この記事はさとびごころVOL.43 2020 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
三浦雅之&阿南セイコがゲストをお迎えしてインタビューする連載
GUEST 長野 睦さん(錦光園 七代目)
HOST 三浦雅之・阿南セイコ
廃業を決めた父に逆らい
阿南:時代の変化によって消えゆくものと残るものがあります。由緒ある伝統産業といえども、ただ続けるだけでは難しい時代にあって家業を継承され、デザイン賞を受賞されるなど奈良墨の産地を守る墨匠としてご活躍中の、長野睦さんが今回のゲストです。
三浦:この連載では、七つの風にリンクした七つの自給率を高める時代がきているということをテーマにおいてます。墨とは、まさに「風物=生活工芸」。自然のから必要なものを生み出す職人さんの技を体現されている方の領域です。これにリンクしているのが「なりわいの自給率」。工芸の職人さんが減ってきて、石油製品等に変わってしまったところがあるので、地域の中でこういう職業が成立すれはするほどより社会が健康であるという意味での、地域内自給率です。その点、奈良墨に関しては全国の9割以上の墨が奈良で作られているんですよね。
長野:はい。墨屋は今、全国で9軒、そのうち8軒が奈良県奈良市にあり、年間約60万丁くらい作られています。奈良には東大寺、興福寺等の寺社が多く、そこで墨が必要だったために栄えました。その中で、うちはおそらく一番小さな墨屋です。
三浦:長野さんは、家業を継承されるまでは東京でしたよね。
長野:ええ、畑違いの会社に勤めていました。が、会社には「実家がこんな仕事をしてるから、僕はいずれは帰りたいです」と相談し、それは構わないよと言われていました。入社して10年くらいたった頃、親父が東京の家に来たんです。「マーケットがもうないから廃業する」と言いました。これはまずい!、じゃあすぐ帰る!と言うと、親父は大反対。今から考えたら有難い話ですけど、「食べていけないから絶対に帰ってくるな」と。僕は「いや、帰る」と。もう押し問答です。そうする間に会社内でのポジションも上がってくるし、ズルズルいっちゃった。そんな実情を理解してくれていた前の会社には、今でも本当に感謝してるんです。何かあったら掛け持ちでも戻って、お手伝いしたいと思うほど、それくらい本当によくしていただいていました。
阿南:お父様は本当はお喜びだと思います。
長野:我が家は3世帯一緒に住んでいて、親父と二人で飲む時もあります。そんなとき、これで良かったのかなと思ったりしますね。ただ、親父も言ってたみたいに、マーケットはありませんでした。
「書く」の外側
阿南:そこですね。
長野:奈良に戻ってきて4年。小さく残っているシェアを奪い合っても未来がないので、その外の部分に向かっていかなくちゃいけない。じゃあ、それって誰なんだ?って考えても、いないんですよ。今、全く墨を使ってない人にとって、いきなり書くって無茶な話だと思うんですね。「書く」以外の、どんな切り口がいいのかと考えたら、自分にとって当然でも他の人たちあんまり気づいてなかったかもしれない「香り」と「見た目の美しさ」ではないかと。日本人にとって墨の香りってすごくDNA に刷り込まれていますから。そこで、3、4年前から香りや美しさを全面に押し出して、過去に少しでも墨を使ったことがある人の記憶を呼び起こすための作業をしてきました。
三浦:工芸品としても美しいですね。
長野:墨にはすごい細工がしてあるので、書くだけじゃない価値を伝え、少しでも墨の魅力に気づいてもえたらというのがひとつ。もう一つは、すごく時間がかかることですけど、これからの子達に使ってもらわないとやっぱり広がらない。墨の場合ラッキーなのは、小学校で墨汁ではありますが墨に触れますので、小学校低学年の子達のお母さんや学校の先生に対して、使い方や魅力、作られ方などを一から伝える草の根みたいな活動をする。この二本柱でやっています。
職人さんたちの仕事が消える
三浦:職人さんの分業でなりたってきた体制が消えていく中で、ご自身も弟子入りされているそうですね。
長野:うちでも細分化したら8から10くらいの分業(他社)があります。職人さんが引退や廃業をされていってますので、大手の墨屋さんが、「ちょっと技術を教えてあげてほしい」というふうに職人さんの所に社員を派遣して、なんとかその技を学び、自社内で完結できるような体制をとらざるを得なくなっているのが今なんですね。職人さんの立場から言うと、ゆくゆくは仕事を取られるとわかっていても、もう自分一人しかいないという時代に、本当に迷った挙句、このままでは伝統が途絶えるからと伝授されるんですね。そして案の定、仕事が減るんですよ(アルバイトされていたりする)。その方たちは、昔からうちも仕事をお願いしていた方ばっかりなんですよ。中には、子供の僕の面倒を見てくれた職人さんもいました。その人達の仕事が取られるのは、やっぱり割り切れないです。だったら、どれだけ力になるかわからないですけど、新しいお客さんを掴む種をまき続けて、間口を広げて行ったら、職人さんたちにも、きっと仕事がくると思うんです。でも間に合わない(ここはもっと早く帰ってきたらよかったなと思います)んですね。その方達の引退の方が絶対に先だと思うんで。
