この記事はさとびごころVOL.32 2018 winterよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
村の未来をかけて、2015年に森林政策課をたちあげた天川村。村に山ほどある森林を資源として活用しながら雇用を創出したいとの思いをこめた「天川村森林塾」が、昨年秋にスタートしました。
一度離れた働き手は戻らなかった
「この森林塾での学びや交流を契機に、天川村の森林や天川村に興味を持っていただけたら嬉しいです」
天川村の車谷重高村長の挨拶で2017年10月14日、土砂降りの雨のなか天川村森林塾開講式が行われ、村長をはじめ天川村森林政策課職員の熱い想いが込められたプロジェクトが幕を開けた。
天川村は吉野郡のほぼ中央に位置し、修験道の聖地、大峰山系の西側に広がる人口約1400人の山村で、雄大な山岳景観と清流が村の自慢だ。しかし、村の面積の97%は森林で覆われ、産業に供する土地利用の制限は厳しい。吉野郡の他の山村に比べ、大峰山、洞川温泉という観光資源にも恵まれ、かつ関係者のたゆまぬ努力もあり、洞川地区は観光産業による活気が維持されているが、村全体に目を向けると、若者の流出や村民の高齢化など、抱える課題は多い。安心して住み続けることができる村の将来を考えるとき、世帯が生活に必要な収入を確保できる「働ける場所」の確保が最も重要になる。
かつて、天川村で暮らす人々の多くは、豊富な森林資源の収穫に始まり、その後の造林、保育作業など、その収入の多くを山林作業で得ていた。立木の伐採や搬出、地拵(ごしら)え、植栽、下刈、除伐…広大な森林で、次から次に人手が求められた。収穫できるものは収穫し尽くし、植えられるところはほとんど植えた。植栽からしばらく続く保育作業も一段落したころ、山仕事は徐々に減り、それをカバーするための足場丸太の生産や磨き丸太の生産などの需要も激減し、木材価格も急落したことから、村の人たちは他産業や他地域に職を求めて林業から離れていった。
その後、森林は育ち、間伐など人手が必要な時期が到来したが、木材価格は低迷を続け、林業は斜陽産業の代名詞となり、一度離れた働き手を再び呼び戻すことができなかった。先祖が汗を流して育てた村の財産であるはずの森林は、日を追うごとに荒廃が進み、仕事や金を生み出すこともなくなり、「どうせ、山しかない」と森林を前に項垂れる時代になった。
生産性向上よりも森の多面的機能の発揮を
車谷村長が就任した2015年、天川村役場に森林政策課が新設された。生産性の向上や増産を追う林業政策ではなく、天川村の豊富な森林資源の多面的な機能を最大限に発揮させ、森林を村の強みに変えようとする村の森林施策が動き出した。村長はその課長に林業、観光、自然環境保全の経験が豊富な豕瀬(いのせ)充課長を就任させ、「林業で20人の雇用を増やせ!」と命を下したという。到底できそうにない大きな数字に、豕瀬課長は腰を抜かした。
村はまず、森林資源を現金収入に繋げる施策を手探りで始めた。
天川村の森林資源はまだ若い木が多く(※)、川上村などの吉野林業地の中心地に見るような銘木級の巨木が立つ森林もほとんどない。樹齢的には建築用材として利用できる樹木だが、これら一般材と言われる木材を伐採搬出し市場で利益を上げるには、生産性を重視した皆伐など、森林の持続性を二の次にせざるを得ない手法がとられるのが一般的だ。しかし、天川村森林政策課は違った。
※拡大造林施策によるものが大半を占める。拡大造林とは=昭和20 〜 30 年代、戦争中の乱伐による森林の荒廃や自然災害等の理由で木材が不足したため、政府が行ったもの。おもに広葉樹からなる天然林を伐採した跡地や原野などを針葉樹中心の人工林( 育成林) に置き換えること。
持続可能な森づくりで住み続ける村へ
