この記事はさとびごころVOL.43 2020 autumnよりの転載となります。内容は掲載当時のものです。
「自然と共生する農業」という就農当初の理念に揺るぎはなかったが、農業で食っていけなければきれいごとに過ぎない。しかし、基礎整備されていない1haを超える棚田(現在は2.5ha・64枚)は機械化された現代農業においては非効率であり、さらに借地ゆえに付加価値の高い施設栽培や果樹栽培をこちらの都合で行うことができない。いったいどうやって農業を成立させたらよいのか。
言い訳を連ね近視眼的になるなかで、本当の意味で「里山を活かす農業」をまだしていないことに、一冊の本が気付かせたのである。赤目には答えがあると思った。
12年ぶりの赤目の森は、迷える私を歓待してくれた。驚くべきことに、私には赤鬼にしかみえない豪快な赤目のオヤジは、事情を話す前から全てを見抜いていた。かつての滞在型レストランは閑静な森のコテージといった雰囲気ではなく、雑然、混沌という言葉がぴったりだと思った。そこで働く外国人は海外ボランティアであり、国内外のボランティアを受け入れる仕組みを初めて知る。そして山の仕事を覚えるために何度か通ううち、その年の夏に台湾人学生ボランティア達のキャンプリーダーを任されることになる。言葉の壁と慣れない山仕事ではあったが、現場監督の経験が活きた。10日間のキャンプをやり遂げると、青春の懐かしい爽快感に満たされた。
私が赤目の森で見たものそれは、人情ドラマのような笑いあり涙ありの生き生きとした人々の姿であった(ちなみに赤目のオヤジは寅さんに心酔している)。なんでも単独でやろうとする孤高の農家は、他者との連携に臆病ともいえる。人々の協力こそが里山を変えてゆくという当たり前のことに、ようやく向き合う自信を得ることができたのだ。赤目での経験は、諦めかけていた農家を人間的に成長させ、里山新生の可能性に光をあてた。ここから農園のスタイルは、大きく変貌していく。
さとびごころVOL.43 2020 autumn掲載
文・杉浦 英二(杉浦農園 Gamba farm 代表)
大阪府高槻市出身。近畿大学農学部卒。土木建設コンサルタントの緑化事業に勤務。
2003 年脱サラし御所で畑一枚から就農。米、人参、里芋、ねぎの複合経営。一人で農園を切り盛りする中、限界を感じて離農も検討していた時、ボランティアを募ることで新しい可能性に目覚め、「もう一度」という決意を固め、里山再生に邁進中。 2017 年、無農薬米から酒米をつくる「秋津穂の里プロジェクト」を始動。風の森 秋津穂 特別栽培米純米酒の栽培米を生産している。
連絡先 sugi-noen.desu219@docomo.ne.jp
【参照】 さとびごころ vol.35(2018autumn) 特集 農がつなぐ人と土