お盆休み。今では、夏の連休という意味で受け取る人が多いかもしれませんが、あなんが幼かった昭和の頃は、お正月に次ぐ大切な期間でした。
ちょっと昔を振り返ってみます
大人たちは親戚やお寺さんとのつき合いで、気を遣っていたかもしれませんが、子供のわたしにとっては、ふだん会えない従兄弟たちがやってきたり、おばあちゃんから気合いが感じられて、仏壇にある仏様や位牌を出してきて、床間で板を階段のように組んだひな壇を組み、そこにおごそかに飾り付けている様子に「今、何か特別な日を迎えているのだ」という思いがしました。涼しそうな色合いの提灯(電灯)は、くるくる回るのが不思議で、お盆独特の風情を醸し出していました。
考えてみれば、わたしが幼いということはおそらく五歳くらいだったとしたら、祖母は長男であるわたしの父を亡くしてからまだ5年しかたっていないことになります。もしわたしが息子を亡くしたら、たった5年で悲しみが癒えると思えません。すると、祖母は孫のわたしが想像もできないくらいの、なにか切ない思いがあったかもしれません。でも全く愚痴を言わない人でしたので、実にたんたんとお盆を迎え、こなしていました。
さだまさしさんのヒット曲に「精霊流し」ってありますね。みなさんの地域ではありましたか。あなんが生まれた町では、決められた場所がありました。町内のはずれの小さな川のほとりです。ひな壇に捧げていた供物をそこに流していたたのか、流さずに回収されていたのか、今では記憶もあいまいです。それはおばあちゃんのしごとでした。わたしはひたすら、おばあちゃんにくっついて、どこへでも一緒に行くのが大好きでした。
迎え火や送り火も、おばあちゃんのしごと。庭先で燃やす小さな焚き火のようで、喜んでいました。日が落ちて暗くなった庭に炎のまわりだけがほんのりと照らされ、幻想的でした。「お父ちゃんが帰ってくるよ」と言われても意味がわからなかったものです。小さな焚き火はおガラといって、大人になってから麻の茎だと知りました。あの頃、麻はまだ、生活の中にありました。送り火が消えると、おばあちゃんは何か気持ちに区切りをつけたように、またいつもの暮らしに戻っていきました。
地域では、この時期にあわせて盆踊りがあって、夜の商店街に提灯の灯りが並んで吊るされる風景に胸がそわそわ、わくわく。こんなときは、少々夜更かししても叱られません。地方の小さな町のお盆の雰囲気って、そんな感じでした。
その頃の大人たちは、もうほどんどの人が空に旅立っていることでしょう。
日本らしい風習がだんだんと薄れていくなかで、それでも10年くらい前までは農村のほうではまだ盆踊りが残っていたように思うのですが、今は観光目的か何かでないと、担い手さんが高齢化したり、いなくなったりして、若いひとは古い風習から離れてしまい、やり方もわからなくなってきているのではないでしょうか。それには、それで、きっと「縛られなくない」「自由でありたい」という気持ちがあったのだろうと思います。
復活した盆おどりは 女性たちの発案で昨年から
ところがなくなってみると、なんだか心にぽっかりとしたものを感じませんか。盆踊りだけではないのですが、お祭りや行事は、同じ地域の人たちが力を合わせないとできないので、結びつかせる働きがあったとも言えますね。現代人は孤独な人が多いので、あたらしい意味でもう一度、結びを生み出したくなってしまうのかもしれません。
「盆踊りがあるんだって」と、さとびサポーターの北森さんのSNSの投稿を部員Mさんが見つけて言いました。
北森克也さんは、vol.57の「風は奈良から」に登場していただいた方ですので、読者の方であればご記憶でしょうか。宇陀市の深野という100人余りの集落で、高齢者福祉をメインに、地域の人と向き合い対話する活動をされています。そうそう、記事ではダンバー数の話も出ました。人間が安定的な社会関係を維持できる認知的な上限を150人程度とする考えです。深野はジャストフィットなんですよね。
ひさしぶりに会いたくなり「行こうか!」と返事をして、午後から出かけました。宇陀の室生の山の中、それはそれは綺麗な景色が開けたところが深野という集落です。
さとびの表紙の背景にもなった深野の風景。
盆踊りの会場は地域の小さな神社。駐車場に車を停めて降りていくと、北森さんがわたしたちに気づいてくれて「あなんさん!」と声をかけてくれました。北森家にはハクという名の白い犬がいて、Mさんの愛犬バジルとは友達です。ただ、その日は以前から悪かったハクの体調がさらに悪く、姿はありませんでした。
克也さんによると「ここの盆踊りは、もう途絶えていたんですけど、うちの家内とか女性たちが中心になって復活したんですよ。去年から。近年は移住者の方も増えているので、そんな人たちと協力しあって…」
開催を告げる北森さん。あ、目が閉じてしまってごめん!
神社の改修の記録。平成29年の人口は113名。
わあ、いいなあ。自発的なのって、いいなあ。
小さな櫓、いくつかの出店(中華おこわ小100円、大200円とか、嬉しいじゃありませんか)、近所の人や、周辺の地域から集まってきた人たち。音楽が始まると、みんな照れながらも輪の中に…。
あなんは、ぶつけ本番で踊りを覚えることがどうしてもできなくて、その場で練習はしてみたものの、輪の中には入れず…。(入ればいいのにね!)
盆踊りをチラ見するバジル。しかし、音に怯えっぱなし。
でも、そのぶん、会場全体の雰囲気を満喫しました。こんなとき、北森さんの手があくのを待って、この祭りの復活までのいきさつとか、いろいろと聞いてみたくなるのですが、部員M氏は、食べて散歩して用が終わるとさっさと帰るタイプであり、そうなると「そろそろ帰りたがっているだろう」と察しがついてしまうので、少し消化不良ではありつつその場を後にしました。これが取材だったなら、一人で行くのが望ましいのです。自分のリズムとタイミングと呼吸で取材したかったら、一人ですね(車の運転ができないので、ここへは一人では来れませんが)。
北森夫妻、もっと話したかったです!またの機会に!
後日、ハクちゃんの訃報が届きました。ハクちゃんは、飼い主が数回変わり、最後を北森家で迎えました。3世代で暮らす北森家の家族みんなに愛されて、ハクちゃんよかったね。部員Mさんが涙ぐんでいました。
ありし日のハクちゃん(手前)
余談ですが…
盆おどりで、知り合いのチエちゃん(東吉野村在住)と遭遇しました。すると、「この人、奈良墨やってるの」と、最近東吉野に移住してこられた方を紹介されました。あなんは、どうしてここで「奈良墨」という名詞を聞くのか、意味がわからず、数秒間かたまりましたけれど、よく聞いてみると、下の写真の大谷さんという方が今、東吉野村で錦光園さんの墨作りに関わっておられるとのことでした。
この件は、さとびでもいつかお伝えするかもです。大和松煙プロジェクトに関わったご縁がございますので。
世間は広いはずなのに、さとびは狭いです。出会う人、出会う人、どこかで繋がっておられたり、実は旧知の仲だったり、そういうことがこのごろ頻発しております。縁起のよいこと。
8月23日に予定しております「環境再生入稿講座」は、満席となりましたので受付を終了しております。お申し込みくださったみなさま、ありがとうございます。当日よろしくお願いします。
9月には、「ちいカミ」こと、「小さな紙メディア講座4期」を始めます。3期のようすはこちらからどうぞ。
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