こんにちは。奈良で「自然と調和した楽しくて豊かな暮らし」を求めて地域マガジンづくりをしております。みなさんは、おそらく雑誌は読まれないのではないでしょうか。雑誌などなくても、スマホの向こうには無限に面白いコンテンツが続々と繰り広げられていますものね。でも、あなんは雑誌が大好きなんです。今日は、そんなお話を書いてみたいと思います。これまでの投稿やスピーチなどで手短かに語ったことと重複する内容もあります。長文ですので、今日はここまでで離れていただいてもOKですよ。
わたくしあなんの青春時代には、最先端がウオークマンでしたので(先輩が自慢そうにヘッドフォンしてキャンパスを歩いていたものです)、インターネットはありませんでした。そのかわり、バブル時代とあって(つまり雑誌の広告面に高額を払う広告主がたくさんあったということ)雑誌の創刊ラッシュ。書店の路面には、これでもかというほど様々な雑誌が競いあって並んでいましたっけ。雑誌に恵まれた世代ではありました。
雑誌が好きだった
そこからさかのぼること数年前、受験が迫るまでの2年間、高校生のわたしは友人と自主的部活動のように、手書きの雑誌づくりに情熱を燃やしていました。田舎の小さな町で読んでいた雑誌は、「セブンティーン」や、「ノンノ」など少女向けのファッション雑誌、「私の部屋」などのインテリア雑誌。親戚の家に行くと「婦人画報」などが置いてあったりしました。読む雑誌は限られていましたが、美しい写真、真似したくなるインテリアやおしゃれのアイデア、芸能人(しか載ってなかった)のインタビューなど、見るだけでも、じっくり読んでも楽しかったものです。
書籍も読みましたが、これは新書が中心。手頃な値段で、興味あることを教えてくれるので、買うのはほとんどが新書でした。少し気合いをいれて、「知りたい!」と思ったことを読むのが新書。雑誌のほうは理屈抜きに「いいなあ、楽しいなあ」と浸りながら読むものでした。
書籍に対して、感覚だけでも理屈だけでもなく、両面から表現されていること、それが雑誌の面白さでした。高校生の頃に雑誌づくりを始めたのは、その面白さが理由だったのかも。実は、当時のある日のこと、寝ぼけていたときに突然ピカッと閃いたことがあり、それを伝えたい!と思った瞬間、もう雑誌づくりを決めていました。
ほんとうに何の前触れもなく、テレパシーでも受け取ったかのように突然ピカッときたのは、
「みんな、夢を持ったほうがいいんだよ。夢があったら、トライしてみればいいんだよ」
という考えでした。そんなに前向きな生徒ではなくて、どちらかというと捻くれたところもあるのに、なぜそう思ったのかは謎です。とにかく確信に近くそう思い、それを伝える手段であり、自分にとっての「夢のトライ」そのものが雑誌をつくることだった、というわけです。人によってはバンド活動だったかもしれません。スポーツだったかもしれません。わたしの場合は雑誌づくりに夢中になりました。
雑誌を作るのが好きになった
一時、そんな夢がどうのこうのという閃きは高校生のたわごとであるとして、封印していたのですけど、こんな年齢になってみて、あれは本質だったと思います。生きるということは、それでいいんです。結果を気にするから怖くてチャレンジできない。でも、ハードルを下げて「試みること=トライ」なら今からできる。トライがあるから、面白くなり、どこかへつながり、進めるんですよね。
高校時代のたわいもない経験が、その後のわたしを動かしてしまったことを認めざるをえません。大学時代も大人になっても取材や原稿書きや編集ごとにかかわり、いつか雑誌を作ってみたいという気持ちを忘れることが結局、できませんでした。
そうこうするうちに、当時の日本はますます豊かになり、その一方で自然環境が開発でどんどん壊れていくことに気がつきはじめ、地球環境問題に関する知識も増えていき、仲間との出会いもあり、環境保護をテーマにしたフリーペーパーづくりにも関わりはじめました。
その頃は、自分が発行するというより、編集スキルでボランティアという立場。ただし、この時期にわたしは人生観に影響を与える「近自然」というコンセプトに出会うのでした。これは、今のさとびづくりに直結しています。もしかしたら、このためにフリーペーパー経験があったのかもとさえ思いますが、ちょっと後付けすぎるかな?
フリーペパーのほうは最終的に、仲間が抜けていくにつれ、編集愛があったがために自己資金での発行をしばらく続けました。しかしご想像のとおり、砂が崩れるように、フリーペーパーを出すために仕事をしているような状態になり、「企画編集しかできない=営業はできない、お金がない(集められない)という理由で終了していきました。お金がなければ、印刷費が払えない。当時は今のようなデジタル製版ではなく、印刷費が高かったことも重くのしかかりました。
自分では作れなかったけれど、いつも関わっていた
地域情報誌に関わるチャンスはチラチラとやってきました。しかし自分が発行できる能力も資金もないと決めつけていて、夢を見ているだけの状態のまま、年月が過ぎました。時々、内面から立ち上るような気持ちが湧いてきて、何か作りたくなるのですが「でも、何の雑誌を作るの?自分の心を本当に掻き立ててくれるテーマって何?」のところで、話は終わってしまうのでした。何か作らなくちゃいけないものがあるような気がする。それが何だか、わからない!