2011年の大水害で村に大きなダメージを受けた天川村だからこそ、郷土の森林をより安全で豊かな森林として持続的に管理しながら、村民がその森林を経済活動の場として活用することで、郷土に安心して住み続けることができる方法を模索した。車谷村長は今も「かつてのように大儲けのできる林業が、今の天川村ですぐに産業として立ち上げられるとは考えていない。まずは森林の大半を占める人工林の手入れをコツコツ行いながら、間伐材など資源の有効利用で気軽に副収入が得られ、村人が楽しく安全で健康に働く森となれば」と熱い思いを話す。
そんな情熱から2016年には一般社団法人フォレストパワーを立ち上げ、村の人々が持ち込んだ間伐材を地域振興券で買い取り、村の温浴施設で活用することで村内で経済循環を推進するシステムを稼働させた(詳細:さとびごころ29号企画取材で掲載)。着手からほぼ半年で作り上げたシステムだが、滑り出しは順調で、今後徐々に薪を使う施設の拡大を進めれば、村の経済循環の一つの流れになり得る感触を得ている。
ただ、このプロジェクトの拡大推進を考える上で一番大きな課題は、村人と林業の距離が既にあまりにも遠くなっていることだった。
村人さえ森林作業を知らない
かつての村人は簡単な森林作業であれば当たり前のようにこなしたが、今は、森林所有者であっても所有森林に近づくこともなく、所有森林の位置も解らないことが多い。森林の境界の明確化や間伐や搬出、それに必要な作業道づくりなどの森林作業ができる人材の育成が次の大きな課題となった。
人材育成といっても今天川村が目指すのは、「林業ができる」人材ではなく「林業もできる」人材である。そして、将来は天川村の宝、大峰山系の植生保全などへの知識や関心も持つ人材を育てたいとの考えから、その人材育成プロジェクトは「天川村森林塾」と名付けられた。
森林を鍵に関係人口を増やせ
森林塾開講の最初の目的は、村民と森林との距離を縮め、林業技術の学びから森林作業に関心を寄せることであったが、村外からも天川村のこの活動に興味のある人材には参加していただき、これを契機に、天川村や森林に関心を寄せ関係人口(※)になっていただこうと、塾の募集は村以外にも広報した。
隔週土日で合計10日間の厳しいスケジュールに、塾生の応募が集まるかどうか心配していたが、広報の効果もあり定員20名に対して30名弱の応募があった。塾生は長野県、愛知県、兵庫県、大阪府などからの参加もあり、年齢層も幅広く、キャラクターもバラエティーに富んだ人材が揃った。
天川村がこの森林塾に村の将来の転機となることを期待しているように、集まった塾生もそれぞれに、自らの転機を森林塾に期待し集まっていた。天川村の自然や人と接するなかで、大変ハードな講習会も、とても楽しく実施することができた。
※関係人口=定住していなくても、何らかの形で特定の地域と関わりを持ち続けている人々。
プロジェクトは動き出したばかり
今回は「林業入門コース」ということで、チェーンソーや小型建設機械などの基礎的な技術と知識を得るための講習が主体だった。限られた期間内で、充分に時間をかけた作業体験はできなかったが、何より「安全」を第一に作業を行わなければならないことを、研修生にはしっかり身につけてもらった。
研修開催日に台風が接近するなど、天候には恵まれなかったが、優秀な講師陣の指導で10日間の研修は事故もなく無事終えることができた。県外からの参加者は、一日の講習を終えてからも、天の川温泉で裸の付き合いをし、民宿で寝食を共にし、深夜まで交流を深めるなど、天川村の森林で何かを共に興したいという機運は大きく育った。
天川村の熱い思いと熱心な塾生の参加で実り多いものになった今回の森林塾。しかしここがプロジェクトの終着ではない。今、動き出したばかりだ。目標を達成するには、今後、この動きをさらに成長拡大させることが天川村森林塾の大きな課題である。
(奈良県森林総合監理士会 杉本和也)
さとびごころVOL.32 2018 winter掲載