やっとブログを書く時間がとれました。奈良で小さな地域マガジンを、たっぷりの思いをこめて発行しています。本人が特に望んでいたわけではなかったにせよ2018年から、それまでの経験やスキルを総合的に動員して、多少苦手なことも受け入れて、「さとびごころ」の自主発行を始めることになり「さとびこ編集室」を名乗りはじめました。
編集することはわたしにとっては呼吸のようなもので、望むということばがあまり当てはまらず、「やればできるだろう」と思う反面、人様から依頼されて受け継いだものを、自分の思いを込めてリスタートしていいのか、でもそれしかできない、すいません、という気持ちはどこかにありました。それも、(ありがたいことに故郷の元発行人さまも応援してくだり)9年近く続けていると時効になるといいますか、今では「さとび」はわたし的には筆頭ライフワークになっています。さらには、わたし個人も同じだけ年を重ねたわけなので、「いつかはできなくなる日がくる」ということを思うようになりました。そういうことも薄々意識しながら続けています。
みなさんは、何かするとき、コンセプトを掲げ、ゴールを定め、目標を持ち、戦略を持ち、計画を立てて実行しますか。わたしは、さとびを始めたとき、ほとんどそれがなかったんですよね。コンセプトは、引き継いだ「100年住み続けたい」の言葉ですが、この輪郭の広い言葉を、どのように自分に落とし込み、第3者にも伝わるように変えていけるか不明でした。でも、雑誌づくりは好きで、心の中にずっとあたためていた思いはあったので、その二つだけを羅針盤に、地図もないままに、休刊はさせない!一心で、いわばイヌかきしながら水の中に入っていったのです。
なぜか惹かれること、なぜか「大切!」と感じてしまうこと、そこには共通するものがあるようです。ここまで続けてみて、やっと最近、それが4つの言葉にまとまってきたのです。目新しい言葉ではないのですけど、確信を持てるようになったのはわたし的には事件でした。
「その地に根ざす」はエコロジーから得たフレーズです。世の中はグローバル化する一方ですが、遠くのものを石油を使って仕入れて流通させる前に、まずは地域で流通させよう。「お金があれば買ったほうがいい」ではなくて、地球の負担も考えよう。身土不二という言葉もありますね。その地で産まれたものを食べること、使うことが体にも環境にもいい。だから地域の農林業がとても大切です。地球を思うなら地域から。抽象的なことばかりに偏らず、足元の暮らしから考えたい。さとびの基本原則は、ここから始まりました。身の丈しごと、という言葉に共感するのも、ここからなんだろうと思います。
「循環」。vol.51「炭はサーキュレーション」という特集を作ったときに伝えたかったことは、「水は雨、地下水、川、海、水蒸気、雨と循環し、減らないしゴミもでない、この自然のしくみに倣いたい」という気持ち。現実には、サーキュレーションするためにエネルギーが消耗されることもありますが、なるべく自然の摂理を生かすことで軽減できると思っています。人間の体の血液も循環しないと病気になりますよね。循環すれば元気が生まれるのです。
コンポストも好きです。畑には「何一つ外から持ち込まない」という自然農法の考え方からはちょっとそれますが(わたしは自然農法をリスペクトしてます)、その畑で採れた野菜を食べて、コンポストを畑に返すのは、なぜか心が温まるのです。何かを見たとき、それは、片道切符なのか、周遊券なのか?次に繋がり、やがて巡るものに力を与えたいと思います。
「再生」はもともと日本人のお家芸(江戸時代のリサイクル社会もそう)だったはずなのに、現代では小さなモノから大きなコトまで「(自然を)壊して(お金に換えて)作って(無責任に)捨てる」ということが増え過ぎましたよね。若いころ、これがつらくて社会に絶望していました。でも再生すればいけるんですね。自然て、大変な潜在能力があるんですよね。2018年、ダムを撤去した町を実際に訪ねてみて、江戸時代の川の流れが再生され、生物もたくさん戻ってきたという事実を見て、現地で話を聞き、(その町はその後台風で流されてしまうのですけど)、再生はできると確信しました(vol.40企画記事で「日本で初めてダム撤去が実現した場所で再生する流れを見つめながら」を溝口隼平さんに寄稿していただきました)。要は人間がそれを望むかどうかです。さとびでは近自然川づくりの記事も作ってきましたが(例vol.58「自然にも人にもやさしい川」)、これも川の再生です。西尾和隆さんに毎号「環境再生ウオッチング」の連載をしていただいているのも、再生を推したい意図によります。家なども、新築よりもリフォーム(リノベーション)物件のほうが好き。まだ新しい土地を開発して新築を並べるの?人口が減っていくのに?意味がよくわかりません。すでにある建物を工夫してカッコよくして、住みこなすほうが自然も人も幸せではないでしょうか。都市も、もっとナチュラルに再生しませんか。あきらめなくていい。再生という希望があるから。人も経済も自然も。
「すでにあるものへの感謝」もしかして、再生以前に大切なのが今残された尊いものに感謝すること。あなんは、ともすれば失われゆくもの、消えゆくものが気掛かりになってしまうことが多いのですけれど、そちらばかり見ていると寂しく悲しくなってしまうんですよね。そんなときは、今あるものに目をむけて、「ありがたいなあ!」と良く良く感じ入ります。農地も近くにまだあり(たとえ耕作放棄化していても)、お寺の鐘やウグイスの声が聞こえ、初夏の山々がブロッコリーのように可愛くて、雑草の花が綺麗で、家庭も平和で、家族は元気で、衣食住足りていて、あげたらきりがないくらい恵まれているのです。これに感謝するとしたら、ほら、感謝の気持ちは表現してお返ししたくなるものですよね。もし「めんどうだな」と思うことがあったら、それは「お返し」のようなものだと思うと、「あたりまえ」のことにできそうです。例えば、油まみれのお皿を拭いてから洗う。めんどうでしょうか。
(まあ、何かがめんどうでもそのかわり、「これはやりたい」と感じることをやれたらいいんじゃないでしょうか。)
水も、土も、みんな大切にします。感謝しているから。
これからもずっと、未来にわたって、お世話になります。
自然と調和して暮らすって、どういうことなんでしょう。わたしも整然とした答えがあるわけではないのです。世の中、矛盾もあります。けれども、こうした原則に照らして、日々のひとつひとつを「自然にも人にもやさしい」ほうへ、「自然も人も豊かに幸せに」のほうへ、小さくとも積み重ねていくことは、何より楽しさや喜びがともなってきます。希望の方向へ進んでいるのです、たとえ1ミリでも。
ニュースはいつも不安を煽る話が多いですよね。それより、希望をもって豊かさを感じて、感謝して暮らしていきたい。
地球を思うなら地域から。
世界を変えるなら自分から。
こんなお話、誰か読んでくださる方があるんでしょうか。と、思いながらもメモとして綴っておきました。長い話におつきあいくださって、ありがとうございます。みなさんはどんな方向に希望を感じますか。
正直な気持ちを書くということは、恥ずかしいものですね。人様には、そのように勧めるのですから自分も正直になってみました。恥ずかしいですけど、お伝えしなければ知ってもらえないですよね。人類は、まだテレパシーでコミュニケーションできませんし。
お一人でも、共感してもらえたら、また頑張ってさとびづくりに向き合っていくことができます。大好きな雑誌づくりに、大切にしたいことたちへの思いを重ねながら。