実は、数ヶ月以内にエルインクの事務所を(近所に)引っ越します。
春号を発行するときに、微妙に住所が変わっているはずです。さとびこ編集室そのものは、オンライン上に存在していますが、実態としての発行元の住所が変わりますので影響のある方にはご連絡申し上げる予定です。
その引っ越し作業に、心がくじけそうになることしばしば。仕事や活動も続けながら、捨てるもの、A地点へ移動するもの、B地点へ移動するものに分けていくのですが、どれもめんどくさくて大変です。あ、そんなことを思っているから本当にめんどくさくなるんですね。あかん、あかん、これもひとつの片付けチャンスと考えて、前向きに!
その中で、ゴミの多さに驚くわけですが、それはつまり捨てられなかったものたちなのでありまして、ガラクタに見えてもそれなりに捨てなかった理由があったので、切ないような寂しいような、しょんぼりしてしまうんです。思い切りのいい人はどんどん断捨離されることでしょう。わたしも頑張ろう。業者さんに頼まず、少しずつ移動しているのも、思い切りが悪くて、じわじわ移動しているからです。20年近く借りましたので、切ない、切ない。
この思い切りの悪さと、めんどくささが重なって、家賃のかなりの面積をゴミのために支払ってきたことになります。それは反省材料。
転機になってから一気に、ではなくて、日頃から、必要のないものは処分して、そもそも、何かを買うときは「本当に必要なのか?」をよくよく吟味しなくてはなりません。(そのつもりで来たのですが、やっぱり溜まっていました)どれもこれも、理由があって生産され、わたしに購入されてきたものたち。あるいは、誰かから送られたもの。あるいは、作ったもの。
こんなときは縄文人の貝塚を思い出します。物質にも魂がある。だから物は(食べた後の骨や貝まで)捨てるものではなくて、感謝して祀る。弔いの場所ともいえるかもしれません。わたしにとって弔いの場所はゴミ処理センター。燃やせないゴミのコーナーで「ありがとうございました」、燃えるゴミのコーナーで「ありがとうございました」、資源ゴミのコーナーで…と、いちいち職員さんにお礼を言って頭を下げました。それは、ゴミへの感謝でもあったのです。
切ない思いをして捨てたのですから、残されたものをきちんと活用すること。何が残るかというと、特注の机などですね。机だけは、本当に気に入ったものにしてよかったと思います。思い出がつまっており、故障もなく、いつまでも綺麗(わたしの不徳による傷はありますよ)。長く使えるお気に入りのものを購入すればするほどロングライフ、つまりはごみ減量です。自分は何が好きなのか?若い頃は、それがなかなか定まらずいろんなテイストのものを使いましたが、今ではだいたい固まってきていますので、これからは自然に調和していくでしょう。
今後さらに不要になるものたちのも出てくるでしょうから、溜め込まず、感謝してお別れすることを心がけます。
この時期は進学や就職、転勤などを控えて、同じように片付け作業をしている人もいるのかなあ。
「春一番がーー、掃除したてのサッシの窓にーーー、埃の渦を踊らせてますー」の歌が脳内に流れます。
「わたしたち、お別れなんですね」お別れは区切り、新しいフェーズへ進むとしましょう。これからは、ダウンサイジング。モアよりレスの日々を送ることが楽しみです。(また溜めるんじゃないぞ!)
しかし、今しばらくは引き続き、じわじわ引っ越しは続きます。。。。