2010年、さとびごころが前編集長によって創刊されたとき、編集やレイアウトの仕事をしていたためにお声がかかり、お手伝いすることになりました。自分が作りたいテーマかどうかはともかく、プロである以上、オファーしてくれる方に満足していただけるように全力を尽くす、そんなスタンスでした。
ところが、だんだんと編集企画の深いところまで関わるようになるにつれ、いつかは自分でも発行できたらなあ…という蝋燭のような思いが蘇ってくるのでした。それはきっと、かつて挫折したことを今度はちゃんと向き合ってやること。「いやいや、無理無理」。おちつくのはそこ。ネガティブですよねえ。そうやって自分を否定することで、チャレンジから逃げていました。全然かっこよくありません。さとびが今取材させていただいているような方たちとは、土台が違います!(別に大きな声で言わなくてもいいですが)
自分で作る時がきた
そして2018年からは自主発行へと体制が変わるタイミングで、わたしは本気で考えました。
「作ってみたかったんでしょう?それは自然と調和する社会を探す雑誌でしょう?やればいいんじゃない?」
これは、もしかして自分で作る時がきたということ? やるなら、続けるんだ。
このテーマのためなら頑張れるだろうし、このテーマでなければ続けられないだろう。
幸いなことに、前編集長は、新たな編集委託先ができたというふうに受け取ってくださり、数年間にわたってかなりの部数を買い支えていただきました。これにより、メインの支出となる印刷代の回収をある程度見込めるという状態でスタートすることができたのです。今も一番のお得意様です。とはいえ、最初の数年間は持ち出し続き。でも、それは織り込み済み。だからこそ、心の底から湧いたテーマにして、情熱が消えないようにしました。正直、売れるかどうかよりも、そちらを選びました。なんだか、ブルブル怖がりながら強がっていたような始まりでした(笑)
雑誌の魅力
あなんの場合は、雑誌が流行した時代に青春時代をすごしたという背景がありますので、きっかけのかたちとしては今の若い人がゲームが好きだったりするのと似ているかもしれません。それが今だに雑誌づくりを続けているのは、今の時代ならではの魅力を感じているからです。
2010年ごろから一般の間でもインターネットが普及し(それまではマニアックな人たちのものでした)、ブログ開設やTwitter(今のX)やFacebookも広がっていきました。そして通信技術が進歩してYouTubeが伸び、動画が一般化。どこかで聞いた予言は成就しています。
その流れを見てきて、今。情報は広告モデルに取り込まれることに変わりはないことがわかります。SNSは集客装置になり、いいねを稼ぐアカウントは企業の広告費から収入を得るしくみができています。その結果、タイムラインには、友だちの投稿以上に、おすすめ広告の記事がいくつも並ぶようになっています。
そこであらためて雑誌っていいなと思うんです。頼んでいない広告がポップアップしてきて、ページを塞ぐことがない。広告を見るクリックをしないと次が読めない、ということもない。充電を消耗することもない。一冊まるまるをパラパラと瞬時に俯瞰でき、興味の湧く記事を見つけることができる。好きなページから読んで、読み終わるまでしばらくそばに置いておくのも楽しいし、捨てるときはリサイクルできます。森から生まれた紙は、次の命をもらってまた役立ってくれるのです。レアアースを消耗する必要もありません。
何よりも、デジタル情報にくらべて、内省的な時間を持てることが特徴だと思います。さとびは「地域の未来に希望をみつける」「自分の暮らしに立ち戻って考える」「価値観のあう人と紙面で出会える」そんな雑誌ですので、スワイプでぱっぱと読むのには向いていません。さとびを支持してくださる方たちは、ウェブで読むより紙で読みたいと言っていただくことが多いのです(一長一短がありますので、どちらかが一方的に価値があると言っているわけではございません)。
メディアのかたちがどんどん変わっていくのを傍観してきましたが、ここに来てやっぱり雑誌っていいなと思います。ただし、テーマが自分に合っている限りは、ですけれどね(広告媒体と大差のないコンテンツであれば、ウェブで十分、むしろ今はウェブでないと届かないだろうと思います)。
広告なしで作る雑誌
さとびごころは、創刊からずっと広告なしで作っています。雑誌は広告料を稼いでこそ収益になるものです。それをやらないということは、収益が見込めないという前提になります。あなんが発行するにあたっても、広告は載せないつもりでした。苦手なことを無理してやるよりも、得意なことを頑張って、とにかく船出しよう。そんな気持ち。しかし、ただ苦手だからというだけではない理由もありました。それはまた、続きの投稿で書いてみます。
ほー。ずいぶん長くなってしまいました。ここまで読んでくださったあなたはすごい!さとびの裏側のお話、かっこ悪くて、自慢できるようなことはひとつもありませんが、雑誌づくりバカがさとびを作っています。
自主発行から9年目。ずっと地味なリトルプレス地域マガジンのまま。年齢も重ねました。でも、思いは変わらない。
少しずつ、理解してくださる方も増えてきました。自然がいつまでも美しく豊かに、水や食べものや空気を生み出してくれる未来を作りませんか(このままなら何かと危ういことは、もうご存知のはず)。雑誌を通じて、価値観の合う出会いや、自分らしい生き方を楽しみませんか。さとびごころがお役にたちたいと思っています。
追記
紙しか興味がないような書き方になってしまいましたが、ウェブサイトの運営からも何か生み出せたらいいなと思います。こちらも雑誌ともども、よろしくお願いします!