奈良でちいさな地域マガジンをリトルプレスという自主出版の形式で発行しています。
いつも自己紹介のときに、お伝えしていることですが、創刊は2010年、あなんは一人の編集委員として入稿された原稿を整理し、雑誌の形にまとめていく担当として参画していました(ほどなく企画にも関わるようになりましたが)。そのときから全ページを編集レイアウトしてきました。15年間、年4回、一度も欠かさず、何百ページ作ってきたことでしょう。
あなんには、何であれ本当に心に決めたことは10年続けるという謎のマイルールがあります。逆に、誰に強いられるでもなく10年以上続けてきたことは、本当にやりたいことなんだと自覚できます。飽きたり、嫌になったりすれば10年は続かない。はじめは本当にやりたいと思ったことでも、途中で嫌になることはあるものです。それで、実際ににやめてしまって心が晴れ晴れとすることと、やめたつもりなのにやっぱり続けていることがあって。そうして、「ああ、これが自分がやりたいことだったのかなあ」なんて後から認めたりするんです。不思議にしっくりときます。
編集というものが、それでした。
編集とは何なのか。自問もしてきました。10代の頃に、編集ガイドブックのようなものを買い求めて、ちんぷんかんぷんながらも調べてみると、多くは「作業ノウハウ」や「テクニック」について述べられていることが多いです。それは無知なわたしにとってトリビアで、面白いことばかりでした。学生時代から、出版社や編集プロダクションと接点ができて、取材や原稿を書く機会があり、現場の空気を感じられたこともワクワクでした(関西ですので、ほとんどが情報誌でしたけど)。
長い年月が過ぎてみると、原稿整理やレイアウトなどの作業も、もちろん好きなのですけど、本当にわたしを動かしているものは、まだ現実になく頭の中にしかない「企画」が、手にとって読めるものになっていくプロセスと、それが誰かの心に届く感動があるからなんだと思います。それも、思いひとつで、借金するほどの大きな資金も要らずにできるのです。
届いたのがたくさんの人かどうかは、あまり関係なくて、たった一人にでも「面白かった」「よかった」と言っていただけると、わたしは生きていていいんだという許可が与えられたような喜びがありました。
そこにもうひとつ加わったものがあります。面白いものを作る力が、もし、わたしに少しでもあるのなら、それを「自然にも人にもやさしい在り方」のために使いたいということです。
なぜ生きているんだろう。何が大切だと自分は思っているのか。そういう問いへの、答えのようなものでした。
それを決心してから9年目の秋ということになります。発行人が変わったとき、創刊からお読みの方は「なんか変わった」とお感じになられたことでしょうし、「つまらなくなった」と思われた方もあったかもしれません。わたしの力不足も含めて。それでも、この方向でなれけば、わたしは編集を続ける動機がないと思っていました。それは今も変わりません。
気がつけば、シニア。
10年目のはじまりを4ヶ月後に控えて、「本当にやりたかったんだね」と自分に伝えたいと思います。気まぐれではなかった、人に頼まれたからではなかった自分への証。失敗も挫折も自信のなさも、孤独感も、やめる理由にはなりませんでした。何かを始めるときの、まだ誰にも理解されていない気持ちがわたしにはわかります。さとびづくりを通して出会う人たちに対して、わたしこそが理解者になるんだと、いつも思ってきました。出会ったころからは、見違えるような変化を遂げた方たちが何人もいらっしゃいます。そこにさとびがお役にたてたのかどうかはわかりません。あくまでも、その方たちの情熱が周りの人たちを動かし、状況が変わっていった結果ですから。でも、それを見守り続けた一人として、心からの祝福をお送りしています。
フリーになってからの10年。さとびと出会ってからの10年。さとびの編集を全面的にまかされて(さとびとの出会いから5年後)からの10年。そして、さとびを発行(さとびとの出会いから8年後)するようになってから10年。ささやなわたしの人生の、10年を迎えた時の節目を振り返り、これからの10年をイメージするとき、今までとは根本的に前提が違っていることに小さく驚いています。
今までは、人生はこれかもずっと続くという前提でした。でも、この最後の10年は、人生がいよいよ終わっていく10年になります。10年後(今から数えると11年後)、さとびが二十歳になるとき、わたしは、まださとびを作っているのでしょうか?
まったくわかりません。雑誌は体力や気力も必要ですので、どこかでシフトチェンジすることになるのは予感しています。それがどんな形をとるのか、思いつきで言葉にすることもありますが、実のところは本当にわかりません。ただ、新しいさとびライターさんや、さとびでなくても自分で発信したい人たちを見つけて(意図的に見つけられるものではないですが、出会う偶然を信じています)、その方たちとの幸せな信頼関係を棺桶の中まで持っていきたいという思いだけはたしかです。
科学技術が指数関数的に進んでいき、いいほうにも、悲劇的なほうにも、どちらにでも大きく転ずる可能性が今、あります。今日もこうしておたやかな日常をいただいている一方で、地球レベルでは絶望してもおかしくない現実もあります。それにも蓋をせず、なかったことにせずに、今ここからどうしたいか?を問いながら歩きたい。
地球を思うなら地域から
世界を変えるなら自分から
わたしは、みんなが幸せな気持ちで生きていく道があると信じていますし、それを想像し、創造し続けたいと思います。小さくてもよいのです。全ては小さいことの集まりですから。おそらく、人々の意識が未来を作る。意識を定着させるのものとして、わたしは読みものづくりを選んでいます。
さとびが無事に10歳の誕生日を迎えることができたら、読者メンバーさまや関係者のみなさまをお招きして、食事会をさせていただきたいなと思っています。それが2028年の夢です。身近な人に話してみると、「行く行く」と答えてくださる方もあり、「うん、やっぱりやりたいな」との思いが深まっています。あと1年ありますので、その間にたくさんの思いをこめて、企画したいと思います。
このブログをお読みの方で、読者の方がいらっしゃいましたら、2028年某日のさとびパーティーのこと、頭のどこかに置いていただけたら幸いです。では、また。
PS 調べてみるとリトルプレスで10年以上続いている雑誌の中に、「さとびごころ」が含まれていました。インターネットはなんでもお見通しなんですね。他のリトルプレスも読んでみたくなりました。
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