一年で一番寒い季節は、もうすぐ春が近いということでもありますね。
わたしのヒーリングスポットでもある畑では、今年最初のオオイヌノフグリの花が咲きました。かわいい。大好き。栄養分のある土に生えるそうですので、歓迎すべき雑草なんです。
もうすぐ節分。幼稚園のころ、「鬼は外、福は内」という歌とお遊戯を習い、鬼のお面を持ち帰らせてもらったものです。鬼は悪い。だから豆でやっつけるんだと。でも福は家の中に招きいれましょうと。
大人になって、奈良で暮らすようになって、「鬼は内」という言葉があることを知りました。
さとびでお世話になっている谷茂則さんに誘われて、天河弁財天の節分絵に行ったことがありますが、そこでは豆まきのときに「福は内、鬼は内」と唱えられるのです。吉野町の金峯山寺節分会でもそうですね。
なんだか救われました。
良いと悪いを分別することは大切ですし、鬼より福がいいとジャッジするのも当然なのですが、鬼とは何だろうかと考えてみると、いつかの時代に悪者とされた存在がいたのではないかと思えて、鬼の立場にもたってみたくなるのです。全国から排斥された鬼を受け入れる寺や神社があることに、救われた気がしたのだと思います。わたしも、子供の頃や思春期に、周りから一斉に無視されたりしたことがあり、排除される側へのシンパシーを捨てられないのかもしれません。
前にも書いたことがありますが、心に刺さったコピーがありまして。
ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。何かで受賞されたためか、ネットで見つけることができます。
子供時代に慣れ親しんだ「桃太郎」の物語をこの視点で見ることの衝撃。何かを正義と定義づけたとたんに、「鬼」が生まれ、殺してもいいことになってしまうことの怖さを教えてくれます。戦争が正当化される手段になるのも同じことですよね。。。
わたしは中途半端と言われても善と悪を決めつけることができませんし、むしろ善や正義の反対側のことも考えてしまうんですね。
バイ菌や、雑草も、一般的には悪いものであって、消毒や駆除の対象なのですけれど、常在菌なしに世界は成り立ちませんし、雑草も薬草であったり、生物の命の循環に大切な役割を負っていたりします(雑草キッチンは、雑草をただ邪魔で迷惑なものとばかり決めつけないで、価値や役割にも気づいてほしいという思いでやっています)。弱い存在が負けるのは仕方がないとしても、強くないのが悪いのだろうか。富裕は良くて貧困はダメ?たしかにそのとおりなのですが、そうなってしまう社会や世界を俯瞰する視点も失いたくない。富裕な人が努力してそうなられたことは称賛に値することであるとしても、その富を弱い人や貧困な人を助ける方向に循環させてくださったら、ずいぶん安らかな社会になるのではと夢のようなことをついつい考えてしまいます。自然はいつも調和する方向へ動いていきますよね。どちらがどうと決めつけずに調和を探る、そのときの状況や条件によってバランスポイントは常に揺れ動くものだと思います。ひとつひとつ、自分で考えて道を選ぶしかないですね。
でも、まあ、そんなややこしいことはさておき、春の気配を感じて幸せな気持ちを味わうことにしましょう。
今年は恵方巻きを食べる集まりに誘っていただきました。わたしの故郷では、あまりそういうことをした記憶がないので、関西の文化なんですね。しかもセブンイレブンが売り出したことがきっかけで広まったとか。あ、ほらやっぱりまた、コンビニの恵方巻きがたくさん廃棄されるのではとかなんとか考えてしまってるわたし。風習まで買わなくても、いいんじゃないかと思いますけど、どうでしょう。忙しかったら食べなくてもいいんじゃないかしら(笑…)。食べても食べなくても、季節の変わり目に心を整え、命や自然に感謝する機会にできればそれが一番かと思います。
とりとめのない雑談でした。では、また。
2/24 TEtoTE MARCHEを開催します。ご都合のあう方、お近くの方は遊びにいらしてくださいませ。