阿南:おいくつですか。
長野:木型を掘られる方は88歳、墨を磨く職人さんも後継者がいません。なので僕らみたいな人間がお願いして行かせてもらって、その技術を学ぶ。先ほどの例と根本的に理由が違うのは、僕はそれで食っていくつもりは全くないこと。今やってるのは、その方達の足跡を残したいっていうのが一つ、もう一つは、後継者を見つける手がかりを探す。そして、あえて付け加えるなら、その方達に急にもしものことがあれば、技術がぶっつり途切れる可能性もあるので、そのための橋渡しになればいいという思いもあります。その方達の100分の1の技術かもしれないけど失くなるよりはマシなんで、いざという時にこれからの人たちに教えていけるように、最低限のところは覚えておこうと。
間口を広げる香りの墨
阿南:間口は広がっていますね。
長野:ただ、自社の商品を自社で売るのは、業界的にはタブーなんですよ。うちの場合は、もともと大手さんの下請けだったために小売店さん等の取引先がなかったので、自由に動けたというところはありますが、固定概念はものすごく強いです。奈良で生まれ育ったのでその気質はよく知ってます。時にはに釘をさされることも。きたな、と思いました。でも、全く気にして無いんです。むしろ、あえて、一番古くて硬い部分をゆっくりと、やんわりと、競争に変えたいんです、僕は。ある程度競争しないと、とてもじゃないけど産地としてまとまりが出てこないし、先に進まないと思う。ただそのためには、他の墨屋さんとの横の信頼関係が絶対に大事だと思うので、その努力を水面下でここ数年、ずっとやっています。
阿南:墨の文化が淘汰されるとしたら、失うものが大きすぎると思えてならず。
長野:日本で「道」がつくものって共通して、それをする前の心を整える時間が必ずあるんです。服装、所作、礼、すべてですよね。書道の場合は「墨をする」、それありきの書道なんです。戦後、日本は昭和21年に「道」のつくものが禁止されました。日本を精神的に弱体化させるためです。なかでも書道は日本人の心にしみつているものだっため、脅威とされたそうです。
三浦:逆に欧米の人たちは、スティーブ・ジョブスもそうですが、日本の精神文化を真剣に学んでいますよね。
長野:そうですよね。あるお客さんに「墨をするけど、書かないです。すったら墨液は捨てます」という人がいました。その方が目的としているのは、まさに、墨をすって香りをかいで集中するゾーンにはいることなんですって。ですから、心を整える作業というのは、今の時代においても、これからの学校教育においても、すべてに関わってくるし、すごく求められることだろうと思っているんです。そのアプローチのしかたさえうまくいけばと思います。
三浦:墨の香りとは、龍脳ですってね。
長野:はい、墨には接着剤としてにかわが含まれますので、獣臭を消す目的で龍脳が使われました。今となっては、その香りは墨と一体化しています。
三浦:日常生活を営みながら学びがあり、自分を整えていく。墨って、風俗(=生活文化)ともつながっていますね。「遊ぶ働く学ぶ」が渾然一体となっているのが本来の我々の良さだと思うんです。そこが分割されてしまったところを、もう一度、奈良墨を切り口にして再構築する取り組みと言えますね。
なぜ戻ってきのか
阿南:最後にもう一度、聞いてもいいですか。どうしても帰る!とそこまで思われた、その気持ちの部分を。
長野:言葉にしないとダメみたいですね(笑)。僕の家では、自分が起きる前から、日本一黒く汚れる仕事を親父がひたすらやりまくっていて、家族も自分もそれを手伝いました。これまでの話を全部ひっくりかえすかもしれませんけど、家業を潰したくないとか、産地を残したいとかいう話は、ここ2、3年の間に、やってみて遭遇し対処してきた話にすぎません。自分の代でなくなっても仕方がないくらいに半ば覚悟しています。でも、親父が家族を墨を作って食べさせてくれていたから自分もそれをやる、それ以外、何にもないです。あえて言うなら、親に対しての感謝ですかね。それがあったからこそ、たぶん、戻るということになった。
阿南:ありがとうございます。答えてくださって。
長野:これは親に言ったことはないので、今回の記事、こっぱずかしいので親父には見せないと思います。
阿南:多分、ばれると思います(笑)。
三浦:この雑誌は嘘がないんですよね。
長野:いやあ、僕も正直ここまで話すとは思ってなかったなあ。実を言うと、本当はただただ目立ちたくないし、人前に立ちたくないし。でも、今はそれをやって引っ込んでいたら、もう仕事も産地も消える。だから、自分を封印して勇気を振り絞ってやっているところです。いつかは、工房にこもってひたすら目の前の仕事だけをやりたい。技術的にはまだまだですから高めたい。そのために、今は外に向かってやるっていうだけです。
阿南:今日はなんだかじんときました。
三浦:僕もいつか、昆虫と、野菜と、好きな人たちと暮らしたいなあ。
長野:でも、次の展開が見えてくるでしょう?ということは、まだまだやる気まんまんですよね。僕もまさにそうなんで(笑)
さとびごころVOL.43 2020 autumn 掲載