幼いの頃の記憶に残る、街の中にあった多種多様なお店
1970年代までの田舎の街では、小さな商店がたくさんありました。
わたしの幼い頃の記憶では、「おこずかいをもらって駄菓子屋さんへ行く」くらいの距離で、私鉄の駅、金物屋さん、おもちゃ屋さん、靴屋さん、散髪屋さん、美容院、八百屋さん、豆腐屋さん、下駄屋さん、茶碗屋さん、文房具屋さん、人形屋さん兼麹屋さん、飲み屋さん、魚屋さん兼仕出し屋さん、大工さん、電気屋さん、建具屋さん、古美術店、旅館、製材所、家具屋さん、映画館、パチンコ屋さん、ラーメン屋さん、服屋さん、呉服屋さん、映画館、鉄工所、おもいつくままに書いても多種多様なお店やしごと場がありました。スーパーマーケットもありましたが、地域の商店と共存していました。少し歩くと、市役所、市民病院、警察署、銀行、学校があり、楽器屋さんやレコードショップもあったなあ。高校生のころは、喫茶店へ行くのがマセた気分になることができて、好きでした。
そんなふうに、徒歩圏内でも十分暮らしに必要なものが完結できていました。
それぞれのお店は個人商店か小規模経営のものが多く、中小(地元では大きい)企業としては印刷会社、紡績会社、水産会社があったくらいではなかったかしら。
旦那さん、親方さんと呼ばれる家もありましたが、「そんなもの」という了解があり、妬むこともありませんでした。花見の季節には、仕事を休んで店主も従業員もともに山へ集まり、お盆になると盆おどりの列が街を練り歩き、秋には各町内のお寺や神社で次々とお祭があり、こどもたちは祭巡りを楽しみました。住民は商売のうえでも何かとつきあいがあり、特別に仲良しなわけでもないけれど、喧嘩もない。
誰も億万長者を目指すことなく毎日の仕事にいそしむ平和な街でした。
その後は、田舎町といえども開発が進み、広い道路や大型ショッピンモールができ、ほとんどの商店は姿を消しました。そして各家の子供たちの多くは、わたしも含め県外へ出ていきました。パリッとこぎれいに生まれ変わった街は、ひきかえに人の気配が薄らぎ、寂しそうです。
同じことが日本のあちこちで起こっていたのだろうと思います。
大規模なビジネスの世界のことはわたしにはわかりませんけれど、ちいさな事業が多種多様に共存している地域は、失ってみるとかえって魅力的に見えてきたりします。
2017年に刊行された『ナリワイをつくるー人生を盗まれない働き方』という本がありますよね。今の世代の人たちが目指しているものは、これに近いのではないかと思います。「人生を盗まれない働き方」というタイトルが目をひきますね。
つまり、今のひとは人生を盗まれていると感じているんですね。
大手の企業に勤める人が増えるほどに、そう感じる人も増えていったのではないでしょうか。
そんなわけで、わたしはちいさな仕事、自分の手でできる仕事を今いちど大切にしてみたらどうでしょう、というふうに思うわけなのです。
超エリートでないとしても、自分で何か始めてもいいわけですし、今はまだ「別に、なんにもできることなんかない」と思う人であっても、どんなに小さなことでもいいから心を動かされることをひとつやってみたり、また、魅力ある仕事をしている人のものを購入してみたりするところから、インスパイアされるものがあるのではないかと思うのです。
収益性やノルマというプレッシャーからいったん離れて、魅力を感じることを行動に反映してみる。それがなぜか続いてしまうとしたら、それはきっと「好きなこと」「縁があること」なんですよ。それが自分に与えられたしごとなのかもしれませんよ。
好きなことをやってみるところのむこうに、さとびの研究課題?でもある「身の丈しごと」もあるんじゃないかなあと思います。
「お金じゃなくて」などとは言いません。温かいお金、うれしいお金が健康な血液のように毛細血管までいきわたるようになったら、関わる人も楽しく暮らせたりしませんかしら。
TEtoTEマルシェは、自分の身の丈しごとを愛してる人たちのブースが並びます。よろしければ、どうぞ楽しんでください。