こんにちは。あなんセイコの茶飲み話です。最近某オピニオン番組で見かけた、マヤ文明(紀元前1千年ごろから16世紀まで)最大最古の遺跡について、ちょっと思ったことを。インカ文明やアステカ文明ではなく、今回はマヤ文明です。
メキシコの人気観光スポットマヤ遺跡群の中に、紀元前1千年ごろ(つまり初期)につくられた「アグアダ・フェニックス遺跡」があります。密林の中にあるため、どういう形をしているのかはその場に立ってみてもわからないそうです。それが最近の研究では、上空からのセンサーでわかるようになり、大規模な基壇になっていることがわかりました。この頃のマヤ文明は、小さな集落がポツポツある程度に過ぎないと思われていたそうなのですが、すでにこんなに大規模な建造物があったことが驚きなのだそうです。
写真はこちらからお借りしました
長さ約1.4キロメートル、幅約400メートル、高さ約15メートルというスケール。ちょっと目には、ここに遺跡が眠っているとは思えないですよね。
そこでは、のちに繁栄した王様が存在した時代と違って、権力者がいなかったことが考えられるそうです。それにも関わらず大勢で協力しないとできないような大規模な基壇が作られていたということを知りまして、まるで縄文時代のような社会だったのではないかと感じました。ヒスイの石斧も見つかっています(縄文人のお宝祭祀グッズ!)ここでは、聖なる山を築くことで祭祀が行われていたと考えられています。(山は縄文人にとって神が宿る場所)
マヤ文明も後になると王様が現れて、高いピラミッドが作られました。こちらのピラミッドのあるマヤ文明の方が有名だと思います。その遥か以前に、平和で高度な文明があったということです。
人類がホモサピエンスになってから6万年くらいまえにアフリカを出て、世界中に散らばっていったことがわかっています。さあ、どこそこへ行くぞー!とあらかじめゴールを決めて旅に出たのではなくて、移動しなくてはならない理由があった結果です。食べ物を求めたのか、敵から逃れたかったのか、色々とご苦労があったことと思います。何世代にも渡って、北へ南へ西へ東へ、途方もない旅が続き、それぞれの地で民族が生まれました。
そうして、ユーラシア大陸を移動した人や、海を渡った人たちがアジアへもやってきて、その一部が日本人になったはずです。また、当時はまだ陸続きだったシベリアと北米大陸をつたって、メキシコや南米大陸に行った人たちもいました。一説には、なんと縄文人が行ったのではという話もあります。
縄文人は海の民でもありました。長距離移動は、陸より海(川)が早いですから、普段から海を利用していたようです(日本に限ってみても、新潟県糸魚川周辺でしか取れないヒスイが沖縄で見つかっています)。海流に乗れば、南米にも流れますし、大陸に沿って移動(参考記事)もできたかもしれません。南米大陸に人類が到達したとされるのは1万6000年前、ちょうどその頃日本では縄文時草創期が始まります。日本には4万年前には人がやってきていました。ざっと考えても、同じような民族が移動していたと思えますし、もしかしてもしかしたら、縄文人も?と思えてきます。
今回の遺跡では、強権的な支配者なしにリーダーや指導者のもと、人々が力を合わせてお祭りをするための大切な場所を長い年月をかけて作ったということろが縄文遺跡のモニュメント作り(縄文早期くらいから作られ始めました)と似ているなあと思いまして、ロマンチックな気持ちになった次第です。
どこの文明でも、最初は平和に暮らしていた状態から、だんだんと階層が生まれ、争いが生まれていくんですよね。階層が生まれるのは仕方がないとしても、争わないんだったら良いのですが、人間というのは、上にいくとそうなってしまう生き物なのでしょうか。切磋琢磨の競争だったら、成長や発展につながると思いますが、争いの結果、勝った人が負けた人を奴隷にするような社会は、もう卒業しませんかと、現代文明が警鐘を鳴らしているような気がします。
平和な社会は歴史上、日本であれマヤであれ、「実在した」のですから、今をどのように変えていったら、もっと住みやすくて幸せになっていけるか学ぶ余地があるのではないでしょうか(どなたか、一緒に考えたり情報交換したりしませんか)。それには、やはり豊かに循環する自然環境がないと、どうしても奪い合いになります。まずは自然を守ること。自然から無償で与えれられるシステムと豊かさを生かすこと。その次に、人として権力者・支配者になることへの快感や欲求をどのように処理していくかということになろうかと思います。
さとびの理想は、自然にも人にもやさしい100年住み続けたい世の中が地域から創造されていくことです。
こちらの記事も参考に
マヤ文明で最大の建造物見つかる 「文明観を覆す発見」
ヒスイとか!猪の彫刻とか(お借りました)!写真があります!