/

blog

雑草は日本人らしさを作るひとつの要因?自然は豊でも災害も多い島国で育った「らしさ」。

このごろ、あなんのタイムラインには、雑草関係の情報がよくあがってくるんですよね。さとび秋号(vol.62)づくりの時によく検索したからでしょうか。あいかわらずインターネットさんの監視が行き届いておりますね(笑

いえいえ、その件ではなく、日頃から雑草には興味があるのは事実として、その内訳を振り返ってみると「食べられる雑草は何?」「雑草を見分けるコツは?」「畑活に役立つ知識は?」「雑草の料理方法は?」「スキンケア、ハウスケアなどの活用法は?」などが挙げられます。雑草と日本人、という切り口ではあまり考えてこなかったなあ。

雑草と日本人

そんな中、「これも取材に役立つかも」と買った『雑草と日本人』(稲垣栄洋(著) 草思社文庫)は、雑草を通して日本文化を考えるというものでした。おもに西洋との対比から見えてくる日本独特の条件をあげて説明されています。自然(水と緑と土)が豊かである反面、地震が多く、洪水も多く、非常に過酷な面があります。美しいだけではすまなかったのです。何かあるたびに命からがらの思いを繰り返してきた日本人。

物に執着しても洪水で流されたら?火山が噴火したら?人間はどうしようもない。苦しいときは助け合う以外には生き残る道はなく、自分だけ助かろうとしても一人では限界がある。自然の過酷さが日本人らしさを育てた。。。

日本人らしさというと、あなんは、縄文人を思うときに、自然の「豊かさ」のおかげで食べ物に困らなかったために人に与える余裕があったことが日本人らしさの一部になったのではと思ってきました。それは、研究者の方が指摘されるとおりだと思います。それと、表裏一体に「厳しさ」もまた、たしかに日本人のらしさを形作ったことだろう、そりゃあそうに違いない、と気付かされました。

その厳しさのひとつが雑草でした。あなんがいつも、「雑草をたいせつに」と提唱しているのは、現代文明が除草剤等によっていつでも雑草を一網打尽にできる力を持ってしまったからです。農薬を使わない農業であれば、はやり草管理をしないと野菜が負けてしまう。うちの畑なんて狭いですからできますが「広い面積は大変だなあ。家庭菜園は生やさしいなあ」と思います。

江戸時代以前は、雑草は「緑肥」であって、奪い合うほど大切なものだったそうですが、雑草が憎まれるようになったのは、どうやら肥料が普及した江戸時代後半らしい。肥料は、魔法のようにありがたいものだったに違いありません。
緑肥にする必要がなくなった雑草は生い茂るようになり、草刈りという重労働を産んだようです。当然、みんなで協力する必要があり、全体の空気を読む協調性が求められたでしょう。また、雑草を生やしていることが貧乏の象徴と思われていたそうで、みなさん必死に雑草だけは駆除したのだとか。(じゃあ、あなんの畑は貧乏だわ 笑)

困難と日本人

日本人が知恵や工夫を発達させてきたのは、もしかしたら、それだけ過酷な困難を乗り越えてきたということなのか。ご先祖さまたち、リスペクトです…ありがとうございます…。と、同時に、それは今も変わらないのかもしれませんね。

まずは戦後からの復興。近いところではオイルショック。危機的な状況の中で、右往左往する人もありながら、その陰では粛々と頭のいい人たちが「どうすればいいのか?解決の道はないか?」と努力し続けてこられました。原子力の研究も、石油に依存しないエネルギーを日本が獲得するには?という思いで取り組まれたものだそうです。(ところで、今思うとオイルショックはなんだったんでしょうね。わたしが子供の頃に聞いた話が本当なら、もう枯渇してるはずなんですけどー)

日本の資源は、石油はなくとも、研究熱心さ=人財なんですって。今でしたら、ロボット。世界トップレベルだそうですね。また、半導体も日本は負けたと思われていますが、部品となると日本製でないとたちゆかないとも聞きます。

そういえば。

オリンピック。なんとなく、日本人が金メダルをとった競技はルールが変わるような気がするんですけど気のせいですか。スキージャンプなどは、あきらかにそうだったみたいですね。柔道もそんな気配を感じますね。それでも、日本人て、立ち上がるんですよね。

