こんにちは。7月が終わっていきますね。お元気でしょうか。
ひとり編集室で自然派の地域マガジン「さとびごころ」を季刊でつくっているあなんです。
編集室は、集合住宅の一部屋を借りてしごと場を暮らしの場を兼ねておりますが、読者メンバーさんとの交流の場として小さく開いてもいます。お茶を飲んだり、ランチをしたりしながら、日々の思いを交換し、自然にも人にもやさしい在りかたや、身の丈しごとのことなど、その時々で様々な話題で対話しています。
先日は、あなんよりも少し人生の先輩であるSさんが来てくださいました。Sさんはチャーミングな70代女性。ファンションコーディネートやアクセサリーにも気配りがあり、料理や雑貨などの手作りも上手で、誰とでも友達になれる才能のある方です。
ところが、ここ数ヶ月は、目の手術、指の手術、そしてもともと膝を痛めていらっしゃることもありご無沙汰でした。「落ち着いたら、また行きますね」とのメッセージを信じて、その日がくるのを待っていました。するとさとびが発行になった直後に「とりに行きたい」との連絡が。
喜んでお迎えし、女子トーク。話題は手術の経験談や、膝のケアのお話しなど。わたしは、この7月に兄を見送った話などをしていました。そして自然に終活の話になっていきました。Sさんは、自分が亡くなったあと、直送で火葬のみを希望され、家族葬はいっさい行わず、海に散骨してもらう準備をすでに済ませていらっしゃるそうです。
葬儀社の中には、そのような希望に沿ってくれるところがあるそうです。
わたしは2024年の4月に母がなくなり、実はこの7月に兄も亡くなりました。母のときは、田舎のことですので、通夜、告別式、葬儀、初七日まできっちりとあり、近所のみなさんがお悔やみに駆けつけてくださり、親戚とはひさしぶりの再会をして、母のおかげで普段は会うこともない、そしてこれからも滅多に会う機会のない人たちと会話ができる場を与えてもらったような気がしていました。兄の場合は、子どもがなく、実家の最後の後継ということで母よりも大きな祭壇でした。自分だったらどうするかは別として、田舎には田舎の慣習があり、義姉は悲しみの中でしゅくしゅくと喪主のつとめを果たしていました。儀式とは、人の人生の大きな節目を自分の心に刻むための行いなのかもしれないと感じました。
つい最近自分が体験した別れとは全くちがうSさんの考え方。あまりにも潔い決心。
Sさんの意向は、すでに二人のお子様にも伝えてあるそうです。娘さんは涙されたそうですが、Sさんの心はクリアでした。
「葬儀はいっさいしなくていい、海は地球全体につながっているのだから、どこかの川や海を見たら、わたしのことを思い出してくれたらそれでいい。それよりも、生きている間にたくさん会いたい」
この最後のひとことが心に残りました。地域によっては、海への散骨など自分らしい選択をすることで周囲からなんといわれることか…という圧力から、慣習を守らざるを得ないということはあると思います。Sさんの場合は、ご実家も遠く、あまり縛られずに自分で決めることができました。散骨が済んだら、全てがきちんと行われたことを証する書類が遺族に渡されるそうです
自分だったら、どうしたいかなあ。Sさんのように、子どもたちに負担をかけず、潔く消えていくことに魅力を感じている自分がいます。
部員のMさんは「僕はバジル(Mの愛犬)をみとるまでは絶対に元気でいようと思っているから、僕が死ぬときはかなりの高齢のはず(バジルはあと10年くらいは生きるはず)。友達も同じく高齢になっている。もしかしたらもういない友達もいるかもしれない。そんな中で葬儀は必要ないと思う。病院から火葬場へ直送してもらい、骨は墓でなく永代供養や散骨がいいな」と言っています。もし、わたしが見送ることになるなら、本人の意思を尊重したいと思っています。ただ、わたしと息子たちだけは、Mのための儀式のようなことはやりたいなあ。
わたし自身も、「生きている間に」こそ、子どもたちとの時間をたくさん持てたらと思います。まあ、そのためにはうっとおしくない親でないとね。
葬儀の形も、墓の形も、時代によって変わってきたのですから、これからも変わっていくのが自然なことなのかもしれません。少子化がますます進みそうですし、自分を見送ってくれる子どもがいない世代も珍しくなくなっていくでしょう。墓を守る子孫がいないのに、墓にこだわる必然性も薄らいでいくでしょう。
大切なことは、亡くなった人のことを忘れず、暮らしの中で話しかけたり感謝したりする心ではないかと思います。この日本列島で縄文時代の文化を築いた人たちは、人間にも動物にも植物や鉱物にも、魂があると理解して祀っていました。墓石があったわけではなく、お経を唱えたわけでもないけれど、塚に祀り弔いの祈りを捧げていました。魂はどこかで巡っていると、わたしも思います。子どもの頃、母からは、死んだらなにもかも終わりと教わりました。しかしその母は、毎日神棚と仏壇に手を合わせることを欠かしたことはありませんでした。そして究極のピンチのときにはいつも救われたと言い、いつも以上に深く、感謝の祈りを捧げたと言っていました。
あの世なのか、宇宙なのか、科学的に明らかでなくても、見えない世界があるという前提で生きたい。わたしはそう思います。母は、20代という若さで父と死に別れました。そしてわたしたち二人の子どもを成人させ、長男だった父に変わって家長の役目を背負って自営業を支え、それに一生を捧げる結果となりました。だから、いまごろは、わたしを除く父と母と兄が、どこかで再会し、病気も忙しさもなんの重圧もない笑顔で楽しく会話してくれていることを願い、祈っています。そしてわたしもいつかその日がきたら、「久しぶり!」なんて言って、生きている間には言葉にできなかった思いを確かめられたらいいなと思います。
それにしても、自分の直葬に関しては、生きているうちに葬儀社と契約し、息子たちに伝えておかなくてはいけないな。でも、まだもう少し、そっとして過ごしていたいと思います。
8月のワークショップ情報
自然の命は循環する 人の魂もきっと循環している