この記事はさとびごころVOL.39 2019 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
わたしの贅沢は、今ここに
オノ暮らし、ある夏の日の一日。陽があがらない早朝のうちに現場に出て、薪カフェ作りの大工仕事を開始。滝のように流れる汗に体力の限界を感じたら、すぐ下を流れる川に直行し水浴びをしてリフレッシュ。木漏れ日のもと川と風に癒されたら、晴々(はるばる)に帰ってお昼ご飯。村の朝市で調達する地元野菜に庭で採れた夏野菜を加えて作るランチを食す。一休みして大工仕事や庭仕事を再開。仕事を終えて家に帰ると、楽しみなのがお疲れ様の乾杯!一息ついて、布団の中で本を読みつつ、いつの間にか眠りにつく…。
この村での暮らしについて「贅沢しなければ、何とかやっていける」と村の方が口にするのをよく耳にします。「そうですね~」と返事をしながら、心の中では、「もうすでに、十分贅沢やなぁ」と思ったりしています。新鮮な季節のお野菜に、釣りたての鮎、捕りたての鹿などなどをお裾分けで戴く日常。一声かければ集まってくれる友人たちと、手作りの品を持ち寄って夜な夜な語らうホームパーティー。薪火焙煎でゆっくり淹れるコーヒーで過ごす朝のひととき。遠い遠いというけれど、日本各地から遊びに来てくれる楽しい友人たち。来た人みんなが口を揃えて「羨ましい」と形容する村の環境と有り難い人とのつながり。必要とされる仕事を担いながら、自分たちのやりたいことで仕事を作っていく時間…。
時には優雅な温泉旅行や、高級ディナーに行ってみたい、なんて思ったりもするけれど、美味しいご飯を食べて、身体や頭を動かして、「あぁ~疲れた!!」と言って、ぐっすり眠って気持ち良く朝を迎えることができる。そんな何でもない一日を重ねる今の暮らしそのものが、私にとって一つの贅沢であることは間違いありません。私の贅沢、ここにあり。日々の暮らしをそんな風に思えるのは、とても幸せなことです。
エッジに生まれる多様性と可能性
下北山村はエッジです。エッジとは、境界のこと。私たちが学び、実践しているパーマカルチャー(*)の分野では、エッジは多様性が高まるところと言われています。例えば、陸地と川や海などの境界には、陸と水のそれぞれの環境が在るだけでなく、その両方が混ざり合うことで、新たな環境である湿地が生まれます。エッジである湿地帯にはエネルギーや栄養分が集まり、それらを求めて多くの生物が寄り合うため多様性が確保されます。下北山村のエッジ性とは、例えば、三県の境界に位置していること、熊野と吉野の文化圏の間にあること。紀伊半島の山と海の間に位置し、人間界と自然界と霊界の境界にある大峰奥駈道の里でもあること。私たちは、下北山村の持つこの様々なエッジ性に惹かれて移住してきました。そして、エッジとは、「革新的な」「時代の先取り」との意味もあります。様々なエッジが重なる下北山村は、まさに可能性を秘めた場所。これからの日本の都市と地方を結ぶ、更には、日本と世界を繋ぐ時代を先取るエッジになり得る地域ではないかとも感じます。更に私たちは、エッジ世代。今までの社会を形成してきた世代から、これからの未来を担う子ども世代への架け橋となれる世代です。私たちの動向次第で、この先の村の未来、社会の未来は良い方にも悪い方にも変わって行く。そんなことを考えると、とても責任重大ですが、同時に、自分たちの手で、新たな時代、新たな文化を創り出していけるという面白みも感じます。
現在村では、大小様々な取り組みが始まっていますが、それは全てエッジ作りとも言えること。私たちが取り組む薪カフェ作りも、村内外の人々、異世代の人々が交わるエッジ作りの一つです。それぞれの興味関心、得手不得手、多種多様な情報が集まり、ネットワークとエネルギーが生まれる場所。そんなエッジを作り出すことで生まれてくる多様性を想像すると、とてもワクワクしてきます。そしてその多様性が村の持続性に繋がって行くと思っています。
*パーマカルチャー:永久の、持続的な(Permanent)と農業(Agriculture) 及び、文化(Culture) を合わせた言葉。
自然と共生する自立的かつ持続可能な暮らし方、またその仕組みづくりの手法や哲学を表す。農的暮らしを基盤に、農林水産、建築、環境、福祉、健康、地域作りなど、暮らしに関わる多岐の分野を領域とする。
惜しまずにかけた時間と手間が、技となり、糧となる
さて、その薪カフェ作り。現在、材の刻みと基礎工事を終え、いよいよ棟上げに向かうところ。夫が辛抱強く、コツコツと取り組んでいます。基礎の生コン打ち作業では村内外からたくさんの助っ人が集まってくれました。「まだ建たんか?」「いつ出来るんや?」という周囲の期待?心配?の声に、「ぼちぼちです~」と調子よく返事をしている私です。
起こした酵母でパン生地がゆっくりと発酵する時間を待つように。梅干しが太陽の力を受け、色を変えながらじっくり乾いていくように。手づくり味噌が、季節を越えて確実に熟成されていくように。薪カフェ作りも、ゆっくりじっくり、でも確実に進んでいます。手を動かして日々の食べものを作るようになると、何においても、それに必要な時間と手間があるんだということに気づかされます。急ぐとうまくいかないし、待たないと美味しくない。必要なときに、必要なだけ手をかけて向き合えば、納得のいくものが出来てくれます。たとえ失敗したとしても、それも学びの一つ。非効率的で非生産的と思える手仕事の繰り返しにこそ限りない学びと気づきがあり、時間と手間を惜しまずかけたからこそ得られる経験が、知恵と技として自分のものになっていく。そんなことを、日々の暮らしの中で実感しています。この一連の過程は、教育や健康作り、人と人との関係作りや自然環境との関わり方…色んなことに当てはまるのではないでしょうか。
それぞれの場所で、それぞれにできることを
「好きなことをやれて良いね!」とよく言われます。これは褒め言葉なのか、皮肉なのか、あるいはその両方なのか。真意は分かりませんが、「好きなことをやって暮らしていけたら良いなぁ」と私は常々思っています。自分の選択通りに行くことばかりじゃないし、自分が頑張ればどうにかなることばかりでもない。だけど、少なくとも「こんな暮らしがしたい」というビジョンを持っていることは、とっても大切なことだと思います。都会で暮らしていても、地方で暮らしていても。勤め人であっても、商い人であっても。今、やりたいことを目一杯出来ている人も、そうでない人も。自分が望む平穏で楽しい毎日の暮らしのためにできることを、それぞれが、それぞれの場所で、それぞれの方法でやってみる。そんな一人ひとりの行動が、活き活きとした社会を作っていく鍵となります。
私たちも、心の声に正直に、今後も自分たちが目指したい「人と自然に優しい『オノ暮らし』」を紡いでいきます。ご興味をお持ちいただけた方は、ぜひフィールドに遊びに来てください。この連載では、胸の内にある色々な事象の、ほんの一部しか表現出来なかったかもしれませんが、声にしたい想いの中心が言葉になって出て来たように思います。読んでいただいたみなさまと、いつかお会いできることを楽しみに。一年間に亘りお付き合いいただき、ありがとうございました。
オノ暮らしのドアは、いつでもあなたにオープンです。
さとびごころVOL.39 2019 autumn掲載