この記事はさとびごころVOL.46 2021 summerよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
4歳で発達障害の診断をもらい、気づけば小学校3年生の息子へ。野球チームに入ってしばらく、息子は早起きして、寝てる僕を起こし素振りの練習をする。
一見努力家のようだが、10回しか振らない。10回でなんの練習になるねん。わかっちゃいるが目的は継続とやってる感である。そう、毎日早朝激しい素振りの猛練習をしているのだ!
誰にでも「できない」ことと「わからないこと」がある。例えばベルトをズボンに装着すること。初めての子どもには難しい作業だ。ベルトの仕組みを理解し、苦戦しながらも見えない後ろ側のベルトループに通す。お腹のところでは、腰を一周してきたベルトをギュッと引き絞り、金具を希望のベルト穴に入れる。息子はこれが苦手だ。泣きながら練習してできるようになった。でもなんだかわかってない様子。
お箸を持つこともままならない。大変美しく箸を持てる僕の指導により下の上の下くらいには上達したが、なぜ二本の棒で米が掴めるのか、はたまた滑り落ちるのかわからない。ベルトより手ごわい。
わかってないので同じ失敗をするし、上達も遅い。「できない・わからない」から「できる・わかる」ようになった人たちからすれば、今はできない息子もやればできると思ってしまう。それみたことか実際にやれば少しはできてしまう。学校や社会に出れば、できて当たり前のことを次々に求められるかもしれない。
野球チームはその将来のための予行練習にもなっている。チームのみなが優しく、規律と楽しさを教えてくれる素晴らしいチームだ。だがこのままだと、所属し続けることは厳しいことを告げられた。ベルトが外せずトイレを手伝ってもらったり、指示のニュアンスが理解できず突然泣いたりとさまざまあり、僕ら親も仕事を理由に付き添えないことも要因だ。息子には現状をそのまま伝え、どうしたいか聞いた。「絶対にやめたくない」「じゃあ一緒に頑張ろう」素振りも11回してベルト装着の練習もして。自慢の息子です。
さとびごころVOL.46 2021 summer掲載
文・都甲ユウタ(フォトグラファー)