この記事はさとびごころVOL.48 2022 winterよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
吉野郡上北山村は、東を三重県に接する人口約400人の小さな村。人口が減り高齢者が急増するなかで、定年退職組の「若手」が仲間に声をかけ、平成29年、活動拠点となるとちの木センター(上北山村大字河合)に集まり結成されたのが「かみきた〜孫の手会」(奥村敬太会長)。孫でもできるお手伝い、という意味で名付けられた。
会則もきちんとある。その第2条には、「本会は、急増する高齢者や一人住まいの方々の日常生活上の不自由や、困り事等の手助けをし、共に明るく楽しい生活が送れるよう協力し、あわせて会員相互の親睦を深めることを目的とする」と謳われている。立ち上げ時に村の各戸配布で「村の困りごとをお助けする~孫の手会~を発足します」とお知らせをしただけだが、依頼は次々と入ってくる。
平均年齢69歳の構成メンバー13名は、元銀行員、元役場職員、元林業関係者、元土木関係者、元電話配線技術者、経営者と、事務処理から現場スキルまでプロの腕前が勢揃い。若い時は村を離れていた人もいるが、集えば誰もが互いに愛称で呼び合う幼馴染み。上北山村は、西原、小橡(ことち)、河合、白川と、大きく四つの集落に分かれており、それぞれは決して近くはない。しかし、「軽トラはサンダルだから!」と、移動距離を気にする様子もなく、依頼があれば隅々まで駆け回るさまは、あたかもヒーロー戦隊のように頼もしい。令和2年の実績では、47回の出動(活動)。草刈りや片付け、仏壇の高さ調整や庭木の剪定など依頼内容は様々。
「我々は業者ではなくボランティア。助け合うこと、親睦を深めるることが一番大切。自由にやりたいから、補助金等はとるつもりはない」(副会長の中崎和徳さん)という。
この村に平成29年から地域おこし協力隊として移り住み、現在は登山ガイド業の傍らゲストハウス「民宿100年」を運営している小谷雅美さんに、その活動のようすをレポートしてもらった。今回の依頼者は、会員の金山悦延さん(通称サブさん)の同級生。今は村外に住み、空き家になっている家を「孫の手会さんで不用品を処分してくれんか」と口頭で金山さんにお願いしたという経緯。絶妙のチームプレーと格闘(活躍)ぶりを小谷さんの目線を通して感じてもらえたら幸いだ。
孫の手会メンバーの前職を聞いてみました!
◎今西 謙三さん 役場職員
◎岩本 崇さん 木のプロフェッショナル
◎後岡 福市さん ガソリンスタンド経営
◎金山 悦延さん 土木関係
◎新谷 五男さん 山関係
◎富室 良城さん 公務員・森林組合役員
◎中崎 和徳さん 役場職員
◎日浦 隆範さん NTT電線配線・メンテナンス
◎福嶋 俊隆さん 役場職員
◎金山 進英さん 現村会議員
◎奥村 敬太さん 山師・孫の手会会長
◎中本 貞司さん 木工
◎本迫 徳則さん 銀行員
◎福本 清さん 公務員
孫の手時間やね
「作業の日は旧保育園のところに8時に集まるから」と聞いていたので、すこし早めに向かったが、私が着いた時にはすでに、みなさんは本日の作業予定地に集まっているとのこと。待ってくれていた中本さんの軽トラについていき、作業場所に向かう。今日の作業は役場のある河合集落の空き家にある不用品の処分である。
山手にある家の近くの駐車スペースには、所せましと軽トラが10台ほどひしめき合っている。もう作業は始まっており、不用品を出す家の前に軽トラを一台付けて、石の階段を少し上がったところにある家から、手際よく箪笥やら水屋やらを運び出しては、きちっと荷台に並べて積んでいく。あまりの手際の良さに「作業、終わってしまうんじゃないか!?」と、慌てて私も参戦する。
あらかじめ、依頼者の方と一緒に要不要の選別をして、運び出すものには養生テープでしるしを貼ってある。「サブ君、これはいるんか?」「この辺はまとめて運んでしまおか」「こりゃ、大きいから、いったん横にして倒さな扉から出らんぞ」誰が仕切っているわけでもないのに、運び出す役、あれこれと指示をする役、運ばれてきた荷物を荷台に並べて積み込む役と分かれ、絶妙なチームワークで全員がテキパキと作業をこなす。
「皆さん、来るのも早いし、作業するのも早いし、すごいです…」とぽつりとつぶやくと、会員の中崎さんが「孫の手で8時集合!と言うたら、だいたい7時半には集まってくる。孫の手会時間やね」と、にっこりしながら教えてくれた。暗黙のルールと阿吽の呼吸で、和気あいあいと作業をこなす孫の手会の面々。頼もしくてかっこいい。
8時半。総勢13名で軽トラ4台分の荷物は、おおかた出し終えた。ほんの1時間ほどですんでしまったことになる。それぞれの作業を終えた人からぼちぼちと集まり、差し入れのみかんを食べながらしばし休憩。
「小谷さんも、これ食べや」とみかんを手渡してもらい、私もその輪に加わる。一仕事終えて食べるミカンは、うまいなぁ。皆さんの手早さに圧倒されて、そんなに働いてない私も、いっちょ前なことを思いながら、一息。
完了!