負けるもんか、という精神もさることながら、「大好きなことに夢中になっていたら、強くなってた」という成功の仕方も上手だと思います。

さて、またひとつ、思い出すこと。

自伐型林業って、ご存知でしょうか。あたらしい林業、小さい林業と呼ばれています。その先駆的な林業家と直接お話しする機会に恵まれたことがありました。Hさんと言います。Hさんが、そのやり方に取り組まれた頃は、周囲の理解はなく、むしろ嫌がらせやいじめをうけたそうです。そんなとき、Hさんはなんて思われたと思います?「やっぱり無理なんだろうか。自分には力なないんだろうか」と悩まれた…と、思いますか。いいえ、こうおっしゃいました。「僕らの世代はね、いじめられればいじめられるほど、負けるもんかって、よけいに思うんだよ」

あなんよりも、すこし上の世代の方です。

日本人論になっているのかどうかわかりませんが、とにかく困難というものは「進化」のためにあるんだということを『雑草と日本人』からも、思うんですよ。困難はないほうがありがたいけれど、困難がなければ進化もない…。

あなんですか?いやいやいや、避けて通りたいタイプです。「負けるもんか」だなんて、そんな、ガッツはないタイプです。

しかし。

もしかしたら、わたしの中にも蝋燭ひとつ分くらいの火はあるのかも、と思います。雨にも負けず、という宮沢賢治は言いました。わたし、雨を気象操作して止めてほしいなんて思いません。雨は降るなら降ってください。でも、負けはしない。勝てないかもしれないけれど、負けない。

それも「負けるもんか」ということなのかもしれないですね。できることなら、苦しいときほど歯を食いしばらずに、深呼吸をして、今日もまた一歩、明日も一歩と、描く夢をキャンセルせず、一生かかろうが構わないというくらいの前提で、雨でも火が消えないように守りたい。(雨は雨で、畑の作物は喜んでいますしね)

雑草も、鎌でちょこちょこ刈っていると、終わるんですよ。あなんは、仮払い機は使えなくて、常に鎌でやるので時間はかかりますけれど、終わるんです。夏だったら、翌日からまた早速伸びてきますが、また刈ればいいんです(それが全部、草マルチになって、ありがたいんですよ)。そういうことにも通じるのかな。

これからも困難がなくなることはないでしょう。わたしのような凡人も、困難を嫌ったり恐れたりするだけでなく、ここからどのように成長するか、進化できるか、その機会というふうに捉えることも大切なことでありましょう。
雑草からあれこれと、考えてしまいました、というお話しでした。読んでくだっさって、ありがとうございます。日本人であること、わたしは嬉しいです。


雑草をテーマにとりあげた さとびvol.63(2025 autumn)

オンラインショップでお取り扱い中


さとびごころは来年2026年から、新刊700円、バックナンバー800円となります。年内は旧価格でお求めいただけますので、購入ご検討の方はぜひ。

日本人らしさ

農と自然

雑草

雑草と日本人

latest article

/

サポーターになりませんか

定期購読メンバー様には毎号さとびをお届けします。また、さとびのコンセプトに共感&応援してくださる方は、ぜひサポーターになってください。100年住み続けたい地域づくりのなかまとしてつながりましょう。

購読コースについて

サポーター 5,000円 /年(送料込み・複数口対応)
定期購読 2,500円 /年(送料込み)

原則として自動継続となりますので、停止されたい方は個別にご連絡ください。

お支払方法について

下記タブよりお申し込みの方は銀行振込みとなります。
デジタル決済OKのオンラインショップからもお申し込みいただけます。

購読の
お申込み

入力内容に誤りがあります

以下の内容でよろしければ、
購読申込ボタンを押してください

ご購読期間は、毎年1月からの1年間となっております。年度途中からお申し込みいただいた方には、登録と同時に既刊の号をお送りさせていただき、新刊発行分から通常のお届けとなります。ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

購読方法

お名前(必須)



メールアドレス(必須)

確認の為、もう一度ご入力ください。

発送先住所(必須)





購読開始年

その他