOL.37 2019 springよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
誰にでも仕事は作れるという気づき
世界を旅して廻る中で、価値観が変化した大きなことといえば「仕事」について。日本社会の中では多くの場合、「仕事」ができるというのは「肩書」があるということ。画家は画家としての、教師は教師としての、料理人は料理人としての、資格や経験、知識…他人が認める何かがなければ、お金を稼ぐという「仕事」ができない。誰に教わったのか、いつからかそんな固定観念が頭の中にありました。
だけど、誰でも、どこでも、独学で未熟であったとしても、仕事は作れる。そんな事例を旅の中でたくさん目にしてきました。例えば、長い旅の間で食べた一番美味しくて感動したパンは、イタリア人のサラが作ったパンでした。
サラはどこにでもいる普通の主婦。独学でパン作りを始め、小麦だけで起こす天然酵母を扱います。旦那さんのロベルトが作った自家製の薪釜で焼くパンは絶品そのもの。ご近所さんから注文が来て、小さく販売も行っています。
また、日常的にパンと何かを物々交換して生活の糧を得ることも。サラが起こした天然酵母は、自宅で行われるパン作り教室で酵母分けされ、地域内にどんどん広がっています。
パン屋でもなく、料理家でもない、一主婦が自分で仕事を作っている。そして、それは意図してではなく、好きなことを追求した結果として。
勉強をして、資格を取って、経験を積んで、お店を構えて、ようやく初めてパン屋さんとしてパンを売る仕事ができる。そんな風に考えていた当時の私の頭の中を、いとも簡単に一掃してくれたサラの佇まいには、揺るぎない強さを感じたものでした。
自給するという選択
「仕事が作れる」ということと同じく、暮らしのあらゆる面において、「自分で作る」という選択肢があるということも旅の中で学びました。
住む家を自分で作る。食べるものを自分で作る。教育の場を自分で作る。家は大工さんが建てるもの、食べ物は買ってくるもの、学校は通うもの…そんな凝り固まった考えだった自分が恥ずかしいばかりですが、「自分でできる=自給する」という選択肢があるという気づきは、生き方の可能性を際限なく広げてくれるものでした。
小さな子どもが路上で商売をしている姿や、旅費を稼ぎながら旅を続ける旅人の姿に、ある種の逞しさを感じていた私。下北山村に移り住んでちょうど2 年目、宿という小さな仕事を作れたこと、農作物の自給ができるようになってきたこと、その一つ一つが自信となり、イメージでしかなかった村での暮らしが、実態を持つようになってきました。
セルフビルドで建てる、コミュニティカフェ作り
今、わたしたちはカフェ作りに取り組んでいます。村内産の木材を使って、セルフビルドで一から建てるカフェです。セルフビルドでカフェ作りに取り組むようになった理由は単純明快。
いつかは自分で住む家を自分で建てたい。カフェをつくれば仕事づくりにもなるし、家づくりの練習にもなる。建てるなら、村の木を使って在来工法で。夫が今取り組んでいる自伐型林業とも絡めて、自分で山から伐ってきた木も使わせてもらおう。と、どんどん妄想が膨らんでいったことが一つ。
そして、カフェが一件もないこの村で、「ゆっくりとお茶が飲める場所が欲しい」というニーズに応えられる場を作りたいと思い立ったことが一つ。薪を使って調理を行い、薪ストーブで暖を取る。一流シェフのような立派な料理はできないけれど、村内栽培の農作物などを使った料理を出して、自分たちの周りで回せる小さな循環を感じてもらう、暮らしの中に位置するカフェならできる気がする。
決して簡単ではないだろうけれど、「仕事を作る」というハードルをぐんと下げてくれた、サラをはじめ旅の中で出会った面々の顔が思い浮かび、とにかくやってみている今現在です。
材や薪という資源の恩恵を受け、日常的に山に入ることで森の環境に還元する。エネルギーの自給という自然と共にある目指したい暮らしの一部分がここにも見えてきます。
飲食店に留まらない、地域で育むコミュニティカフェを
私たちは、飲食店としてのカフェを始めたい訳ではありません。人が集える場・文化が生まれる場としてのカフェを作りたいと思っています。地域内外の人が交わり、出会う場。やりたいことにチャレンジできる場。情報が集まり、発信される場。楽しい、好き、面白いが重なって「仕事」が生み出される場。そんなイメージで「コミュニティカフェ」という表現をしています。
まだまだ形が出来ていませんが、現段階でも参画してくれる人が少しずつ出てきており、コミュニティカフェという目指すべき場を作るプロセスの段階から、コミュニティが生まれ始めているというのは理想とするところです。
カフェで提供したいと考えている無農薬のお米作りも始めています。お米作りを経験してはっきりと分かったことは、「時間と労力をかけて自分たちでお米を作るよりも、買う方が早くて安くて楽」ということ。それはたとえ、こだわりの無農薬・自然栽培米を購入したとしても、です。
それでも、否、それだからこそ、私たちはお米の自給に取り組みます。それは、「早くて安くて楽。だから選ぶ」という価値とは別の次元の価値を大切にしたいから。とっても大変だけど、それに勝って余る喜びと幸せがある。お米作りを通して得られる「生きている」「生かされている」という経験と実感、そして自信は、何物にも代えられないものです。
この満たされる幸福感は、すべての人に一度は経験してもらいたいと思うほど。そんなお米作りも、今後、コミュニティの中でやっていけたらいいなぁ、と朧気ながら考えているところです。亀のようなペースで進む私たちのプロジェクト。ゆっくりじっくり、一歩一歩進めていきます。
オノ暮らしのドアは、いつでもあなたにオープンです。
さとびごころVOL.37 2019 spring掲載