次の依頼もやってまおか?
すると、事務局の福嶋さんがみんなに声をかける。「次に予定してる作業は、上古代さんとこの畑の柵なんやけど、時間あるし、今日できることまでやってまおうか?」
早く作業が済んだら済んだで、次々と依頼が待っているのである。
「そやな!まだ、時間あるし、やってまお」「柵の段取りは、もうしてあるから」そうと決まったら、話は早い。これまた阿吽の呼吸で、「不用品を運ぶ人」「柵の材料を取りに行く人」「柵を立てるのに必要な道具を持ってくる人」にパパっと分かれて一度解散。私も、引き続き作業に加えてもらい、一足先に現場へ向かう。
孫の手会への依頼は、不用品の運び出しや大きくなった庭木の伐採、畑の水道蛇口の修理など多岐にわたる。発足当初は電気の取り換えや家具の移動などの依頼が多いかと思っていたが、一番多いのは草刈りの依頼だそうだ。畑の柵は、村から獣害対策の補助金が出るので、その事務的な手続きも引き受けることもあるそうだ。
会員のみなさんは、色々なスキルを持った人たちの集まりなので、たいがいの依頼はこなせてしまうが、「屋根に上がっての作業」「蜂の巣の駆除」など、命の危険のあることや、依頼者の親族が近所にいる場合は引き受けないようにしている。あくまで、「やってくれる人が周りにいなくて本当に困っている、村内の高齢者」が対象なのである。まったくのボランティアとして始まったが、依頼者に余計な気を使わせてしまうと、今は1時間500円で請け負う。「無理をせず、やりたい形で活動をしたいから」と公的な補助金は一切受けないことも決めている。作業が楽しく行われ、今まで一度ももめごとは起きたことがないのは、こういった信念が活動の根底にあるからだろう。
和気あいあいの中で技術も伝承
いったん解散したメンバーが、20分ほどすると自分の使い慣れた道具やあらかじめ細工を施してある柵の材料をもって集まってきた。
「畑の柵」とは、組み立てればいいだけの既製品ではなく、依頼のあった畑に合わせたオリジナル特注の柵だった。「このドリルの歯は、強くてなかなか減らんからいいんさ」「このインパクトは馬力あるんさ」などなど、電動ドリルひとつとっても、それぞれにこだわりが見られる。頭の中に設計図を描き、必要な材料を手配して、鉄管は必要サイズに切り、土台にするアングルには穴をあけて作業しやすいように細工済み。使わない障子の桟をリサイクルした、出入り口用の扉も用意してある。
BEFORE
AFTER
そもそも、鉄を切ったり穴開けたりという作業になじみのない私にとっては、「そんなこと、業者さんじゃなくてもできるんや…」と驚きの連続である。
材料の段取りや細工をした福嶋さんを中心に作業が進んでいく。「この土台のアングルを、2m間隔で畑の端に埋め込んで」「アングルの穴にビスを打ち込んで、鉄管を留めるんやな」バラバラだった部品が、どんどんと組み立てられて、柵になっていく。
「もっと、ドリルを垂直に持って、直角に打ち込むようにするんさ」経験豊富な会員が、不慣れな人にアドバイスして、自然と技術の伝承が行われている。お昼のチャイムが鳴るころには、「ここまでできてたら、もうできたようなもんや」。本日の作業はお開きとなった。
その5日後、私の自宅近くで木の伐採活動をしていた数名の方たちが、民宿100年に寄ってくださり、「あの畑の柵、完成したよ」と教えてくれた。
休憩がてらに木の伐採活動エピソードの話がはずむ。次第に話は昔話となり、盛り上がってゆく。
多少の年齢差はあれど、そしてそれぞれに働き盛りの時期を経て、再び集まり力を合わせて村のためになることを、気負うことなく当たり前にこなす「孫の手会」メンバー。その結束力は故郷愛と、同じ時代に青春時代を過ごした日々にありと腑に落ちたのであった。
さとびごころVOL.48 2022 winter掲載